「今日」トップ 元治1年11月 テーマ別日誌 事件:開国-開城 HP内検索 HPトップ
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☆京都のお天気:晴天気粗似昨日 (嵯峨実愛日記) >薩摩藩への嫌疑 【京】元治元年11月28日、肥後藩留守居役上田久兵衛は、芸州から上京してきた肥後藩士からの話で、征長総督の「和議之論」の裏には薩摩藩西郷吉之助(「[奸賊」)がいることを知りました。
久兵衛は、11月上旬頃から、「薩の姦計」を疑っており、同月17日には、中川宮から小松帯刀の「反復の計策」を打ち明けられ、19日付の国許への書状で、小松帯刀を「天下をませく」る「悪キ奴ツ」と批判していました(こちら)。 <ヒロ> ちなみに、久兵衛は、薩摩藩には、肥後と薩摩の連携を阻害する「奸吏」とみなされています。お互い様なんですね〜。 参考:11月28日付上田久兵衛書簡『幕末の京都の政局と朝廷』p80(2018/9/9) 関連:テーマ別元治1■薩摩藩の朝幕離間策・嫌疑 >第一次幕長戦 ■長州恭順 〇総督府の動き 【芸州】元治元年11月28日、征長総督徳川慶勝は、芸州藩に命じ、長州藩の恭順三条件の実行(@長州征討令に対する請書の提出、A山口新城の破却、及びB亡命五卿の引き渡し)を同支族吉川監物(経幹)に促させました。(綱要) このうち、特に、五卿の引き渡しが難航していました。長州藩内の急進派諸隊が、解散を命じられた後、五卿を奉じて長府に屯集し、五卿の移転を拒んでいたからです。 関連:テーマ別元治1■第一次幕長戦へ(元治1)(2018/9/9) |
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