幕末京都日誌(過去ログ整理) 事件:開国-開城(マクロな歴史) HP内検索 HPトップ
★文久2年春の島津久光率兵上京(こちら)〜慶応4年春江戸開城までの幕末政治(と衛士)の々の動きを1日ずつ?追っかけ中。(和暦は月の満ち欠けに呼応し、たとえば15日は満月となります) ★折々の草莽たちの詩歌をご紹介(このページを開くたびににランダムに表示されます) |
池田屋事件・朔平門外の変・衛士同志の会津藩邸横死事件 『志士詩歌集』(昭和17)等 |
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【元治元年5/6月】(1864年7月) |
◆5/28(7.1)【江】幕府、横浜鎖港を総裁職松平直克に委任すると布告/水戸藩、武田耕雲斎、興津蔵人、中山与三左衛門の江戸執政を罷免、慎隠居に。 ◆5/29(7.2)【京】薩摩藩家老小松帯刀、長州進発の世評等、切迫した情勢を国許に報せる【長州】進発決定の長州藩、家老国司信濃の上京を命じる【天狗・諸生】水戸藩市川派&鎮派(南発勢)、江戸藩邸に到着。激派鎮圧を訴える。 ◆5/30(7.3)【天狗・諸生】天狗党、筑波山転陣/【長州】家老福原越後に江戸行を命じる ◆6/1(7.4):宮部鼎蔵の下僕ほか、捕縛される この頃 市中警戒強化&新選組逸脱行為【京】西郷隆盛、国許の大久保利通に京都の風説と自分の考えを知らせる/【江】水戸藩、市川派の市川三左衛門・朝比奈弥太郎・佐藤図書、鎮派の戸田銀次郎を執政に任じる。 ◆6/2(7/5)【京】】西郷隆盛、国許の大久保利通に中川宮(尹宮)の悪評を報知&小松帯刀の帰国見合わせを要請)/毘沙門堂門跡の坊官今小路大蔵卿及び従士近田松之助、暗殺。 ◆6/3(7.6)【江】横浜鎖港:政事総裁職松平直克、鎖港断行及び鎖港に反対する幕閣更迭を将軍に進言 ◆6/4(7.7)【長】長州藩、世子の上京を藩内布告/西郷隆盛、吉井幸輔(友美)・伊地知正治と共に下阪。 ◆6/5(7.8)【京】池田屋事件(1)前日 ◆6/6(7.9)【京】池田屋事件(2)/【坂】西郷隆盛、国許の大久保利通に京都の情勢を報知(長州による変事発生の憂慮、薩摩藩の評判回復) ◆6/7(7/10) 【京】五條橋に禁裏守衛総督・摂海防御指揮徳川慶喜の罪状弾劾の書 ◆6/8(7.11)【京】池田屋事件(4)五條橋に一橋慶喜を黒幕とする批判の張り紙/】西郷、国許の大久保に池田屋事件を報知。慶喜の黒幕説、薩摩は中立を保つことを伝える。/近藤勇、与力上席内示を故郷に報じる ◆6/9(7.12)【京】池田屋事件(5)長州藩、慶喜に抗議/慶喜、前越前藩主松平春嶽に池田屋事件を報知。【天狗・諸生】幕府、川越以下11藩に天狗党追討の出兵を命ず ◆6/10(7.13)【京】明保野亭事件1(会津藩士柴司、土佐藩士麻田時次郎を浪士と誤まって刺す):(1) 幕府、池田屋残党追討令。古高らを六角獄へ。 ◆6/11(7.14)【京】明保野亭事件2(土佐藩麻田時太郎、自刃)【江】老中水野忠精、海路大阪より帰府/善福寺(米国仮公使館)付近に、外人が宿泊すれば焼棄するとの警告文が張られる。 ◆6/12(7.15)【京】明保野亭事件3(会津藩柴司、自刃) ◆6/13(7.16)【天狗・諸生】備前藩主池田茂政、直克に書を送り、速な横浜休港及び「憂国志士」(筑波勢)に罪譴を負わせぬよう説く ◆6/14(7.17)【京】/西郷隆盛、国許の大久保利通に池田屋事件・明保野亭事件に係る風説、長州における討幕説、中川宮の辞職周旋などを報じる【長州東上】藩主毛利敬親、池田屋事件の報により、家老益田右衛門介に上京を命じる/【江】浪士百数十名、幕府の弾薬を強奪る ◆6/15(7.18)【京】京都町奉行、諸藩士及浪士の止宿禁止を改めて通達【長州東上】長州藩、進発開始【天狗・諸生】水戸藩主徳川慶篤、執政市川・佐藤・朝比奈(市川派)に筑波山屯集激徒の鎮圧を命じる。 ◆6/16(7.19)【京】水戸藩士林忠五郎ら、一橋用人平岡円四郎暗殺/一橋家雇(水戸藩士)原市之進、池田茂政に書を送る ◆6/17(7.20)【天狗・諸生】総裁職松平直克、水戸藩による筑波天狗党説得鎮撫を主張し、幕兵派遣に反対。/水戸藩執政市川ら、藩兵を率い、幕府諸隊とともに江戸出発。/幕府、大目付大久保忠恕らを罷免 ◆6/18 (7.21)【京】慶喜、書を肥後藩主弟長岡良之助(護美」)に送り、幕閣の内情・水戸藩の内訌・自家への嫌疑を告げる。【江】四国艦隊砲撃:長州藩士井上聞多(馨)・伊藤俊輔(博文)、英国特派全権公使オールコックらから、藩主毛利敬親への書を預かり、英国艦に乗船して萩へ向かう/会津藩江戸家老上田一学、在京家老神保内蔵助等に、幕閣内訌の事情を報じ、会津藩は関与せぬよう求める。 ◆6/19(7.22)【京】朝廷、横浜鎖港に関する世評及び因幡・備前両藩の建白を議す。 ◆6/20(7.23) ◆6/21(7.24)【坂】長州軍(浪士真木保臣・長州藩士久坂玄瑞の率いる、忠勇・集議諸隊)着坂。/【京】会津藩、見廻組、新選組、彦根藩、大垣藩京都の警戒につく/海陸備向掛手付雇佐久間修理、中川宮に謁し、時務を陳ず。【京】西郷、国許の大久保に池田屋事件後の情勢を報知(西@326-330) ◆6/22(7.25)【京】長州東上::家老福原越後、兵を率いて着坂。藩士来島又兵衛、遊撃隊を率いて着坂→伏見藩邸に入る。/小松帯刀、京師の近況を国許の大久保一蔵(利通)に報ず。/【江】横浜鎖港:総裁職松平直克罷免される。 ◆6/23(7.26) ◆6/24(7.27)【京】朝議(慶喜・正邦参加)、庶政幕府委任・政令一途の趣旨を列藩に申令することを決す/長州入京:薩摩藩、京都守衛を理由に淀への出兵を拒否。福原越後と遊撃隊500名余、伏見到着。真木和泉・久坂玄瑞ら諸隊、山崎屯集 ◆6/25(7.28)【京】長州入京:長州藩留守居役乃美の言上。/横浜鎖港:一条家門流38名の横浜鎖港督促の建白/5【京】西郷、大久保に長州の伏見到着と在京薩摩藩の方針をを報知(西@326-330) ◆6/26(7.29)【京】長州入京:長州浪士、嵯峨屯集 ◆6/27(7.30)【京】長州入京:長州、京都来襲の噂。容保・会津藩兵御所内に。孝明天皇、長州兵入京拒否の勅。 関連:■開国開城■幕末日誌元治1 ■テーマ別元治1 「横浜鎖港問題(元治1)」 「長州・七卿処分問題(元治1)」「御所九門・六門警備/市中警備」 「長州藩の東上(進発vs慎重論)」 「水戸藩/天狗・諸生争乱」「池田屋事件〜禁門の変」■幕末日誌元治1■守護職日誌元治1 ■越前藩日誌元治1 ■薩摩藩日誌元治1 ■徳川慶喜日誌元治1 ■長州藩日誌元治1 |
【慶応3年6月】(1867年7月) |
◇慶応3年6/10(1867.7.11)【京】新選組総員幕臣取りたて/御陵衛士同志横死事件(1)幕臣取立てに反発 ◇6/13(1867.7.14)-【京】衛士同志横死事件(2)松平容保への上書提出 ◇6/14(1867.7.15):【京】衛士同志横死事件(3)会津藩邸で横死 |
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