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文久2年9月10日(1862年11月1日)
【京】中山忠光、近衛関白に岩倉具視らの追放を迫る
【江戸】山田方谷、松平春嶽に時事を述べる

■幕政改革
江】文久2年9月10日、政事総裁職松平春嶽は老中板倉勝静の家臣山田方谷を呼び出し、時事に関する意見を尋ねました

方谷は従来の政治の欠点として以下の五事を挙げました。
  1. 日本(の政体)は元来、(群雄)割拠であるものを強いて封建制に議したもので公共の政は容易に実行できるものではない事
  2. 衣服の制には特別に慎重である事
  3. 海軍の制度がない事
  4. 人材登用に関して門閥重視である事
  5. 治民の制度が整備されていない事
その上で、今回の改革では、一部は改善されたので、今後は、公共の趣意に基づき、割拠の既習を翻すことに注意を払うことが肝要であると述べたそうです。

<ヒロ>
山田方谷がついていながら、板倉はなぜ改革に消極的?探究ネタはつきそうにありません^^。

参考:『続再夢紀事』一(2003.10.31)
関連:■開国開城「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革」■テーマ別「幕政改革問題
■公武合体派排斥・暗殺
【京】文久2年9月10日、中山忠光は関白近衛忠煕を訪問し、岩倉具視らを遠島あるいは京都追放にしなければ、ただちに官位を返上し、薩長土三藩の有志とともに天誅を実行すると脅迫しました

関白は顔色を変え、「朝議為に動く」ことになりました。

参考:『維新土佐勤王史』)(2003.10.31)
関連:「今日」「文久2.9.8−中山忠光、初対面の武市半平太に「四奸ニ嬪」天誅の助力を依頼」 9.9-中山忠光、岩倉らの処分を関白に迫ることを決意 ■テーマ別文久2:「公武合体派排斥・「天誅」

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