「誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士」
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御陵衛士の伝記 <3> 

故鈴木忠良伝 (私家版、大正8年) その4
〜慶応4年 赤報隊結成〜

侍医山科能登之助の斡旋によりて忠良の勤王の志篤きことを上聞に達せらる。又同氏より侍従綾小路卿を訪ぬべきことを勧誘せらる。乃ち慶応四年正月三日同氏秦林親と共に河東なる綾小路邸を訪問す。綾小路卿大に悦び談国事に及ぶ、曰く「時勢既に切迫す、臣下として傍観するに忍びず、縦令ひ公卿の身と雖も敢て国事に当らんとす、されど公けに願ふ時は到底許さるるを得ず、故に罪に問はるるを覚悟して窃かに京師を脱せんと欲す、然るに余は文事に長ずれども武事に疎し、貴殿余を補佐して軍事を司れ云々」と懇請せらる、忠良其の志に感激し直ちに軍裁たることを快諾す。而して夜に至るも尚ほ引続き万緒の計画謀議中、伏見の方面に当りて砲声■に起る。暫くにして忠良は同志等の決起兵を挙げたることを知りたれば、倉皇邸を辞して帰途につく。薩藩邸に着するや、中村半次郎は「砲と火薬とを携へて速やかに来るべし」との言を残して、既に出発せる由を聞きたれば、直ちに伏見に馳せて中村に会見す。時に伏見城は既に陥落し、死屍ところどころに累々として横はる。忠良同志の士と共に夜の明くるを待ち、京都の城南離宮に行き、水田中の薄氷を踏みて鳥羽街道に陣す。敵連?りに小銃を放つ。志士之と応戦せしが敵味方共に死傷多からざりき。忠良左手に貫通銃創を蒙れども之を覚らず戦闘に余念なし、富山弥兵衛の大声に「貴殿撃たれたるか、真紅の色を見よ」と注意するを聞きて、初めて之を知り、手拭を巻きて出血を防げり。間もなく富山も亦背部に異様の感を覚ゆとて其の背を忠良に示す。果たして銃丸の背骨を掠めて創を生ぜるあり。富山「口惜し口惜し」と叫ぶ。コレ後方より進み来りし味方の農兵の発せる銃丸に当るすものの如し。二人ともに本営御幸宮に至る、本営の対象吉井幸助及び西郷隆盛にして、病院に行きて治療を受くべしとの命を下せり即之に従う、後?今出川の屋敷に帰りて静養す。一日忠良薩州候に召され御近所■得能良助を介して君侯の御沙汰を蒙り、薩摩上布及び金五捨両を賜はる。金?子は同志の士に分与せり。

先きに綾小路邸にて画策せし義兵を挙げることに決し、正月七日夜同志の者相率いて京師を脱す。之より先き大原三位手づから軍扇に報国の二字を大書し、之を以て義軍を指揮すべしと忠良に賜はりたり。忠良銃創未だ癒えで駕籠に乗りて叡山の麓に到る、綾小路卿は公卿の身なれば徒歩にて山路を肥ゆるは困難ならんことを思ひ、■にかごを護り歩して之に従へり。時恰も厳冬にして白■皚々として寒気身骨に徹し殆ど堪え難し。途中番所ありしかど別に詰問を受くることなく、よく八日払暁東坂下に達し朝食をなす。時に滋野井侍従より木ノ下岩見来り、侍従の忠良に面会を求むる旨を伝へらる。忠良命に従ひて侍従を訪問す、侍従曰く「余も亦京師を脱出しこの道来たれども補佐するものなし、貴殿幸に余を佐くるの意なきか」と。忠良答えて曰く、「余は既に綾小路卿に奉仕す、今如何とも致し難し、閣下綾小路卿と共に江州桜尾山に行き協力軍議をなしては如何」と。滋野井侍従此言に従ひ共に行くことに決す。忠良乃ち再び東坂本の旅宿に帰れり。時に薩藩の相良惣造二十人ばかり率いて来る、是れ先に幕徒のために江戸を追はれて京都に馳せ帰りしが、三木三郎忠良桜尾山に義兵を挙ぐる故行きて之に加はるべしと吉井氏の命令によりて来集せるなり。既にして水口藩医師油川藤三郎も勤王の士二十名を率いて来り綾小路卿を応援す。ここに於て兵糧を整へ将さに出発せんとするに際して先陣の争起り、相良曰く「余に江戸に於ける不名誉を回復せんとす、願くは先陣たらしめよ」と、阿部隆明之に■対して曰く「相良の徒は敗北の兵なり、負ける者をして先鋒たらしむべからず」と、而して自ら先鋒たらんことを請う。忠良阿部を宥めて曰く「中軍には総裁綾小路卿在り、何時中軍たるべし」と。阿部之に従ひて中軍を率い、先鋒は相良、殿軍には油川任ずることとなれり。これより琵琶湖を横切りて一ツ松に上陸し、松尾山に到りて屯す。義兵を赤報隊と称す。

(2017/12/20)
関連:慶応4年1月11日付1月11日付 太政官からの赤報隊への返書
慶応4年1月中旬(推定)太政官沙汰書


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注:原文(手書き)のカタカナ部分を読みやすいように平仮名に直しています。旧字は適宜当用漢字になおしています。改行は原文通り。■は解読中の文字です。
注2:参考資料として、「壬生浪士始末記」「秦林親日記」「香川敬之私記」「坂本直書簡」「清岡公張書簡」「近藤勇(松村巌著)が挙げられています。それらと鈴木家蔵の資料や家伝が参考にされていることはいうまでもありません。

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