6月の「今日の幕末」 幕末日誌文久3 テーマ別文久3 HP内検索 HPトップ
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■御所九門・六門警備 【京】文久3年5月15日、朝廷は、御所近隣出火の際、土佐・肥後・長州・仙台藩・水戸藩・備前・薩摩・因幡・阿波の九藩に外講九門外の非常警戒を、会津・所司代・芸州・米沢・中津藩の五藩に内講六門の警守を命じました。(16日説あり) 同時に、出火時は「主人」がまず学習院に参集して武家伝奏の指図を得て参内すること、火事装束を着用すること、小規模火災で暫時鎮火の場合は「主人」の参集に及ばぬこと、参集の際は九門内の乗馬が許されること、等が達せられました。 表1:出火時の御所外講九門外警備担当(関連:豆知識:御所の九門・六門)
九門警備諸藩は、基本的に門外の警備担当になります。 表2:出火時の御所内講六門警守担当藩
六門警備諸藩は、基本的に門前及び築地側(つまり内裏をのぞく)警備担当になります。 <ヒロ> ●会津藩の動き 実は、5月14日に御所近隣で火災があり、会津藩は兵を急遽出し、容保自ら三隊その他の兵を率いて御所の警備につきました。このとき、兵は築地内まで入ったようですが、黒谷から御所まで人馬が連なっていたそうです。朝廷も驚き、何等かのルールを定める必要を感じたのではと想像します。 参考:『贈従一位池田慶徳公御伝記』一p340、『七年史』一p299(2012.12.25) 関連■テーマ別文久3年:「親兵設置と御所九門・六門警備」 (*日付は『御伝記』。ちなみに『維新史料綱要』デジタル版は15日に沙汰。紙版は16日) ■真木和泉救解 【久留米】文久3年5月15日、長州藩士山縣九右衛門・杉山松助が久留米の淵上郁太郎とともに、真木和泉ら釈放の朝旨を久留米藩主に伝宣しました。 参考:『修訂防長回天史三下』P416・『維新史』三(2004.7.1) ■勝海舟 【京】文久3年5月15日、勝海舟が、松平容保に謁し、八幡・山崎関門修築を協議しました。 参考:『勝海舟全集』一(2004.7.1) |
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