幕末京都日誌(過去ログ整理) 事件開国-開城(マクロな歴史) HP内検索 HPトップ 

★文久2年春の島津久光率兵上京(こちら)〜慶応4年春江戸開城までの京都を中心とした幕末政治(と衛士)の々の動きを1日ずつ?更新。(和暦の方は月の満ち欠けに呼応していて、たとえば15日は満月となります)
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2月の幕末京都&折々の詩歌

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2月の詩歌
梅にちなむ詩歌、筑波天狗党の辞世等 参考『志士詩歌集』

2月の幕末京都の過去ログリスト (全体の過去ログは幕末京都日誌に整理)

1863(文2/文3) 1864(文4) 1865(元2) 1866(慶2) 1867(慶3) 1868(慶4)

◆幕末関係   ◇御陵衛士/浪士組関係
文久2/文久3年
◆◇文久2年12/13(1863.2.1)【江】幕府、攘夷を布告/浪士組結成(4)清河八郎、江戸着
◆12/14(2.2)【江】前尾張藩主徳川慶勝に招かれ、横井小楠「幕私を棄て公議に従うべき」持論を陳述
◆12/15(2.3)【江】将軍後見職一橋慶喜江戸出立/幕府、諸大名に勅諚(戊午の密勅)を示す/政事総裁職松平春嶽に先発上京の幕命
◆◇12/16(2.4)【江】老中格小笠原長行、海路大坂へ。前土佐藩主松平容堂へ上京の幕命/浪士組結成(5)清河八郎弟斎藤熊三郎赦免
◆12/17(2.5)【江】薩摩藩と守護職(7)幕府、朝廷の薩摩藩父・島津久光守護職任命催促に返書
◆12/18(2.6)【江】前土佐藩主山内容堂に海路上京の幕命。
◆12/19(2.7)【江】士道忘却事件(1)小楠、肥後勤王党の刺客に襲撃される
◆12/20(2.8)【江】士道忘却事件(2)肥後藩、越前藩に対し、士道忘却を理由に小楠引渡しを要求
◆12/21(2.9)【江】士道忘却事件(3)越前藩、藩主同士の直談まで従前通り小楠を預かりたいと申入れ/春嶽、蒸気船咸臨丸に試乗
◆12/22(2.10)【京】将軍上洛延期運動(2)薩摩藩大久保利通(一蔵)入京し、近衛関白・中川宮に久光の建白書を提出。/士道忘却事件(4)肥後藩、小楠の越前藩預りを承諾
◆12/23(2.11)【江】薩摩藩士岩下左次右衛門、春嶽に久光の上京決定を告げる/士道忘却事件(5)小楠、福井に向って出立。
◆◇12/24(2.12)【京】守護職・会津藩主松平容保、入京/将軍上洛延期運動(3)孝明天皇、薩摩藩の建白に同意/【江】水戸藩家老武田耕雲斎、将軍後見職・一橋慶喜の相談相手として江戸出立/浪士組結成(6)鵜殿鳩翁、浪士取扱役に/
◆12/25(2.13)【京】容保、近衛関白に謁す/【江】容堂、春嶽を訪ねて幕府の朝廷尊奉事項を内談。
◆12/26(2.14)【京】長州・土佐排斥運動(1)前宇和島藩主伊達宗城・因幡鳥取藩主池田慶徳・阿波徳島藩世子蜂須賀茂韶、近衛忠煕関白に在京諸侯退去と公武合体の国是決定を建白。/水戸藩主徳川慶篤、戊午の勅諚奉承を藩内に布告・連座して処罰された藩士を赦免。
◆12/27(2.15)【江】文久永宝ができる
◆12/28(2.16)【京】長・土排斥運動(2)伊達宗城・池田慶徳ら、中山忠能・三条実美らに在京諸侯退去を主張/容保、右大臣二条斉敬に謁し、さらに議奏・伝奏などを歴訪【江】大久保一翁、越前藩中根靱負に書簡。 
◆12/29(2.17)?浪士組結成(7)幕府、清河八郎の召しだしを決定/佐久間象山の蟄居が許される

