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★文久2年春の島津久光率兵上京(こちら)〜慶応4年春江戸開城までの幕末政治(と衛士)の々の動きを1日ずつ?追っかけ中。(和暦は月の満ち欠けに呼応し、たとえば15日は満月となります)
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「7月の幕末京都&志士詩歌」

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池田屋事件・朔平門外の変・衛士同志の会津藩邸横死事件 『志士詩歌集』(昭和17)等

7月の幕末京都の過去ログリスト (全体の過去ログは幕末京都日誌に整理)

↓文久2年(1862)  文久3年(1863)  元治1年(1864)  慶応3年(1867)

◆幕末関連 ◇御陵衛士(浪士組)関連
文久2年6/7月(1862年7月)
◆文久2年6/5(1862.7.1):【江】久光の使者薩摩藩伊地知貞馨(堀小太郎)、幕政参与松平春嶽に久光への助力を求める/長井雅楽、帰郷謹慎を命ぜられる。
◆◇6/6(7.2):【江】長州藩主毛利敬親、江戸出立(薩長対立のきっかけ)/老中板倉勝静、春嶽に京都からの密書を見せる/越前藩、春嶽の進退を評議/【京】清河八郎、水戸浪士による横浜攘夷を企図して京都出立
◆6/7(7.3):【江】勅使大原重徳、島津久光と薩摩兵江戸着/周布、大原と面会
◆6/8(7.4):【江】春嶽、久光と初会談
◆6/9(7.5):【江】越前藩、春嶽の進退評議/久光の使者伊地知、越前藩に再び助力を求める。
◆6/10(7.6):【江】勅諚(1)勅使江戸城登城。一橋慶喜の後見職・松平春嶽の大老登用の沙汰を伝える。
◆6/11(7.7):【京】議奏、将軍上洛を促す書簡を大原に/【江】勅諚(2)幕府の評議/【京】中山忠能、土佐藩に上京の内命
◆6/13(7.9):【江】勅諚(3)勅使大原二度目の登城。容保・春嶽・老中らに回答催促。老中、慶喜の後見職・春嶽の大老就任に抵抗
◆6/14(7.10):【江】勅諚(4)越前藩、孤立する春嶽の進退を評議(&慶喜への「嫌疑」、薩摩藩への疑念、会津藩の動きは?)
◆6/16(7.12):【江】勅諚(4)島津久光、老中脇坂安宅に対して勅諚尊奉を遊説
◆6/17(7.13):【江】勅諚(5)幕議・勅諚は薩摩の私意から出るとみなし、慶喜登用を決めず/島津久光の薩摩藩主就任否決の幕議
◆6/18(7.14):【江】勅諚(6)勅使大原、三度目の登城。老中、春嶽の総裁職就任承諾。慶喜の登用は難色/春嶽辞任を決意し登城とりやめ/長井雅楽、謹慎のため帰国の途へ。
◇6/19(7.15):【京】清河、村上俊五郎とともに島田左近を襲撃するが失敗。
◆6/20(7.16):桂、中仙道中津川で藩主一行と合流。3日間協議。公武合体路線の破棄を決める。
◆6/22(7.18)【江】容保ら、春嶽の登城を促す
◆6/23(7.19):【江】春嶽、幕政参与辞任の内願を老中脇坂に。大目付大久保忠寛(のち一翁)にも挨拶/久光、勅意が貫徹しないことを慙愧する書を春嶽に遣わす&中山忠左衛門、薩摩藩は邪魔者排除・武力による助勢の準備があると明かす/越前藩、春嶽登城再開の「条理」を講究【京】関白、九条尚忠から近衛忠煕に。(←薩摩藩の周旋)
◆6/24(7.20):【江】大目付、越前藩邸に勅使への回答書を持参。越前藩、一翁に春嶽辞任内願の真意は、幕府が私政を改めないことにあると説明
◆6/25(7.21):【江】勅諚(7)勅使大原重徳、老中脇坂安宅・板倉勝静を招いて慶喜登用を催促/一翁、幕私を去る議論に同意⇒春嶽、「幕私を去る」ため、登城再開を決定/容保、春嶽に翻意を促す(会津藩&越前藩の微妙な距離感?)
◆6/26(7.22):【江】勅諚(8)勅使大原、老中に慶喜登用即答を迫る。薩藩大久保利通(当時一蔵)、隣室に刺客を伏せる。老中、勘考すると回答
◆6/27(7.23):【江】勅諚(9)薩摩藩士、老中退営をみると称し、江戸城桔梗門外を徘徊。
◆6/28(7.24):土佐藩主山内豊範、2000名を率いて土佐出立。武市半平太ら随従。
◆6/29(7.25):【江】勅諚(10)勅使大原、四度目の登城。老中、慶喜登用(後見職)に同意。
◆6/30(7.26):【江】春嶽に総裁職内命下る/所司代酒井忠義を罷免し、後任に大坂城代本庄宗秀/長州藩激派久坂玄瑞ら帰国途中の長井雅楽要撃に失敗
◆7/1(7.27):【江】勅諚(11)勅使大原、五度目の登城。将軍、慶喜・春嶽登用を奉答
◆7/2(7.28): 【江】越前藩、松平春嶽の登城再開を決定/幕府、島津久光の浪人鎮撫を称して刀を下賜【京】長州藩主毛利敬親入京
◆7/3(7.29):【江】大久保忠寛(一翁)、側用取次に。

