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元治1←幕末京都日誌<元治2/慶応1(1865)年>→慶応2

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幕末京都の主なできごと 

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◆1/1(1.27)【広島】征長総督府の幕府への使者、海路江戸へ【小倉】征長副将松平茂昭「、解兵令を下関口討手の諸藩に伝達
◆1/2(1.28)】【下関】長州藩士高杉晋作遊撃隊を率いて、下関新地の会所を占拠。
◆1/3(1.29)
◆1/4(1.30)【京】中川宮・一橋慶喜、征長総督徳川慶勝の帰京を「残念」だと述べあう【芸州】征長総督、広島出立/幕府の上使、行き違いで到着/
◆1/5(1.31)【芸州】夕、幕府の上使大目付大久保忠宣・目付山口直毅、慶勝に追いつき、征長総督徳川慶勝、長州藩主父子と五卿の江戸護送&後命あるまでの撤兵不可の幕命を伝える。慶勝、了承せず。
◆1/6(2.1)【長州】奇兵隊等諸隊挙兵
◆1/7(2.2)
◆1/8(2.3)【江】老中松前崇広帰府&水野老中に将軍上洛を説くが登城差し止め/【越前】春嶽、山階宮へ書を復し、将軍の急速上洛による国是決定が急務であると説く。/春嶽、伊達宗城へ書を復し、朝幕融和のためには、有力諸侯召集は将軍上洛後にすべきと述べる。【京】この頃、尾張藩士若井鍬吉、有力諸侯召集につき、一橋慶喜及び近衛忠房の同意を得る【坂】道頓堀石蔵屋事件(大坂新撰組による土佐浪士襲撃)
◆1/9(2.4)【京】若井鍬吉、近衛忠房・小松帯刀と会し、征長7候の召集で合意【江】若年寄立花帰府
◆1/10(2.5)
◆1/11(2.6)【江】老中本庄宗秀・阿部正外に上京の幕命/征長総督使者及び大目付永井尚志、江戸着【姫路】慶勝、上京せず急遽参府せよとの幕命に接する【坂】新選組、守護職松平容保賞賛&天誅予告状を張り出す
◆1/12(2.7)【江】老中松前崇広、容保・定敬に、両老中上京、その目的(賄賂による将軍上洛阻止・幕府歩兵による御所九門の警衛実現)、幕閣の内情等を知らせる【小倉】副将松平茂昭、小倉出立(15日兵庫着)
◆1/13(2.8)【江】若年寄立花種恭、引き籠り
◆1/14(2.9)【長府】五卿、筑前に渡航。
◆1/15(2.10)【江】幕府、長州処分の江戸での決定&将軍進発延期を布令。 五卿、筑前上陸/【薩】西郷、鹿児島着
◆1/16(2.11)【坂】慶勝、大坂到着
◆1/17(2.12)
◆1/18(2.13)【京】将軍家茂に長州処分のための速やかな上坂の勅、征長総督徳川慶勝に暫時滞留の朝命/常野浪士追討軍総括田沼意尊、天狗党受取のため上京。
◆1/19(2.14)【京】禁裏守衛総督一橋慶喜、幕府に天狗党を引き渡しを奏上【京】中川宮・上田久兵衛、二老中上京情報を入手【坂】茂昭、着坂。尾張藩士若井鍬吉、越前本陣を訪ねて諸侯召集の首尾を語る(二条関白・中川宮・会津は同意せず【江】老中本庄宗秀、江戸出立
◆1/20(2.15)【江】老中阿部正外、江戸出立
◆1/21(2.16)【坂】慶勝、朝命によりいったん上京参内し、後に参府することを上申【江】薩藩柴山良助、勝海舟を訪ねて松前老中・立花若年寄の慶喜召喚始末について述べる
◆1/22(2.17)【京】征長副将松平茂昭着京。
◆1/23(2.18)【京】所司代、朝廷に老中上京を報告
◆1/24【京】征長総督徳川慶勝、着京。諸侯召集を朝廷に内願/会津藩公用方広沢富次郎、容保東下の決意を中川宮に知らせる/会・桑公用人(小森久太郎、野村左兵衛、外島機兵衛、倉沢右衛門、森、岡本)、一橋邸訪問/肥後留守居上田久兵衛、一橋家臣川村に慶喜の諸侯召集を批判/【肥後】藩主弟長岡良之助(細川護美)、島津久光に書を復し、有力諸侯召集周旋のための「かりそめ」の上京は困難だと述べる