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◆文久3年1/2(2.19)【京】守護職松平容保、初参内。御衣を与えられる/長州藩主父子の帰国奏請/【江】将軍上洛延期運動(4)薩摩藩士吉井幸輔着府。春嶽を訪ね、近衛関白の密書を渡す。/清河八郎、春嶽に3度目の上書
◆文久3年1/3(2.20)【京】長州藩世子毛利定広参内。攘夷周旋の功で御衣を与えられる。
◆1/4(2.21)【江】将軍上洛延期運動(5)春嶽・容堂、吉井・大久保を引見し、薩摩藩の将軍上洛延期案に同意
◆1/5(2.22) 【京】将軍後見職一橋慶喜入京/【江】将軍上洛延期運動(6)春嶽、将軍上洛延期を幕議で内々に提案。老中の同意を得る。/
◆1/6(2.23)【江】将軍上洛延期運動(7)吉井・大久保、春嶽と内談。将軍上洛延期の朝命を周旋することを決定
◆1/7(2.24)【京】会津藩、公用方を設置/【江】将軍上洛延期運動(8)吉井・大久保、春嶽に朝廷への加増を建議。春嶽、近衛関白宛書簡を託す/浪士組結成(8)幕府、浪士取扱役松平主税助に浪士募集を命ずる。庄内藩へ清河宥免の達し
◆1/8(2.25)【京】慶喜、近衛関白・議奏・伝奏を歴訪。/【坂】老中格小笠原長行、勝海舟らとともに着坂。/【江】春嶽・容堂・大久保、将軍の3月中旬上洛を内決
◆1/9(2.26)【京】容保、激派公卿三条実美を訪問/【江】将軍上洛延期運動(8)大久保、将軍上洛延期の朝命周旋のため、江戸を出立して京都へ
◆1/10(2.27)【京】慶喜、所司代牧野忠恭らを従えて参内。【江】越前藩中根雪江、江戸を出立して京都へ。
◆1/11(2.28)【京】長州藩久坂玄瑞ら攘夷期限決定のため慶喜に面会を迫る。

関連■開国開城「幕府の公武合体派連合(幕薩連合)策」 「後見職・総裁職入京-公武合体策挫折と攘夷期限「天誅と幕府/守護職の浪士対策」 ■幕末日誌文久2 ■テーマ別文久2:「国是決定:破約攘夷奉勅VS開国上奏」「親兵設置問題」■テーマ別文久3:「薩摩藩の将軍上洛延期運動」「攘夷期限と公武合体連合策の蹉跌守護職日誌文久2 ■薩摩藩日誌文久2 ■越前藩日誌文久2 ■長州藩日誌文久2

文久3年12月/文久4年1月
◆12/24(1864.2.1)【京】参豫会議へ(17)越前藩中根雪江(靱負)、一橋用人平岡円四郎と諸侯会議の運営方法を協議/【長】長崎丸砲撃事件:奇兵隊、幕府汽船長崎丸(薩摩藩借用中)を砲撃・沈没
◆12/25(2.2)【京】参豫会議へ(17)二条城にて有力諸侯会議。朝議参豫について協議/横浜鎖港談判使節(4)前宇和島藩主伊達宗城、前越前藩主松平春嶽に使節派遣延期・諸侯会議で開国・鎖国決定を入説【京】越前藩主松平茂昭上京/【肥後】藩内に脱藩者宮部鼎蔵・河上彦斎・松田重助らの捕縛を命じる
◆12/26(2.3)【京】中根雪江、慶喜訪問【江】鎖港使節(5)将軍家茂、使節池田修理らに委任状を下付
◆12/27(2.4)【江】将軍再上洛(24)将軍家茂江戸を出立。品川着/頼三樹三郎の墓碑建立を許す/【京】慶喜・春嶽、将軍長期滞在の必要性を確認/【江】幕府、各国使節に輸入品税率低減を通告
◆◇12/28(2.5)【京】将軍再上洛(25)家茂、軍艦翔鶴丸で海路上京へ。/【京】参豫会議へ(18)前土佐藩主山内容堂入京/新選組芹沢一派生き残り、野口健司の死
◆12/29(2.6)【神奈川】鎖港使節(6)仏国軍艦ル・モンジュに乗り、出航。上海へ
◆12/30(2.7)【京】参豫会議へ(19)慶喜・春嶽・容保・容堂・宗城、朝議参豫に任命される/芸州広島藩世子入京

