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文久3年5月16日(1863.7.1)
【京】将軍補翼徳川慶勝(前尾張藩主)に償金拒絶交渉経緯報告の沙汰

■生麦償金&将軍東帰問題
【京】文久3年5月16日、武家伝奏は、将軍補翼徳川慶勝(前尾張藩主。守護職/会津藩主の異母兄)に対して、生麦事件償金拒否の交渉経過を報告するよう命じました

朝廷は、4月20日に幕府が約束した攘夷期限の5月10日(こちら)をとうに過ぎているのに江戸から何の報知もないので、いったいどうなっているのか、と慶勝に報告を命じたそうです。実は、江戸では9日に償金が支払われていました(こちら)が、この時点では、慶勝自身も何も報告を受けていなかったので、とりあえず、状況を調査をしてお答えしますと回答したそうです。

この知らせは、攘夷を名目に東帰した一橋慶喜の後見職辞表(こちら)とともに19日夜に京都に届き、大騒ぎになります・・・。

☆5月12日に、越前藩士中根靭負が紀州藩士伊達五郎から聞いた話によれば(『続再夢紀事』)、生麦償金支払の報(噂?)は、少なくとも11日以前に京都に届いており、朝幕ともに大騒動になっていたようですし(こちら)、翌13日には、中根は、板倉老中から、江戸から到着した武本甲斐の伝えた支払の事情をきかされています(こちら)。慶勝は情報から置き去りにされていたのでしょうか、それとも知らぬふりをして朝廷に対応していたのでしょうか?あるいは正式な報告を待っていたのでしょうか?
参考>『維新史』三(2004.7.4)
関連:■開国開城:「幕府の生麦償金交付と老中格小笠原長行の率兵上京」■幕末日誌文久3 ■テーマ別文久3年:「攘夷期限」「生麦事件賠償問題と第1次将軍東帰問題」「第2次将軍東帰問題と小笠原長行の率兵上京


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