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☆京都のお天気:雨下暖気如昨日夕遠雷両三声入夜猶雨降 (嵯峨実愛日記) >薩摩藩vs朝幕協調派@京都 【京】元治元年11月19日、肥後藩留守居役上田久兵衛は、激しい雨の中、会津藩公用方倉沢右兵衛に呼び出され、色々話し合いました。 同じ日、国許への書簡の中で、藩士桑木又助(目付)を「天下之大事」に関わる御用の筋で帰国させたことを知らせた上で、薩摩藩小松帯刀を「天下をませく」る「悪キ奴ツ」と批判しました。 <ヒロ> 会津藩での打ち合わせ内容は具体的に書かれていませんが、すぐ近所でもないのに、相当な悪天候の中を呼び出すということは至急の用件だったことはうかがわれます(一里の距離だったそうです)。 国許に使者を派遣した「天下之大事」の用件の具体的なことも書かれていないのですが、朝幕協調を方針としする在京肥後藩のことだから、薩摩藩の長州恭順周旋の裏の意図を察知して、国許に注意喚起をしたのかもですね。そうすると、やはり会津藩との打ち合わせの結果なのかもしれません。ちなみに、久兵衛を呼び出した倉沢右兵衛(後、倉沢平治右衛門)は、禁門の変当時、中川宮に貸し出されていた藩士です。それがこの時点で続いていたかどうかはっきり確認できていないのですが、続いていたとすると、中川宮から何か情報が入っての呼び出しだったのかも??(だとすると、近衛家が長州恭順周旋に密使を送ったことが漏れ伝わって、糸を引いているのが小松帯刀っていうことですかね?(こちら)) ちなみに、肥後藩の攻め口は、下関口です。やる気満々の小倉藩等とともに一番手で、二番手は筑前・佐賀。二番手応援にもやる気にあふれる唐津がいます。現場では、小倉には副将の越前藩が陣営を構えているので、これらの藩の代表も小倉に参集しています。京都でも、久兵衛は、小倉や筑前藩と情報を交換しています。 <追記> 「天下之大事」については、久兵衛の日記にヒントがありました。17日、久兵衛は、中川宮から召し出され、小松が「反復の計策」を企てていると内密の相談を受けていました(こちら)。それより先、小松は、中川宮・二条関白に長州恭順受け入れを働きかけており、天皇からは幕府が苛酷な処分をせぬよう薩摩藩が周旋せよとの内意を示されていました。そして、天皇の内意を受け、江戸に使者を送ることを計画していました(こちら)。朝廷と幕府の離間を狙っていると受け取られても仕方ないです。「天下之大事」とは、そのあたりを指すのではないかと想像します。 参考:11月19日付上田久兵衛書簡『幕末の京都の政局と朝廷』p73-75(2018/9/2) 関連:■テーマ別元治1薩摩藩の朝幕離間策・嫌疑 >一橋慶喜の江戸呼び戻し計画 ■老中松前崇広・若年寄立花種恭の率兵西上 【江】元治元年11月19日、幕府は、老中松前崇広が、23日に陸路で長州へ向かい、その後、若年寄立花種恭が海路軍艦で出立することを公布しました。 <ヒロ> 表向きは征長戦のためなのですが、実際は、一橋慶喜を江戸に召喚することを目的としていました。 参考:『徳川慶喜公伝』 関連:■テーマ別元治1 「一会(桑)VS在府幕府首脳」 >第一次幕長戦 ■長州処分 〇総督府の動き 【芸州】元治元年11月19日、征長総督徳川慶勝は、長州藩支族吉川監物(経幹)を召し、撤兵の条件として、@長州征討令に対する請書の提出、A山口新城の破却、及びB亡命五卿の引き渡しの三条件を達しました。また、元三家老の首級を返しました。(綱要) (この時長州に滞在していた五卿は、元中納言三条実美、同三条西季知、元左近衛権少将東久世通禧、元修理権大夫壬生基修、元侍従四条隆謌) ※その裏には西郷吉之助の働きかけがあったようです。↓ 〇薩摩藩の動き 【芸州】元治元年11月19日、征長に出陣中の西郷吉之助は、在京家老小松帯刀に書を送り、総督府に対し、伊地知正治原案による長州処分の6か条を建議したこと、撤兵の条件通達については、江戸に相談せずに速やかにすべきだと主張し、その通りになったことなどを知らせました。 (吉之助書簡のてきとう訳)
<ヒロ> 西郷は、この時点で、10万石の減封が妥当だと考えていました。(幕府が勢いを増すのは困りますが、長州の勢いもそがないとですものね) 参考:『西郷隆盛全集』一p444-446 関連:■「開国開城」30. 第一次幕長戦争■テーマ別元治1第一次幕長戦(2018/8/27, 9/9) (西郷吉之助(隆盛)の報じた幕長戦)
>勝海舟@閑居中 【江】元治1年11月19日、薩摩藩士高崎左太郎(正風)が勝海舟を訪ねました。 左太郎は、小松帯刀の11月6日付の国許宛て書簡によると、長州寛典を入説に東下したはずなのですが・・・勝が左太郎に聞いたところによると、山階宮に随従してきたといったとか・・・山階宮、こんな時期に東下していたんでしょうか?? 参考:『勝海舟全集1 幕末日記』p171(2018/9/3) 関連:テーマ別元治1■勝海舟@元治1年 |
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