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月
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◆3/1(.3.27)【京】越前藩主松平茂昭出京(7日帰城)」容保、病につき黒谷に本陣移転。
◆3/2(.3.28)【京】朝廷、幕府に、長州藩主父子及三条実美ら五人の江戸召致、参勤交代の停止し、将軍の急速上洛による永世不朽の国是決定を命じる。
◆3/3(.3.29)
◆3/4(.3.30)【江】老中稲葉正邦、江戸著。
◆3/5(.3.31)【江】松前崇広登城。(玉四p182
◆3/6(.4.1)
◆3/7(4.2)【京】慶喜、関白二条斉敬を訪ねる。
◆3/8(.4.3)【江】老中阿部正外帰府。登営し、京情を陳じて将軍上洛を説く。
◆3/9(4.4)【越前】松平春嶽、書を前宇和島藩主伊達宗城に寄せ、長州藩主父子及三条実美等の江戸召致を拙策と評し、浪士武田耕雲斎等処分の惨状及残党の処分を寛大にすべきを陳べ、将軍上坂の急要を告げる。【江】幕府、容保に、速な将軍上坂の実行困難を報知く。
◆3/10(4.5)【京】老中本荘宗秀に急遽上京の命令。【江】幕府、英・仏・米・蘭各国使臣に牒し、下関取極書による瀬戸内海の開港困難なる国情を述べ、償金の支払いを告げる。
◆3/11(4.6)【京】徳川慶勝・所司代松平定敬、各禁裏守衛総督慶喜を訪ねる。
◆3/12(4.7)幕府、神戸」軍艦操練所を拝し。
◆3/13(4.8)【京】容保、幕府に書を復し、将軍上洛を説く/本庄宗秀、着京
◆3/14(.4.9)【京】老中本荘宗秀、召に依り参内。朝廷、将軍の上洛促進のための東下、水戸藩の興廃に関する措置は朝裁を経るべきと命じる。
◆3/15(.4.10)【京】宗秀、京都を発し、帰府の途に就く/容保、書を大老酒井忠績に復し、速に大将軍の上洛を決行すべきを説く。
◆3/16(.4.11)
◆3/17(.4.12)【】老中連署して容保に将軍上坂猶予について記す(玉p111)【坂】赤祢武人・淵上郁太郎大坂に到る。
◆3/18(.4.13)慶喜、春嶽に書簡。
◆3/19(.4.14)
◆3/20(4.15)
◆3/21(4.16)【江】幕府、軍艦奉行小栗忠順を罷免。
◆3/22(4.17)薩摩藩士、英国に向かう/関白二条斉敬、武家伝奏野宮定功・同飛鳥井雅典に、老中阿部正外に将軍上洛の事を督促させ、帰府後の事情を報告させることを命じる
◆3/23(4.18)
◆3/24(4.19)
◆3/25(4.20)水戸藩、元藩士武田正生「耕雲斎」・同山国兵部「共昌」・同田丸稲之衛門「直允」・同藤田小四郎「信」の首級を城下に梟し、正生の妻及児孫を斬り、其女及兵部等の妻子を終身禁錮に処す。在京の鹿児島藩家老小松帯刀「清廉」、在藩の藩士大久保一蔵に上国の形勢を報ず。
◆3/26(4.21)【京】慶勝、退京(29日に帰城)。
◆3/27(4.22)【坂】浪士赤祢武人、大坂で幕吏に捕縛される。
◆3/28(4.23)
◆3/29(4.24)-老中、会藩への疑問氷解。 |