12月の「今日」 幕末日誌文久2  テーマ別日誌 開国-開城 HP内検索  HPトップ

.前へ   次へ

文久2年10月21日(1862.12.12):
【江】攘夷奉勅:慶喜、自分は「攘夷に定見なし」と後見職辞職の内意を示す

■攘夷奉勅問題(慶喜の登城スト)
【江】文久2年10月21日、攘夷奉勅の幕府方針に不満をもつ開国論の一橋慶喜は、老中らに後見職辞職の内意を示しました。

大意は以下の通り
勅使に対して、開国の見込みを(将軍が)御回答になれば、実に容易ならぬ次第になり、(朝廷に対する)弁解について心配していた。最近、諸藩も皆攘夷を唱えており、自分ひとりだけが一己の愚見で開国論を主張しても、それによって(幕府に?国家に?)不都合を生じては恐れ多いことである。

また開国についても大勢を説破することは微力が及ぶところではない。重大事件は衆に従うべきだと思い、攘夷奉勅に別に異存申上げず、攘夷で粗決定になったが、定見のない者が出勤していては恐れ多いだけではなく、不都合を生じることがあっては容易ならぬ次第であるので、退役を願う心得である。

さらに、今後は、春嶽、肥後守、容堂いずれも「卓見高論」であるので、これまでよりも親しくし、何事も打ち明けて相談するよう付け加えました。

<ヒロ>
開国論を主唱していた慶喜は、山内容堂の攘夷奉勅論を受け入れ、幕閣を説得して幕議を攘夷で一決させましたが、それは本意ではありませんでした。責任のもてないことはできないということでしょう。総裁職の春嶽は既に、幕府の旧態依然として朝廷尊崇が感じられないことに不満をもって登城停止中です(こちらは攘夷奉勅ですが)。慶喜は、翌22日には正式に辞表を提出し、江戸の政局はまたまた揺れます・・・。

参考:『続再夢紀事』一(2003.12.12)
関連:■テーマ別文久2「国是決定:開国VS破約攘夷


.前へ   次へ

12月の「今日」 幕末日誌文久2  テーマ別日誌 開国-開城 HP内検索  HPトップ