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文久2年6月8日(1862年7月4日)
【江】松平春嶽、島津久光と初会見


【江文久2年6月8日、松平春嶽は、勅使に随従して東下してきた薩摩藩国父島津久光と先約通り会見しました。

久光は前日に入府したばかりでした。久光は幕府の嫌疑を受けているのではないかと心配しており、今後の方策について春嶽に相談しました。老中と面会したいとの相談については、春嶽は「中書殿(脇坂安宅=中務大輔)」に会うようにと勧めました。また、久光は慶喜登用は朝廷の強い意志であること、天皇は攘夷を願っており、京都においても攘夷論が圧倒的であることなどを話したそうです。

<ヒロ>
春嶽と先代薩摩藩主斉彬はともに一橋派であり、深い親交がありましたが、春嶽と久光が会うのはこれが初めてです。久光はまず、自分の行動が斉彬の遺志を継ぐものであると説明し、協力を求めています。この時点で、春嶽(幕府)は、京都からの報告により、勅使東下が天皇の意向というより久光の強い意向で実現したと知らされていました。久光のいう「幕府の嫌疑」とはこのことでしょう。実際、幕府は久光に対して強い疑念を抱いていました。これは久光の国事周旋に大きな影響を与えますが、春嶽がどのように久光に告げたか(告げなかったか)は「再夢紀事」には記録されていません。残念。

参考>『再夢紀事・丁卯日記』(2002.7.4)
関連:■「開国開城」「文2:勅使&島津久光東下との幕政改革」 ■テーマ別文久2年:「一橋慶喜・松平春嶽の登用問題と勅使大原重徳東下」「薩摩藩と越前藩


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