関連:■「開国開城」>「文2:勅使&島津久光東下との幕政改革」-「文1:長州の国政進出:航海遠略策」 「文2:長州藩論一転・破約攘夷へ」■テーマ別文久2年:「一橋慶喜・松平春嶽の登用問題と勅使大原重徳東下」「幕政改革問題」「長井雅楽」「薩摩藩と越前藩」「容保VS幕閣・春嶽」」■幕末日誌文久2守護職日誌文久2 ■薩摩藩日誌文久2 ■越前藩日誌文久2 ■長州藩日誌文久2 

文久3年5/6月】(1863年7月)
◆5/16(7.1):【京】坂本龍馬、操練所資金援助依頼のために越前藩(松平春嶽)に赴く
◆5/17(7.2):【久】真木救解(6)真木ら久留米藩急進派釈放される
◆5/18(7.3):【京】将軍家茂、参内して摂海巡視の結果を報告
◆5/19(7.4):【京】生麦事件償金支払い、及び慶喜の辞表の報、京都に届く/吉川監物・小幡彦七、下関攘夷の状況を述べる【江】水戸藩主徳川慶篤、将軍目代を辞任/老中格小笠原長行、率兵上京の途に
◆5/20(7.5):【京】容保ら、将軍東帰を奏請/朔平門外の変(1)国事参政姉小路公知暗殺)/会津藩御所九門全門警備担当を申し出
◆5/21(7.6):【京】朝廷、将軍東帰を議論。会津東帰論もでる/朔平門外の変(2)三条実美への脅迫状/朝廷、諸藩に御所外講九門警備を命令(長州藩に堺町門守衛・会津藩は含まれず)
◆5/22(7.7)【京】朔平門外の変(3)土佐脱藩那須信吾、姉小路公知暗殺者の刀を薩摩藩田中新兵衛の差料だと証言する/岩国藩主吉川監物、長州藩士と協議の上、学習院に、将軍の東帰を許して攘夷の実効を上げさせるべきとの上書を提出
◆5/23(7/8):【長】攘夷戦争(9)長州藩、仏軍艦キンシャン号砲撃/長州藩、太田市之進・野村和作らを小倉藩に派遣
◆5/24(7.9):【京】将軍東帰が朝議で内定。/【越前】挙藩上京計画が内定/【小倉】太田・野村、小倉藩代表者を難詰
◆5/25(7.10):【京】朔平門外の変(4):会津藩、朝命により、姉小路暗殺犯として薩藩田中新兵衛逮捕/壬生浪士35名連名の将軍東帰反対の上書を守護職松平容保と老中板倉勝静に提出。/
◆5/26(7.11):【京】朔平門外の変(5):薩摩藩田中新兵衛自刃。/攘夷戦争(10)長州藩、オランダ船砲撃
◆5/27(7.12):【京】朝廷、五藩に内構六門警備を命令(守護職・所司代は唐門・清所門・准后門)/朔平門外の変(6)会津藩、姉小路公知暗殺犯尋問を拒否/坂本龍馬、中根雪江に春嶽の上京を促す【長】攘夷戦争(11)久坂玄瑞・三戸詮蔵・楢崎弥八郎、オランダ船砲撃顛末を上申するため、京都へ向う/