◆1/25(2.20)【江】幕府、諸藩に参勤交代の厳守を命じる【京】朝廷、容保の東下は老中阿部正外の東帰後の様子次第で命ずると決める(慶応乙丑記事)
◆1/26(2.21)【京】徳川慶勝、藩士田宮如雲を会津藩に派遣&会津藩公用人野村左兵衛を呼んで容保東下中止を説得させる【京】肥後藩上田久兵衛、六条有容から、25日に一会桑から諸藩召集不可の建言があり、容保東下もとりやめになったときく/加賀藩士、越前藩士に、両老中上京の趣意は、諸政委任、慶喜のこと(召喚)、兵庫開港かとの憶測を述べる/新選組、六角源氏と名乗る一団を捕縛
◆1/27(2.22)【京】所司代松平定敬に、18日の勅に従った長州処分の将軍上洛あるいは上坂の朝命(二条関白の命)を伝達/慶喜、長岡良之助に「列藩召相止候」と知らせる【京】会津藩公用方広沢富次郎、中川宮に先日の件の話をする
◆1/28(2.23)【京】慶勝、慶喜に長州処分のため諸侯召集を求める。慶喜同意/会津藩、尾張藩に諸侯召集猶予を申し入れる
◆1/29(2.24)【京】二条関白、中川宮に尾張・会津の内願検討の評議開催を通知し、参内を求める。中川宮、返書にて、尾張の論を「非」、会津の論を「是」と述べる/会津藩公用人野村左兵衛、慶喜・二条関白に容保東下の決意を述べ、諸侯召集猶予を求める。慶喜・慶勝、会津藩の主張を受け入れる/野村左兵衛、議奏正親町三条実愛に時勢と「両敬」について相談 【越】春嶽、近衛前関白に書を送り、慶喜の江戸召喚反対(将軍上坂までの滞留)を入説【江】薩藩留守居添役柴山良助、報告書に、老中本庄宗秀・阿部正外の率兵上京とその目的(慶喜召喚要請と将軍上洛中止の説明)、幕府が「寛政之御政事」復旧を望んでいること、復古的政策への諸藩の不満等)を記す//幕府、仏国全権公使ロッシュに横須賀製鉄所建設に関する約定書を交付。
◆1/30(2.25【京】容保、将軍上洛を促すための東下願いを朝廷に提出)/肥後藩留守居上田久兵衛ら、慶喜に容保東下反対を言上(慶喜、検討するという)/加賀藩、田沼に天狗党引渡し。
◆2/1(2.26)【京】守護職容保の東下願い勅許【京】容保、正親町三条実愛と「両敬の因」を結ぶ/【江】幕府、姫路藩主酒井忠績に大老を命じる/幕府、米国弁理公使プリュインに、兵庫先期開港の意思なしを回答
◆2/2(2.27)【京】会津藩公用人倉沢右兵衛、中川宮に、容保下向の間、浮説に同様せぬよう頼入る/中川宮、肥後藩留守居上田久兵衛の容保東下猶予論に同意し、二条関白に使者として派遣/二条関白、久兵衛の入説により老中参内までの容保の東下猶予に同意/【敦賀】春嶽、武田耕雲斎らの情状酌量・公明正大な処置を申し入れさせる/【京】所司代、朝廷に老中本庄宗秀の2月5日頃の着京を報告【筑/博多】大久保・吉井幸輔、西郷に書簡(玉p69-70)大久保・税所、海路上京へ。
◆2/3(2.28)【京】 容保東下の出立延期の御前会議。会津藩、出立延期を承諾。【京】越前藩重臣、中川宮に、一日も早い帰国を願い出る。
◆2/4(3.1)【京】老中の上京につき、容保の東下のための暇の参内中止/老中上京につき、容保東下猶予との内旨/肥後藩上田久兵衛、国許の書状に老中上京の目的に関する世評(慶喜召喚、守護職・所司代更迭、諸藩の御所警備廃止)を記す【敦賀】天狗党の処刑、始まる
◆2/5(3.2)【京】老中本庄宗秀の率兵入京/中川宮、二条関白に、老中への応対は「穏」かにと申し入れる【江】幕府、大目付駒井朝温・目付御手洗幹一郎に長州藩主父子の江戸護送を命ず/五卿警衛五藩に、三条実美等の江戸護送を命ず/征長総督徳川慶勝に、速な出府を命ず。【筑前】吉井幸輔・中岡慎太郎、三条実美に筑前藩の事情を報じる。実美、従士土方楠左衛門に中岡・吉井と上京させる
◆2/6(3.3)【京】二条関白、中川宮に朝議の「紛転」を告げ、早々の参内を求める/宗秀、慶喜に対し、将軍上洛中止・上洛督促の勅使下向の際の辞職の幕議決定を告げ、幕兵による御所守衛と慶喜・容保・定敬東帰実現の使命を述べる。
