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★文久2年春の島津久光率兵上京(こちら)〜慶応4年春江戸開城までの幕末政治(と衛士)の々の動きを1日ずつ?追っかけ中。(和暦は月の満ち欠けに呼応し、たとえば15日は満月となります)
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「6月の幕末京都&志士詩歌」

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外国人襲撃事件関係者ほかの詩歌計15首 『志士詩歌集』(昭和17)等

6月の幕末京都の過去ログリスト (全体の過去ログは幕末京都日誌に整理)

↓文久2(1862) 文久3(1863) 元治1(1864) 元治2(1865)

幕末関係   ◇御陵衛士(浪士組)関係
【文久2年
◆文久2年5/3(1863.5.31)【江】会津藩主松平容保、幕政参与に/【江】長州藩、桂小五郎に上京を命ずる
◆5/5/(6.2)【京】長州藩中老長井雅楽の謗詞事件
◆5/6/(6.3)【江】一橋慶喜、言動を慎むようにと家臣を諭す。
◆5/7/(6.4)【江】慶喜の江戸城登城。松平春嶽、幕政参与に。(&慶喜が参与に任命されなかった理由)
◆5/8/(6.5)【京】勅使(1)伝奏、勅使東下を所司代に伝える/【江】春嶽、国是の決定、開国創業の決意を将軍家茂に勧告/松平容保と春嶽の初会見
◆5/9/(6.6)【江】田安慶頼の将軍後見職免除/春嶽、登城して国是確立を再び説く/春嶽、容保を同席させるよう提案/幕府使節、英国との間にロンドン覚書調印
◆5/10/(6.7)【京】三条実美、九条関白の辞職を請願
◆5/11/(6.8)【京】勅使(2)朝廷、勅諭案(三事策)を議定/【江】幕府、水戸脱藩関鉄之介(大老井伊襲撃首謀者)を斬首
◆5/12/(6.9)【】勅使(3)薩摩藩国父島津久光に勅使随従の勅旨/【江】桂小五郎、江戸を出立/【京】久保清太郎・楢崎弥八郎・尾寺新之?。長井雅楽弾劾に東下。
◆5/13/(6.10)【江】老中久世広周、松平春嶽の慶喜登用主張に反対。/上洛(2)春嶽、上洛要請を断る/春嶽、御用部屋評議に参加
◆5/14/(6.11)【江】上洛(3)春嶽、老中板倉勝静と上京をめぐり激論。
◆5/15/(6.12)【京】勅使(4)久光、勅使東下延期に反対/【江】上洛(4)大目付大久保忠寛・駒井朝温、春嶽に老中上洛中止を説く/長井雅楽、長州藩の国事周旋に春嶽の協力を請う
◆5/16/(6.13)【江】勅使(5)京都から勅使東下の沙汰が届く/上洛(5)春嶽、将軍上洛の上の陳謝・慶喜登用等を説く
◆5/17/(6.14)【江】上洛(6)幕議、老中久世の上京中止を決定/春嶽、不満をもらす
◆5/18/(6.15)【京】勅使(6)近衛忠房、延期やむなきを久光に説明/【江】蕃書調所を洋書調所に改称
◆5/19/(6.16)【京】勅使(7)久光、東下の強い決意を示す/九条関白辞職し、近衛忠煕を関白にとの議/【江】慶喜を水戸藩主養子にとの議
◆5/20/(6.17)【京】勅使(8)大原重徳に、一橋慶喜・松平春嶽登用の沙汰書が授けられる
◆5/22/(6.19)【京】勅使(9)大原と護衛の薩摩兵京都出立/【江】将軍、制度の簡素化と武備充実を達す
◆5/23/(6.20)【江】前竜野藩主脇坂安宅老中に。老中内藤信親辞職願い。
◆5/24/(6.21)【江】上洛(7)老中、春嶽の将軍上洛主張に同意/所司代後任を本庄宗秀にとの評議/勅使(10)勅意三事策、江戸に伝わる。
◆5/26/(6.23)【江】上洛(8)幕議、将軍上洛を決定/老中内藤罷免/容保、本庄宗秀の所司代に反対・容保を所司代にとの内評
◆◇5/28/(6.25)【江】容保、所司代の内命を断る/幕府、長州藩主毛利敬親の上京を許可。/【京】清河八郎、長州藩浦靱負に薩長激励の上書。
◇5/29/(6.26)【京】清河八郎、桂小五郎の面会を求める
◆6/1/(6.27)【江】上洛(9)幕府、将軍家茂の近日上洛による公武一和を布告/東禅寺襲撃事件/【京】清河八郎、退京途上伏見の薩摩屋敷に立寄り、冷笑されるが、藩士某から活動資金200両を贈られる。
◆6/2/(6.28)【江】首席老中久世広周罷免。板倉、幕閣の中心に。
◆6/3/(6.29)【江】将軍家茂、慶喜を招いて懇談/勅使(11)幕府、勅使東下が薩摩藩の願いによるもので、天皇の意思でないと知る/薩摩藩士堀小太郎(伊地知貞馨)、春嶽に国事周旋の助力と久光との面会を求める
◆6/4/(6.30)【江】大小監察、御用部屋の評議に参加/老中、春嶽と久光の面会を承諾

