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文久2年10月26日(1862.12.17)
【江】攘夷奉勅:慶喜、春嶽の説得に応じ登城。
【江】勅使優待:幕府、優待を決定

■攘夷奉勅問題(慶喜の登城スト)
江】文久2年10月26日、自分には攘夷に関する定見がないとして22日に辞表を提出していた開国論の後見職の一橋慶喜は、政事総裁職松平春嶽から、後見職辞職は「勅旨を蔑如し、台命を忽諸」するものだと説得され、辞意を撤回しました。攘夷督促の別勅使が品川に到着する前日のことでした。

この日の朝、老中板倉勝静(周防守)、側用取次大久保忠寛(一翁、越中守)が慶喜邸を訪ねて説得しましたが、慶喜はやはり承諾しなかったそうです。

ところが、夕方、春嶽(前日に水野老中から周旋を依頼された)が慶喜を訪ね、<事態が急を要するのだからこうやって老中・容堂なども勧告に及んでいるというのに、お聞き入れないのであれば、もはや何事も言うまい。しかし、貴卿の職掌は、叡慮(天皇の考え)に基づき台命(将軍の命令)も下された事である。一身の都合のみをもって強いて登城しないのは、「勅旨を蔑如し、台命を忽諸」するものである>と述べたそうです。ここまでいわれ、さすがの慶喜も<尤もである。これまでのことは取り消してほしい>と登城することに決めたそうです。

その日のうちに、慶喜・春嶽は前後して登城し、幕閣は非常に喜びました。

■勅使待遇改善
また、懸案だった勅使待遇については、旧套を脱して「君臣の名分を明らかにすべし」と決まりました。

参考:『徳川慶喜公伝』2、『徳川慶喜増捕版』(2003.12.17)
関連:■開国開城「第2の勅使三条実美東下と攘夷奉勅&親兵問題」 ■テーマ別文久2「国是決定:破約攘夷奉勅VS開国上奏」「勅使優待問題


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