■第2回朝廷参豫会議 【京】文久4年1月11日(1864年2月18日)、参豫諸侯(一橋慶喜、松平春嶽、伊達宗城)は参内し、朝議に参豫しました。(松平容保・山内容堂は欠席)。 この日も御前会議ではなく、下問形式でした(小御所下段)。下問の主な内容は、(1)来る15日に入京する将軍参内の日取りは18日でよいかどうか、(2)久光に官位叙任(=少将)をしても、容堂・宗城(=侍従)との席順に不都合がないかどうか、の2点でした。参豫諸侯は、調べた上で明朝関白に報告する旨を回答したそうです。 <ヒロ> 朝議参豫の辞任を願い出ている容堂はこの日も朝議に出ませんでした(最初から最後まで朝議には参豫しませんでした)。また、容保はこの日以降、朝議に参豫することがありませんでした。体調不良が理由にされています。(容保の件は別途フォローします〜) 表:これまでの朝廷参豫会議出席者と議題
関連:■開国開城「政変後の京都−参豫会議の誕生と公武合体体制の成立」 ■テーマ別元治1「朝議参豫の動き」 参考:『続再夢紀事』ニp345、『伊達宗城在京日記』(2007.12.24, 2010.1.2) ■将軍再上洛 【京】文久4年1月11日(1864年2月18日)、将軍家茂の入京に先立ち、政事総裁職松平直克及び老中水野忠精が入京しました。 その日のうちに、直克及び水野は慶喜邸を訪ねており、参豫会議を終えて退廷した慶喜・宗城と会っています。 関連:■開国開城「政変後の京都−参豫会議の誕生と公武合体体制の成立」■テーマ別元治1「将軍再上洛へ」 参考:『維新史料綱要』五(2007.12.24) |
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