関連■開国開城「薩摩の国政進出-島津久光の率兵上京と寺田屋事件」 「長州の国政進出航海遠略策「文2勅使大原重徳東下との幕政改革」長州藩論一転・破約攘夷へ」■テーマ別文久2年「島津久光率兵上京と寺田屋事件」「将軍徳川家茂上洛問題」「一橋慶喜・松平春嶽の登用問題と勅使大原重徳東下」「幕政改革問題」「長井雅楽」「京都所司代人事」■幕末日誌文久2守護職日誌文久2 ■薩摩藩日誌文久2 ■越前藩日誌文久2 ■長州藩日誌文久2

【文久3年】
◆4/15(6.1)【京】朝廷、長州・備前・水戸・土佐藩に攘夷の策略を諮問
◆◇4/16(6.2)【京】長州藩、時務策を朝廷に建言/【長】藩主敬親、山口に移る/【江】神奈川奉行浅野氏祐、住民を避難させる/京都守護職松平容保の壬生浪士上覧試合
◆◇4/17(6.3)【京】三条橋に将軍天誅の張り紙/壬生浪士近藤勇、「天狗」となり「水会利一存んの意図に相成兼候」 【長】攘夷戦争(2)毛利能登を赤間関海防総奉行にp440
◆4/18(6.4)【京】将軍東帰(11)&生麦賠償(20)幕府、将軍退京&攘夷のための後見職慶喜東帰を奏請
◆4/19(6.5)【京】将軍東帰(12)慶喜、攘夷期限を5月10日と内定
◆4/20(6.6)【京】将軍東帰(13)&攘夷期限()幕府、朝廷に攘夷(拒絶)期限は5月10日と返答/攘夷戦争(3)朝廷、定広に明21日帰国の暇【長】赤間関海防総奉行に軍令を与える
◆◇4/21(6.7)【京】将軍東帰(14)将軍家茂、大坂湾巡視のため退京して大坂城へ/壬生浪士下坂・警衛/朝廷、前尾張藩主徳川慶勝を、将軍輔翼に任命/長州藩世子定広帰国の途へ/朝廷、諸藩留守居に攘夷期限を5月10日と達す【江】生麦賠償(21)幕府、生麦事件償金支払決定
◆4/22(6.8)【京】生麦償金(22)慶喜、破約攘夷実行のため江戸へむけて出立(会津藩の反対聞き入れられず)/久光召命(1)孝明天皇、中川宮に薩摩を上京させよとの密勅/
◆4/23(6.9)【京】幕府、諸藩に攘夷期限を布告・来襲時は掃攘せよと命ず/【坂】姉小路公知、摂海巡視のため、長州・肥後藩士らを率いて下坂/容保、二条右大臣邸へ/将軍、 勝海舟に神戸海軍操練所の建設を許可する/【近江】生麦賠償(23)慶喜随従の岡部長常、刺客に襲われる
◆◇4/24(6.10)【京】神戸海軍操練所・造船所建設の幕命/【坂】残留浪士非主流派家里次郎、大坂で詰め腹をきらされる/
◆4/25(6.11)【京】激派公卿姉小路公知、大坂湾巡視。開国説へ/会津藩秋月悌次郎、幕府側用取次村松出羽守に将軍滞京を主張。
◆4/26(6.12)【京】容保の説得で徳川慶勝将軍輔翼就任/【熱田】生麦賠償(24)慶喜、江戸の老中に破約攘夷・開戦覚悟の訓令を発する/【長】攘夷戦争(4)久坂、30余名(主に軽輩)とともに山口着。藩庁に攘夷の先鋒を請う。敵情視察の名目を得て下関へ/