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◆文久4年1/2(2.9)【京】参豫集会:2日間隔の参内を内決/久光、横浜鎖港・同使節中止と武備充実を主張。幕府の方針を[姑息」と批判/長崎丸砲撃事件糾問の薩摩使者派遣の一時見合わせ決定/容堂、参豫の辞意を春嶽に伝える
◆1/3(2.10) 【京】参豫久光・宗城に容堂の辞意について高崎猪太郎に対応させたいと提案する。 【水】関東取締馬場俊蔵ら、常陸・下総地方に集まった浪士らの鎮撫に従う。水戸藩士住谷寅之介も潮来で周旋する。
◆1/4(2.11)【京】在京諸侯参内/参豫諸侯(慶喜・容保・春嶽・宗城)、前勧修寺門主(→山科宮)の還俗を建言【長】直目付桂小五郎の職を免じ、京阪に潜伏させる
◆1/5(2.12)【京】朝廷参豫会議1(慶喜・容保・春嶽・宗城)。書付の下問のみ。
◆1/7(2.14)【京】)容堂、参豫辞任が聞き入れられず/久光、朝廷に対して、将軍家茂に「至誠の綸言」と天皇の非を認める「宸翰」を下すことを建言。宸翰草稿も提出(1月21日の宸翰とほぼ同文)
◆1/8(2.15)【坂】将軍再上洛へ(26)将軍家茂、大坂上陸/【京】朝廷参豫会議2:春嶽・宗城・容保参内-前観修寺門主の親王宣下、久光の官位問題について下問(口答)/【周防】長州義勇隊の薩摩藩船加徳丸焼き討ち事件(上関事件、加徳丸事件/【京】横井小楠:春嶽に小楠処分決定の知らせが届く
◆1/9(2.16)【京】参豫集会:容保の征長副将、春嶽の守護職、久光の幕議参画等を議定/慶喜の後見職辞任+禁裏守衛総督就任が議論される/前勧修寺門主の伏見宮家復帰・還俗を許す勅、大原重徳を許す特旨
◆1/10(2.17)【京】長州処分:因幡藩主池田慶徳、攘夷の貫徹・三条実美らと長州藩主父子への寛典を建議//新選組土方歳三、将軍出迎え布陣図を送る
◆1/11(2.18)【京】朝廷参豫会議/政事総裁職松平直克・老中水野忠精入京/
◆1/12(2.19)【京】将軍再上洛へ(27)関白二条斉敬、総裁職・守護職・老中・参豫諸侯らに対し、家茂を補佐して公武協和に尽力せよと命ずる
◆1/13(2.20)【京】朝廷参豫会議。議事なし/島津久光(薩摩)、朝議参豫を命ぜられる。従四位下に叙される
◆1/14(2.21)【京】将軍再上洛へ(28)将軍家茂大坂を出立・伏見入城/【江】軍艦奉行並勝海舟、海軍拡張の意見書をを老中酒井忠精に提出(付「剛」から「鼻公」へ)
◆1/15(2.22)【京】将軍再上洛(1)将軍家茂二度目の入京、二条城へ。老中ら、慶喜への「疑念氷解」/参豫(10)長州処分:参豫の容堂・宗城・久光、政令帰一を急務とし、長州処分は幕府に委任するようにとの建議をすることを合意/長州藩主毛利敬親、朝幕に下関通過の外国型邦船は藩に通告後に通航すること等を諸藩に布告するよう求める/桑名藩主松平定敬入京/
◆1/16(2.23)【京】将軍再上洛(2)孝明天皇、勅使を二条城に派遣し、板輿を与える/幕府、春嶽に将軍の諮問に応えるため随時登城を命じる/慶喜、総裁職松平直克への「厳督」の必要がなくなったことを春嶽に伝える
◆1/17(2.24)【京】朝廷参豫会議5:公武一和のやり方等下問/服制復旧(2):総裁職松平直克、容保に慶喜への取り成しを頼む/島津久光参内し、叙任を謝す/紀州藩主徳川茂承入京/ 英国代理公使ニール、ロンドン覚書の破棄・諸侯との直接通商開始の改善を幕府に迫る
◆1/18(2.25) 【京】服制復旧(3):幕府、復旧を停止/老中水野・有馬、春嶽らに総裁職の従四位上昇進周旋を依頼/将軍再上洛(3)春嶽・宗城・容堂と阿波藩主蜂須賀斉裕、二条城に登城。家茂に公武一和について上言/慶喜、御所車寄せでの昇降を許される/家茂、容保に病気見舞の使者を派遣
◆1/19(2.26)【京】参豫久光、春嶽・宗城と共に二条城にのぼり、家茂と初めて面会
◆1/20(2.27)【京】将軍再上洛(4)将軍に右大臣宣下の内旨/慶喜に準将軍宣下との噂が流れ、一時二条城は騒動に。
◆1/21(2.28)【京】将軍再上洛(5)将軍家茂参内。宸翰の勅書が下る最近の情勢は天皇に非があること、天皇と家茂との親睦が天下挽回に重要であること(朕汝を愛すること如子、汝朕を親むこと父の如くせよ)、無謀の攘夷は好まず、幕府で議論した結果に基づき一定不抜の国是を定めたいこと、容保・春嶽・宗城・久光との協力を望むこと)(実は草稿は薩摩藩)/長州東上(1)【京】桂小五郎、藩の要路に対し、久坂玄瑞及び奇兵隊士の上京不可の書を差し出す
◆1/22(2.29)【京】将軍再上洛(6)将軍、在京諸侯・有司に右大臣推任を告げる/参豫(13)将軍、朝議参豫春嶽・宗城・久光に宸翰を示し、協力依頼/幕府内に、会・越・宇・土・薩摩に対する嫌疑が起こる。/長州東上(2)【長】三条実美、水野正名・土方久元・真木和泉・宮部鼎蔵と議する