◆2/7(3.4)【京】老中阿部正外の率兵入京/一橋家黒川嘉兵衛、中川宮に慶喜がききとった老中本庄宗秀の使命等を伝える。また、天狗党処分で幕府を批判/中川宮、会藩倉沢右兵衛を関白に遣わし、老中との面会/宗秀、御所奥向きに贈賄工作を試みる/大久保一蔵、着京
◆2/8(3.5)【京】老中阿部正外、容保と会し、速な東下・滞府の上の将軍輔佐を促す/六条有容、中川宮への書状で、大原重徳の主張に二条関白が困っていると知らせ、「強キ計カ御為トモ不存」と述べる/【長州】赤祢武人・吉井幸輔・中岡慎太郎・土方久元ら、白石家で会し、薩長和解を謀る
◆2/9(3.6)【京】久光の使者小松帯刀・大久保一蔵、中川宮に謁し、参勤交代停止の朝命を請う。金100両献上/二条関白、肥後留守居上田久兵衛に「懇篤の命」。久兵衛、中川宮に老中の暴政を語る【長州】藩士村田蔵六(大村益次郎)を上海に派遣しし、藩船壬戌丸を売却させる。
◆2/10(3.7)【京】老中本庄・阿部、所司代松平定敬を呼出し、将軍上洛不可能・征長総督徳川慶勝の速やかな東下を朝廷に達するよう指示。定敬、将軍の為にならないと断る/朝議、両老中を15日に召して上京の趣旨を尋問することを決定/孝明天皇、関白以下に老中からの賄賂を受領禁止の沙汰。
◆2/11(3.8) 【京】中川宮、越前藩に老中上京の詳細を語り、帰国の猶予・助力を求める。また、尾張藩に徳川慶勝の帰国の勘考を求める。【京】中川宮、会津藩主松平容保に東下宜しからずを申し入れる【京】薩摩藩士大久保利通(一蔵)、近衛前関白父子に参勤交代停止の朝命を内願。【京】一蔵、日記に、幕威復活の「暴意」を記し、天狗党処分の「苛酷」を「幕滅亡の表」と批判
◆2/12(3.9)【京】老中阿部正外、容保に、上京の使命は実現不可能だと思うが、老中水野・牧野の命で仕方なく上京したと明かす】会津藩公用人小森久太郎、中川宮に容保東下の意思を回答する/広沢富次郎、中川宮訪問【江】幕府、大目付駒井朝温を罷免・差控を命ず。
◆2/13(3.10) 【京】孝明天皇、二条関白を通して、松平容保に御符を下賜。【江】幕府、総督・守護職の月1万両賜金を停止。【京】薩摩藩士吉井幸輔及び五卿随従の土佐浪士中岡慎太郎・土方久元着京。
◆2/14(3.11)【京】薩摩藩士吉井幸輔、在京の人から聞いた京都の近情を中岡慎太郎に話す(老中の率兵上京とその目的、幕府による長州藩主父子・五卿の江戸送致方針) 【長州】椋梨藤太・同中井栄次郎・同小倉半左衛門等12人萩を脱して石見に走る。
◆2/15(3.12)【京】両老中、参内を辞す/朝廷、幕兵の御所内外の徘徊を禁止/関白・中川宮内談/薩摩藩吉井幸輔、越前藩邸訪問(本p183)【敦賀】幕府、元水戸藩士秋山又三郎等135人を敦賀で斬刑。
◆2/16(3.13)【京】肥後藩留守居上村彦次郎、中川宮に対し、容保東下に良之助・容堂等同行の噂を確認。老中稲葉正邦の帰府の請願を聴許。越前藩、山階宮から両老中上京の次第をきくp183【敦賀】幕府、元水戸藩士浜野松次郎」等102人を斬る。
◆2/17(3.14)【京】肥後藩小笠原一学、国許に京都の近情を知らせる。(2/5no20)/海江田武次、蓑田書簡(玉p80)
◆2/18(3.15)【京】久兵衛、桑名藩を説得pp101
◆2/19(2.16) 【敦賀】幕府、元水戸藩士綿引左近等75人を敦賀に斬る。
◆2/20(3.17)
◆2/21(3.18)【京】久兵衛、桑名藩と内談。p102慶勝、五卿の江戸護送不可を幕府(牧野老中)に上申
※◆2/22(3.19)【京】老中、朝命で参内。関白二条斉敬、率兵上京を詰問し、将軍上洛の遅緩を叱責。正外に東帰を命じて将軍出発を督促させ、宗秀を大坂に下して摂海警衛に任ずる「玉4p113/
※◆2/23(3.20)【京】守護職松平容保に命じ、老中阿部正外の復奏するまでの東下を延期させる。/小笠原一学、国許に書簡2/5-31/新選組副長山南切腹。【筑前】五卿、大宰府延寿王院へ/熊本藩庁記録
