幕末京都日誌(過去ログ整理) 事件開国-開城(マクロな歴史) HP内検索 HPトップ
★文久2年春の島津久光率兵上京(こちら)〜慶応4年春江戸開城までの京都を中心とした幕末政治(と衛士)の々の動きを1日ずつ?更新。(和暦の方は月の満ち欠けに呼応していて、たとえば15日は満月となります) ★折々の草莽たちの詩歌をご紹介(このページを開くたびににランダムに表示されます) |
2月の詩歌 |
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慶応3年(1867年) ◇1/1(1867.2.5)新選組伊東・永倉・斎藤ら隊規違反で島原に流連?(疑問あり) ◇1/7(2.8)伊東・永倉・斎藤、隊規違反で謹慎? ◇1/7(2.11)新選組沖田・永倉・斎藤、四条橋で土佐浪士らと乱闘? ◇1/10(2.14)新選組田内知、士道不覚悟により切腹 |
慶応4年(1868年) ◆◇慶応4年1/9(1868.2.2)【坂】旧幕軍・新選組江戸へ退却/【京】東海道総督府に桑名藩討伐令/岩倉具定を東山道鎮撫総督に任命 ◆1/10(2.3)【京】慶喜・容保・容敬らの官位を剥奪/朝廷、慶喜の追討令及び農商布告を掲示 ◆1/12(2.5)【江】徳川慶喜、江戸城到着。天璋院に面会して事情を説明。静寛院宮(和宮)に謁見を請うが拒絶される。 ◆1/14(2.7)【江】朝廷、静寛宮に使者を派遣し、勝海舟・大久保一翁(忠寛)に頼るよう言上させる。 ◆◇1/15(2.8)富士山丸、品川到着/慶喜、天璋院の仲立ちで静寛院宮(和宮)に謁し、事情を説明 ◆1/16(2.9)【江】慶喜、天璋院を通して、静寛院宮(和宮)に救解を依頼 ◆1/17(2.10)【江】慶喜、議定の春嶽・容堂らに弁明依頼の書簡を発す/静寛院宮、慶喜・天璋院と会見し、使者の京都派遣を決定。 ◆1/18(4.28)【江】淀藩主稲葉正邦、老中辞職/仏公使ロッシュ、江戸到着 ◆◇1/19(2.12)【江】新選組山口次郎(斎藤一)、医学所で手当てを受ける/ロッシュ、慶喜に面会して援助を申し出る ◆1/21(2.15)【江】慶喜、春嶽らに退隠の意図を書簡で報せる/静寛院宮、慶喜救解歎願の使者土御門藤子を発す/【京】東山道鎮撫総督軍、京都を出立 ◆1/23(2.17)【京】岩倉具視、春嶽に慶喜寛典の内意を示す【江】勝海舟、陸軍奉行並から陸軍総裁に転任/大久保一翁、会計総裁に任命/【桑】藩主定敬の弟定教、四市の総督府に恭順を申し入れる ◆1/25(2.19)【江】慶喜、春嶽に嗣子を紀州藩主徳川茂承にしたいとの書簡 ◆1/26(2.20)【京】岩倉、春嶽に慶喜の恭順謝罪周旋を依頼。春嶽、松平直克に書簡を送り、慶喜に恭順謝罪の勧告を要請 |
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