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文久3年5月15日(1863.6.30)
【京】朝廷、御所出火時の諸藩の九門外・六門警備担当部署を定める
【京】勝海舟、松平容保に謁し、八幡・山崎関門修築を協議/
【久】真木救解(5)長州藩士山縣九右衛門・杉山松助、
久留米の淵上郁太郎とともに、真木和泉ら釈放の朝旨を
久留米藩主に伝宣。

■御所九門・六門警備
【京】文久3年5月15日、朝廷は、御所近隣出火の際、土佐・肥後・長州・仙台藩・水戸藩・備前・薩摩・因幡・阿波の九藩に外講九門外の非常警戒を、会津・所司代・芸州・米沢・中津藩の五藩に内講六門の警守を命じました。(16日説あり)

同時に、出火時は「主人」がまず学習院に参集して武家伝奏の指図を得て参内すること、火事装束を着用すること、小規模火災で暫時鎮火の場合は「主人」の参集に及ばぬこと、参集の際は九門内の乗馬が許されること、等が達せられました。

表1:出火時の御所外講九門外警備担当(関連:豆知識:御所の九門・六門
門の名称 位置 5月15日(出火時の非常警戒) 備考
今出川門 北側 備前岡山 門外混雑時は、門内近衛家築地際
乾門) 西 薩摩 門外混雑時は、門内近衛家四脚門周辺
中立売門 西 因幡 門外混雑時は、北側築地際
蛤門 西 水戸
下立売門 西 仙台
堺町門 長州
寺町門 肥後
清和院門 土州(土佐)
石薬師門 阿州(阿波)
(参考:『贈従一位池田慶徳公御伝記』収録の沙汰書より作成)

九門警備諸藩は、基本的に門外の警備担当になります。

表2:出火時の御所内講六門警守担当藩
門の名称 位置 5月15日(出火時警守担当) 備考
朔平門前  北側 奥平(中津)
唐門 西 会津(守護職)・所司代(長岡)
清所門 西 会津(守護職)・所司代(長岡)
准后門前 西 会津(守護職)・所司代(長岡)
建礼院門(南門)  芸州 築地際
建春院(東門)  米沢 築地際
(参考:『贈従一位池田慶徳公御伝記』収録の沙汰書より作成)

六門警備諸藩は、基本的に門前及び築地側(つまり内裏をのぞく)警備担当になります。

<ヒロ>
●会津藩の動き
実は、5月14日に御所近隣で火災があり、会津藩は兵を急遽出し、容保自ら三隊その他の兵を率いて御所の警備につきました。このとき、兵は築地内まで入ったようですが、黒谷から御所まで人馬が連なっていたそうです。朝廷も驚き、何等かのルールを定める必要を感じたのではと想像します。

参考:『贈従一位池田慶徳公御伝記』一p340、『七年史』一p299(2012.12.25)
関連■テーマ別文久3年:「親兵設置と御所九門・六門警備
(*日付は『御伝記』。ちなみに『維新史料綱要』デジタル版は15日に沙汰。紙版は16日)
■真木和泉救解
【久留米】文久3年5月15日、長州藩士山縣九右衛門・杉山松助が久留米の淵上郁太郎とともに、真木和泉ら釈放の朝旨を久留米藩主に伝宣しました。

参考:『修訂防長回天史三下』P416・『維新史』三(2004.7.1)

■勝海舟
【京】文久3年5月15日、勝海舟が、松平容保に謁し、八幡・山崎関門修築を協議しました。

参考:『勝海舟全集』一(2004.7.1)

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