※◆2/24(3.21)【京】老中阿部、帰府。老中本庄、下坂。山南葬儀/【京】小松大久保・吉井、西郷に阿部・本庄の上京始末を知らせる(玉p83,86)
◆2/25(3.22)
◆2/26(3.23)
◆2/27(3.24)【京】征長総督徳川慶勝・同副将松平茂昭、参内し、萩藩主毛利敬親父子の服罪・同藩鎮定の状を復奏す
◆2/28(3.25)【京】征長総督徳川慶勝、元権中納言三条実美等の江戸護送を姑く猶予すべき旨を幕府に進言す。西本願寺、新選組に寺の使用を許す
◆2/29(3.26)【江】柴山良助報告書(両老中不首尾p90-103)

3

◆3/1(.3.27)【京】越前藩主松平茂昭出京(7日帰城)」容保、病につき黒谷に本陣移転。
◆3/2(.3.28)【京】朝廷、幕府に、長州藩主父子及三条実美ら五人の江戸召致、参勤交代の停止し、将軍の急速上洛による永世不朽の国是決定を命じる。
◆3/3(.3.29)
◆3/4(.3.30)【江】老中稲葉正邦、江戸著。
◆3/5(.3.31)【江】松前崇広登城。(玉四p182
◆3/6(.4.1)
◆3/7(4.2)【京】慶喜、関白二条斉敬を訪ねる。
◆3/8(.4.3)【江】老中阿部正外帰府。登営し、京情を陳じて将軍上洛を説く。
◆3/9(4.4)【越前】松平春嶽、書を前宇和島藩主伊達宗城に寄せ、長州藩主父子及三条実美等の江戸召致を拙策と評し、浪士武田耕雲斎等処分の惨状及残党の処分を寛大にすべきを陳べ、将軍上坂の急要を告げる。【江】幕府、容保に、速な将軍上坂の実行困難を報知く。
◆3/10(4.5)【京】老中本荘宗秀に急遽上京の命令。【江】幕府、英・仏・米・蘭各国使臣に牒し、下関取極書による瀬戸内海の開港困難なる国情を述べ、償金の支払いを告げる。
◆3/11(4.6)【京】徳川慶勝・所司代松平定敬、各禁裏守衛総督慶喜を訪ねる。
◆3/12(4.7)幕府、神戸」軍艦操練所を拝し。
◆3/13(4.8)【京】容保、幕府に書を復し、将軍上洛を説く/本庄宗秀、着京
◆3/14(.4.9)【京】老中本荘宗秀、召に依り参内。朝廷、将軍の上洛促進のための東下、水戸藩の興廃に関する措置は朝裁を経るべきと命じる。
◆3/15(.4.10)【京】宗秀、京都を発し、帰府の途に就く/容保、書を大老酒井忠績に復し、速に大将軍の上洛を決行すべきを説く。
◆3/16(.4.11)
◆3/17(.4.12)【】老中連署して容保に将軍上坂猶予について記す(玉p111)【坂】赤祢武人・淵上郁太郎大坂に到る。
◆3/18(.4.13)慶喜、春嶽に書簡。
◆3/19(.4.14)
◆3/20(4.15)
◆3/21(4.16)【江】幕府、軍艦奉行小栗忠順を罷免。
◆3/22(4.17)薩摩藩士、英国に向かう/関白二条斉敬、武家伝奏野宮定功・同飛鳥井雅典に、老中阿部正外に将軍上洛の事を督促させ、帰府後の事情を報告させることを命じる
◆3/23(4.18)
◆3/24(4.19)
◆3/25(4.20)水戸藩、元藩士武田正生「耕雲斎」・同山国兵部「共昌」・同田丸稲之衛門「直允」・同藤田小四郎「信」の首級を城下に梟し、正生の妻及児孫を斬り、其女及兵部等の妻子を終身禁錮に処す。在京の鹿児島藩家老小松帯刀「清廉」、在藩の藩士大久保一蔵に上国の形勢を報ず。
◆3/26(4.21)【京】慶勝、退京(29日に帰城)。
◆3/27(4.22)【坂】浪士赤祢武人、大坂で幕吏に捕縛される。
◆3/28(4.23)
◆3/29(4.24)-老中、会藩への疑問氷解。
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閏5月
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無断転載・・複写、及びやおい作品へのご利用は固くおことわりしますm(__)m。
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