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☆京都のお天気:晴(嵯峨実愛日記) >第一次幕長戦へ ■在京薩摩藩の動き 【京】元治1年10月8日、西郷吉之助は、国許の大久保一蔵に書状を認め、征長準備に関する情勢・所見(薩摩藩のために、長州藩の壊滅を避けるための計略)等を報じ、帰国命令の猶予執成しを依頼しました。 <ヒロ> この日、西郷は、大久保宛てに3通(あるいは4通)の書状を書いています。主な内容は、征長準備の動向と所見、水戸藩の内部抗争(天狗・諸生の乱)、幕府の対外措置、将軍進発周旋、帰国の藩命の猶予執成し、といったところです。 この日の書状の日付には「西郷」名義の者が含まれています。これまでは大島吉之助名義でしたが、『西郷隆盛全集』によれば、西郷は側役に昇進たのを機に改名したのだそうです。 西郷の幕府嫌い(不信感ともいう)と独断専行がとても感じられる書状で、薩長同盟の成立って不思議でもなんでもないんだなと思いました。たとえば、西郷は、幕府が薩摩藩の攻め口を萩にしたのは、薩摩藩が禁門の変で出来がよかったので、今回は失敗させようとわざと難しい萩を担当させたとみているし、征長については、長州が壊滅させられると、今後、(幕府が威信を回復して)薩摩藩の煩いになるかもしれないので、そうさせないよう計略を練っています。(恭順論を唱える長州藩支族の岩国領主吉川経幹を利用して「長人を以て長人を処置」させるよう、高崎五六を岩国に派遣し、自分も芸州に出張するつもりです) 参考:『西郷隆盛全集』一p411-426(2018/8/11) 関連:■「開国開城」30. 第一次幕長戦争■テーマ別元治1第一次幕長戦 (西郷吉之助(隆盛)の報じた幕長戦)
その他の動き ・前宇和島藩主伊達宗城書を前越前藩主松春嶽寄せ、将軍進発の遷延するを慨し、時事に関する所見を問う(綱要) ・新選組篠塚峰三が除隊。(除隊が可能だったのです) |