◆4/27(6.13)【坂】長州藩桂小五郎・対馬藩大島友之丞、勝を訪問/【長】攘夷戦争(5)久坂ら下関到着
◆4/28(6.14)【京】会津藩、近衛前関白の依頼により、朝倉幸之助捕縛に加勢。孝明天皇、激怒し、関白・議奏伝奏の参内を停止。
◆4/29(6.15)【長】攘夷戦争(6)京都出奔の激派公卿中山忠光、久坂らと会合
◆5/2(6.17)【京】関白以下の参内許可される。/姉小路公知、帰京【長】攘夷戦争(7)攘夷期限確定の報が山口に達する
◆5/3(6.18)【江】生麦償金(25)生麦事件償金支払い期限・幕府の延期交渉・英国戦闘準備に入る/尾張藩主徳川茂徳、償金支払上奏のため江戸を出立
◆5/4(6.19)【江】生麦償金(26)幕府、海岸守衛諸侯に警戒よびかけ。
◆5/5(6.20)【京】朝廷、海防に関する朝旨三か条を幕府に伝える/【京】真木和泉救解(1)久留米藩士小河佐吉ら脱藩・入京。長州藩士清水弥太郎・寺島忠三郎らに真木和泉釈放援助を請う。【長】攘夷戦争(7)久坂ら、光明寺に転陣
◆5/6(6.21)【京】真木救解(2)長州藩清水ら、国事御用掛三条実美に周旋を請う
◆5/8(6.23)【江】生麦償金(27)老中格小笠原、独断で償金支払い命令/慶喜、江戸に到着【長】真木救解(3)中山忠光、下関出立
◆5/9(6.24)【京】朝廷、海防に関する朝旨三か条を幕府に伝える/ (勝、姉小路の奏聞の結果だと感激)【江】老中格小笠原、償金を英国に渡す/各国公使に横浜鎖港交渉開始を告知/後見職一橋慶喜、登城。攘夷実行を諭し、井上清直(町奉行)・杉浦正一郎(目付)を横浜鎖港交渉委員に任命
◆5/10(6.25)攘夷期限。【長】攘夷戦争(8)長州藩(光明寺党)、下関で米国船ペンブローグ号砲撃(実際は11日未明)p443
◆5/11(6.26)【京】将軍、摂海巡視から京都に戻る/【長】真木救解(4)中山忠光、滝弥太郎・赤根武人らを従えて久留米到着。藩主面会を拒絶されて激怒。
◆5/12(6.27)【横】ロンドン密航の井上馨(聞多)・伊藤博文(俊輔)・山尾庸三・井上勝・遠藤謹助(長州ファイブ)、横浜出港
◆5/13(6.28)越前藩、幕府に外国人を交えての全国会議の建白書を提出(意見書)
◆5/14(6.29)【江】生麦償金(28)&慶喜辞表(1)慶喜、将軍後見職辞表(1度目)を朝廷に提出/【京】御所近隣出火。守護職出兵。
◆5/15(6.30)【京】勝、容保に謁し、八幡・山崎関門修築を協議/【久】真木救解(5)長州藩士山縣九右衛門・杉山松助、久留米の淵上郁太郎とともに、真木ら釈放の朝旨を久留米藩主に伝宣。

