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元治2年2月9日(1865.3.6)
【京】島津久光の使者大久保利通・小松帯刀、中川宮に謁し、参勤交代停止の朝命を内願
(菓子料金百両を贈る)
【京】二条関白、肥後留守居上田久兵衛に「懇篤の命」。久兵衛、中川宮に老中の暴政を語る

☆京都のお天気: 晴(朝彦親王日記、大久保利通日記)、陰寒(久兵衛の日記)

>参勤交代復旧問題
■薩摩藩の動き
【京】元治2年2月9日(3.6)、島津久光の命で上京した薩摩藩側役大久保一蔵(利通)が、家老小松帯刀とともに中川宮に閲し、参勤交替復旧停止の朝命を内願しました。中川宮は、明10日に近衛忠房と面会の上、忠房から返答あるべし、と答えました。

(おさらい)
文久2年閏8月、幕府は参勤交代・大名妻子の在府制度を改正し、大名の参勤は三年に一度、三カ月の在府とし、大名妻子の帰国を許していました。ところが、元治1年の禁門の変後の9月1日、幕府は、突然、(将軍の)「深き思召も被為在候ニ付」参勤交代及び諸大名妻子の在府制度の復旧を発令しました(こちら)。しかし、諸藩が様々な口実を設けて実行しなかったので、1月25日には、改めて諸藩に参勤交代の厳守を命じていました。

また、この日、薩摩側は、中川宮に、一蔵の「上京ニ付」、源氏たばこ一箱、車海老一箱、縮緬紅白二巻、金百両(菓子料として)を贈りました。(一蔵は7日に入京)

<ヒロ>
普通に賄賂ですよね。これには、中川宮は日記に「恐るべし、恐るべし」と記しています。(でも受け取るんですが)。

参考:『朝彦親王日記』一p151-153、『大久保利通日記』一p238-239(2019/2/11)

>老中本庄宗秀・阿部正外の率兵上京
■朝廷の動き
【京】元治2年2月9日(3.6)、二条関白は肥後藩留守居上田久兵衛を呼出し、「懇篤の命」を授けました。また、久兵衛は中川宮を訪ね、「種々老中ボウ政ノ事共」を話しました。

この日の、久兵衛は、朝に関白に召し出されて午後まで滞留して「懇篤之命」を受け、その後、六条邸、凝花洞(会津藩)、中川宮、さらに近衛忠房を回ったそうです。

<ヒロ>
二条関白が久兵衛を呼び出した理由や「懇篤の命」が何かはちょっと不明なのですが、明10日は朝議でもあり、両老中上京の件は含まれていると思います。

■老中の動き
同日、上京中の両老中から、中川宮に、「上京ニ付時候見舞」として、縮緬三反・肴代銀十枚(by 本庄宗秀)、肴代金千疋(=金10分=金2.5両)(by 阿部正外)が届けられました

<ヒロ>
薩摩藩の金百両と比べて微々たるものですが、これは「付け届け」みたいなもんなのでしょうか??(ちなみに、尾張藩は、7日に羽二重、肴代二千疋、金五百疋を差し出しているので、老中の贈物は、わりと相場?)

参考:『朝彦親王日記』一p151-153、『大久保利通日記』一p238-239、久兵衛の日記『幕末京都の朝廷と政局』p248(2019/2/11)

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