関連:■開国開城「政変後の京都−参豫会議の誕生と公武合体体制の成立」■幕末日誌文久3 ■テーマ別文久3年「横浜鎖港交渉(1)「将軍・後見職の再上洛」「参豫会議へ」「長州処分」「長州進発&家老の上京・嘆願」「勝海舟」■テーマ別元治1 「朝議参豫の動き」  「将軍の再上洛(2)」 「横浜鎖港交渉問題(2)」 「長州・七卿処分(2)」  「長州藩の東上(進発論VS慎重論)」 ■守護職日誌文久3 ■越前藩日誌文久3 ■長州藩日誌文久3薩摩藩日誌文久3 ■徳川慶喜日誌文久3

元治2年
◇1/8(1865.2.3)道頓堀ぜんざい屋事件
◇1/10(2.5) 新選組谷三十郎、ぜんざい屋事件の報告を出す
◆◇1/11(2.6)新選組、会津候賞賛&天誅予告状を張り出す
◆1/19(2.14)禁裏守衛総督一橋慶喜、幕府に天狗党を引き渡し
◇1/26(2.21)新選組、六角源氏と名乗る一団を捕縛
◇1/27(2.22) 新選組、六角源氏残党を捕縛
◆2/1(2.26) 守護職容保の東下願い勅許

応3年(1867年)
◇1/1(1867.2.5)新選組伊東・永倉・斎藤ら隊規違反で島原に流連?(疑問あり)
◇1/7(2.8)伊東・永倉・斎藤、隊規違反で謹慎?
◇1/7(2.11)新選組沖田・永倉・斎藤、四条橋で土佐浪士らと乱闘?
◇1/10(2.14)新選組田内知、士道不覚悟により切腹

応4年(1868年)
◆◇慶応4年1/9(1868.2.2)【坂】旧幕軍・新選組江戸へ退却/【京】東海道総督府に桑名藩討伐令/岩倉具定を東山道鎮撫総督に任命
◆1/10(2.3)【京】慶喜・容保・容敬らの官位を剥奪/朝廷、慶喜の追討令及び農商布告を掲示
◆1/12(2.5)【江】徳川慶喜、江戸城到着。天璋院に面会して事情を説明。静寛院宮(和宮)に謁見を請うが拒絶される。
◆1/14(2.7)【江】朝廷、静寛宮に使者を派遣し、勝海舟・大久保一翁(忠寛)に頼るよう言上させる。
◇1/15(2.8)富士山丸、品川到着/慶喜、天璋院の仲立ちで静寛院宮(和宮)に謁し、事情を説明
◆1/16(2.9)【江】慶喜、天璋院を通して、静寛院宮(和宮)に救解を依頼
◆1/17(2.10)【江】慶喜、議定の春嶽・容堂らに弁明依頼の書簡を発す/静寛院宮、慶喜・天璋院と会見し、使者の京都派遣を決定。
◆1/18(4.28)【江】淀藩主稲葉正邦、老中辞職/仏公使ロッシュ、江戸到着
◆◇1/19(2.12)【江】新選組山口次郎(斎藤一)、医学所で手当てを受ける/ロッシュ、慶喜に面会して援助を申し出る
◆1/21(2.15)【江】慶喜、春嶽らに退隠の意図を書簡で報せる/静寛院宮、慶喜救解歎願の使者土御門藤子を発す/【京】東山道鎮撫総督軍、京都を出立
◆1/23(2.17)【京】岩倉具視、春嶽に慶喜寛典の内意を示す【江】勝海舟、陸軍奉行並から陸軍総裁に転任/大久保一翁、会計総裁に任命/【桑】藩主定敬の弟定教、四市の総督府に恭順を申し入れる
◆1/25(2.19)【江】慶喜、春嶽に嗣子を紀州藩主徳川茂承にしたいとの書簡
◆1/26(2.20)【京】岩倉、春嶽に慶喜の恭順謝罪周旋を依頼。春嶽、松平直克に書簡を送り、慶喜に恭順謝罪の勧告を要請


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