関連■開国開城「賀茂・石清水行幸と長州藩の攘夷戦争」「幕府の生麦償金交付と老中格小笠原長行の率兵上京」 ■テーマ別文久3年「攘夷期限」「生麦事件賠償問題と第1次将軍東帰問題」「第2次将軍東帰問題と小笠原長行の率兵上京」「長州藩の攘夷戦争」■幕末日誌文久3守護職日誌文久3 ■越前藩日誌文久3 ■長州藩日誌文久3薩摩藩日誌文久3  ■徳川慶喜日誌文久3

【元治元年】
◆元治元年4/27(1864.6.1)【京】横浜鎖港:三港閉鎖論で動揺の朝議、軍職返上も辞さない慶喜の激論及び水戸・川越の入説により、横浜一港閉鎖で決定。水戸・川越藩の鎖港担当が決まる/佐久間象山、越前藩中根雪江・村田巳三郎(氏寿)に開国論入説尽力を約束
◆4/28(.6.2)【京】横浜鎖港:水戸藩主徳川慶篤の使者・家老岡部忠蔵、禁裏守衛総督一橋慶喜に横浜鎖港断行を説く
◆4/29(.6.3)【京】将軍参内。4月20日の勅書に奉答。禁裏守衛総督慶喜&幕閣、朝廷尊奉18か条を奉承。/将軍東帰の許可&鎖港攘夷・水戸藩主へ諸事相談の勅命/川越藩家老山田太郎左衛門、大難を前に親藩の情義から止むを得ず鎖港を引き受けたと越前藩用人中根雪江に話す
◆5/1(6.4) 【京】中川宮、越前藩用人中根雪江に、三港閉鎖は国事掛のみの評議で、天皇の耳にはいれていないと話す。【京】前尾張藩主徳川慶勝帰国のため退京
◆5/2(6.5)【京】将軍暇乞の参内。朝廷、慶喜に鎖港決行・滞京を、政事総裁職松平直克に水戸藩主徳川慶篤と協力しての横浜鎖港尽力、老中稲葉正邦・水野忠精に滞京・守衛を命じる。/【水戸】藩校弘道館・文武館諸生ら集会。激派鎮圧及び大挙出府・慶篤への陳情を議す
◆◇5/3(6.6)【京】中川宮、佐久間象山に時務を諮る/新選組近藤勇、幕府に進退うかがいを提出/【江】幕府、新徴組を庄内藩主専属とする
◆5/4(6.7)【京】薩摩藩士?、長州藩士潜伏の風聞を国許に報告/総裁職松平直克退京【江】横浜鎖港:水戸藩、幕府に横浜鎖港断行を促す/
◆5/5(6.8)【京】長州処分:朝廷、長州藩末家入京の許否及び元老中小笠原長行の官位復旧を討議(おさらい:長使入京問題)。将軍、守護職松平容保に鞍鐙を下賜
◆5/6(6.9)【京】僧心蓮、大坂御堂前に梟首
◆5/7(6.10)【京】将軍退京。大坂城入城。幕府、会津藩に金一万両貸与。
◆5/8(6.11)【京】朝廷、幕府への庶政委任を諸藩に通達。議奏柳原光愛、辞職を請う
◆5/9(6.12)【坂】慶喜、摂海巡視のため下坂。/水戸藩、慶喜に将軍帰府前の攘夷断行を入説。慶喜、老中板倉勝静の排斥が急務と述べる/【京】朝廷、有栖川宮父子、九条道孝、鷹司輔政に国事御用掛を命じる/薩摩藩、幕府に対し、蒸気船運用術教授のため中浜万次郎(ジョン万次郎)の貸与を請願
◆5/10(6.13)【京】長州処分:朝廷、長州藩に勅使大坂派遣停止を通達。議奏正親町三条実愛、辞職を請う/【江】松平直克、帰府。幕府、京都守衛のために別手組200人を上京させる
◆5/11(6.14)【坂】将軍、軍艦鯉魚門に搭乗して摂海の砲台巡視/中岡慎太郎、土佐の同志に書を送り、奮起を促す/容保、療養のため寺町から黒谷に移る。
