「今日」トップ 元治1年10月 テーマ別日誌 開国-開城 HP内検索  HPトップ

◆10./5へ  ◆10/11へ

元治元年10月8日(1864年11月11日)

【京】在京の薩摩藩士西郷隆盛、国許の大久保利通に書を認め、
征長準備に関する情勢・所見等を報じ、帰国命令の猶予執成しを依頼する

☆京都のお天気:晴(嵯峨実愛日記)

>第一次幕長戦へ
■在京薩摩藩の動き
【京】元治1年10月8日、西郷吉之助は、国許の大久保一蔵に書状を認め、征長準備に関する情勢・所見(薩摩藩のために、長州藩の壊滅を避けるための計略)等を報じ、帰国命令の猶予執成しを依頼しました

<ヒロ>
この日、西郷は、大久保宛てに3通(あるいは4通)の書状を書いています。主な内容は、征長準備の動向と所見、水戸藩の内部抗争(天狗・諸生の乱)、幕府の対外措置、将軍進発周旋、帰国の藩命の猶予執成し、といったところです。

この日の書状の日付には「西郷」名義の者が含まれています。これまでは大島吉之助名義でしたが、『西郷隆盛全集』によれば、西郷は側役に昇進たのを機に改名したのだそうです。

西郷の幕府嫌い(不信感ともいう)と独断専行がとても感じられる書状で、薩長同盟の成立って不思議でもなんでもないんだなと思いました。たとえば、西郷は、幕府が薩摩藩の攻め口を萩にしたのは、薩摩藩が禁門の変で出来がよかったので、今回は失敗させようとわざと難しい萩を担当させたとみているし、征長については、長州が壊滅させられると、今後、(幕府が威信を回復して)薩摩藩の煩いになるかもしれないので、そうさせないよう計略を練っています。(恭順論を唱える長州藩支族の岩国領主吉川経幹を利用して「長人を以て長人を処置」させるよう、高崎五六を岩国に派遣し、自分も芸州に出張するつもりです)

参考:『西郷隆盛全集』一p411-426(2018/8/11)
関連:■「開国開城」30. 第一次幕長戦争■テーマ別元治1第一次幕長戦
(西郷吉之助(隆盛)の報じた幕長戦)
・7/28【京】前越前藩主松平春嶽上京を促す(越前藩中根雪江・酒井十之丞宛)
・8/17【京】外国艦下関来襲の黒幕は幕府との意見を述べる(大久保一蔵宛)
・9/7【京】長州の追討・薩摩への後難を防ぐための「狡猾」な長州への厳しい処分(東国への国替え)の必要性、江戸幕閣による慶喜の疎外等の近情、征長副将・越前藩主松平茂昭を利用した幕府への建議、総督未定の場合の征長副将以下出陣の周旋等の方針(同上)
・9/8【京】有馬新助・海江田信義に将軍上洛周旋を指示したことなど。(同上)
・9/16【京】9月11日の勝海舟との初対面の様子。勝からきいた幕府の内情。征長後の有力諸侯による「共和政治」か「割拠」の必要性を力説。(同上)
・9/19【京】征長が決まれば自ら広島へ赴き、長州藩と支藩の離間により攻め落とすとの計略。(同上)
・10/8【京】長州藩征討・水戸藩党争の情勢・幕府の対外措置所見(薩摩藩のための長州壊滅回避の計略)(同上)

その他の動き
・前宇和島藩主伊達宗城書を前越前藩主松春嶽寄せ、将軍進発の遷延するを慨し、時事に関する所見を問う(綱要)
・新選組篠塚峰三が除隊。(除隊が可能だったのです)

◆10./5へ  ◆10/11へ

「今日」トップ 元治1年10月 テーマ別日誌 開国-開城 HP内検索  HPトップ