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文久2年12月17日(1863年2月5日)
【江】幕府、朝廷からの薩摩藩国父・島津久光の
守護職任命催促に問題ないと返書。

■久光の守護職任命運動
【江】文久2年12月17日、幕府(老中と松平春嶽)は伝奏坊城大納言・野宮宰相中将へ、朝廷の薩摩藩国父島津久光の守護職任命催促に対し、幕府としては問題はないとの返書を出しました

「松平肥後守京都守護職仰せ付けられ御満足思し召され候えども、島津三郎(島津久光)儀今般公武御一和の基本を周旋いたされ皇国に忠誠尽し候者にて此末公武の御為別してしかるべく思し食され候。かつ家督にも之なき故、京師守護も専一行届くべき儀と思し食され候に付、かたがた別段の叡慮をもって断然守護職仰せ付けられたき旨去月十二日おおせ越され候。方今の御時勢毎時因循時日推移候ては叡慮案ぜられず候間、早々取り計らい候様仕るべき旨御沙汰の旨猶また仰せ越され候趣畏れ奉り候。三郎儀京都守護職仰せ付けられ候儀、当地において御不都合の儀御座無く候。右に付先だって三条卿姉小路卿へ委細申し述べ候通り畏れ奉り候儀にごさ候。此段申し進み候。以上。
(読み下しby ヒロ。適宜句読点を打ち、当用漢字にしています。管理人は素人なので、万一ご利用の際は、必ず原典にあたってください)

参考:『続再夢紀事』一(2003/2/15)
関連:■テーマ別「薩摩藩の守護職任命運動」「薩摩藩日誌文久2」

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