◆5/12(6.15)【京】帥宮、慶喜側近・原市之進に中川宮の影響力浸透を語る/西郷隆盛(吉之助)、在国の大久保利通(一蔵)に悪化する京都の事情、慶喜野心の噂等を報じる。/幕府、諸侯の京都発着は禁裏守衛総督・守護職・所司代・町奉行に稟申するよう命じる【天狗争乱】備前藩主池田茂政、朝廷・幕府に対し、常野屯集の水戸藩士らを攘夷の先鋒とさせることを建議し、慶喜に周旋を依頼する。【江】桑名藩士高野市郎左衛門、会津藩士らとともに在府老中板倉勝静に謁し、常野屯集の浪士と長州藩が結託していると告げ、将軍退京不可を入説。
◆5/13(6.16)【京】横浜鎖港:原市之進、江戸藩邸の同志に書を送り、将軍帰府前の鎖港断行の不首尾、板倉老中の排斥急務との慶喜の言などを知らせる
◆5/14(6.17)【坂】勝海舟、軍艦奉行に任命される/見廻組、会津藩に新選組の召抱えを打診
◆5/16(6.19)【坂】将軍、大坂出港。海路江戸へ
◆5/17(6.20)【外国】横浜鎖港交渉使節、フランス政府とパリ約定を調印(キンシャサ号砲撃賠償、下関通航、関税軽減)
◆5/18(6.21)【坂】横浜鎖港:慶喜の内命により、幕府に決行を促すため、在京水戸家老鈴木重義、山口徳之進ら東下
◆5/19(6.22)【京】慶喜、帰京/【水戸】水戸藩士長谷川作十郎、江戸の同志に対し、「痛憤之徒」慰諭には、横浜鎖港は勿論「征夷」も必要であり、真の鎖港には板倉勝静の「憤発」が不可欠だとを伝える。
◆5/20(6.23)【江】将軍帰府/四国艦隊:幕府、蘭国総領事に下関襲撃猶予を求める【京】新選組近藤勇、老中に将軍滞留中の鎖港断行・長州処分決定か新選組解散かを迫ったことを、故郷の知人に報せる
◆5/21(6.24)【京】四国艦隊:慶喜、長州藩京都留守居乃美織江に対し、不日の外国艦下関襲撃の風聞を告げる【江】蘭国総領事、幕府に対し、7月1日期限の謝罪・賠償を要求。【坂】天神橋に島津久光批判の張紙/内山彦次郎の斬奸状掲示
◆5/22(6.25)【京】横浜鎖港:幕府、水戸藩に鎖港断行に尽力を求める朝命を、慶篤に伝達/浪士、会津藩士松田鼎を殺害・梟首
◆5/23(6.26)【水】水戸藩使者美濃部・山国、再び田丸を説諭。
◆5/24(6.27)【京】幕府、軍艦奉行勝海舟を神奈川に派遣。/【天狗・諸生】慶篤、弘道館総裁青山延光らに親書を与える。
◆5/25(6.28)【京】長州処分:朝廷、長州藩に末家・家老の上坂停止・幕命を待つようと命じる/【天狗・諸生】反天狗の水戸藩家老朝比奈弥太郎・佐藤図書・市川三左衛門ら、文武師範・諸生500余人を率いて江戸に向かう(水戸藩市川派&鎮派(南発勢))
◆5/26(6.29)【京】見廻組(蒔田組)着京【江】幕府、水戸藩に筑波勢解散を命じ、尊攘激派武田耕雲斎を譴責する。/春嶽、慶喜の従二位大納言推叙任を近衛前関白に依頼
◆5/27(6.30)【京】四国艦隊:因幡藩士主催の親長州諸藩有志会議。長州援兵を議す。/浪士、中川宮家臣を殺害・梟首。【長州】家老国司信濃に上京を命じる

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