◆5/28(7.13):【横】攘夷戦争(12)米軍艦ワイオミング号、長州に報復するため横浜出航
◆5/29(7.14):【京】朝議、攘夷決行のための将軍東帰を内定/中根、中川宮に東帰問題・王政復古の朝議の模様を聞く/薩摩の乾門(外)警備罷免(出雲松江藩に交替)。薩摩関係者の九門内往来禁止の通達/幕府、会津藩に二万両貸付。/【長】攘夷戦争(13)砲術教授中島名左衛門、暗殺される
◆5/30(7.15):【京】朝廷、老中に将軍東帰の暇内定を伝達/将軍、容保に滞京・京都守護を内命。会津、将軍東帰に反対。/【京】孝明天皇、薩摩藩国父島津久光に上京・「姦人掃除」の密勅。【長】真木和泉、藩主敬親に謁し、時務策を進言/【横】仏艦タンクレード号出航。
◆6/1(7.16):【京】老中格小笠原率兵上陸/慶喜の使者・梅沢、関白に京都武力制圧のため小笠原率兵上京との流説を伝える/攘夷戦争(14)朝廷、長州の攘夷戦争を称揚する沙汰/【長】攘夷戦争(14)米軍艦ワイオミング号、長州に報復/【越】挙藩上京計画(4)越前藩、挙藩上京を決定/久坂・三戸・楢崎、入京
◆6/2(7.17):【京】幕府、若年寄稲葉正巳に小笠原上京阻止を説得させる/朝廷、容保に小笠原上京阻止を命ず/慶喜辞任(2)朝廷、慶喜の後見職辞職を却下/長州藩主父子に召命の沙汰/久坂玄瑞、朝廷に中国・オランダに関する方針をただす/壬生浪士10名、浪士捕縛のため下坂【江】仏公使、幕府に艦隊出航を通告
◆◇6/3(7.18):【京】将軍参内し、東帰・攘夷の勅を得る/容保、使者を送って小笠原上京断念を説得させる/壬生浪士、大坂力士乱闘事件。/【長】奇兵隊(1)高杉晋作、父小忠太の育に
◆6/4(7.19):【京】将軍直書をもって小笠原入京を阻止/【越】挙藩上京計画(5)上京一時延期/【長】高杉、藩主の命で下関防禦に。
◆6/5(7.20):【長】攘夷戦争(15)フランス軍艦、長州に報復
◆6/6(7.21):【京】攘夷戦争(16)朝廷、列藩に長州に習って攘夷を促す/小笠原を一両日中に厳罰に処すべしとの沙汰&幕府、将軍の下坂を求める/中川宮、攘夷先鋒となることを請願【長】奇兵隊(2)高杉、山口に赴き、来島又兵衛らと協議して奇兵隊創設/
◆6/7(7.22):【京】朝廷、親兵隊長に小笠原上京に供えるよう命令/長州藩主父子どちらか1名に上京の沙汰/久坂、小笠原率兵上京に警戒するようにとの内沙汰を携え、国許に向かう【長】奇兵隊(3)高杉、奇兵隊趣旨を藩主敬親に上申
◆6/8(7.23):【京】大和行幸(1)真木和泉、入京
◆6/9(7.24):【京】将軍家茂退京&下坂。老中、守護職松平容保に残事務を委任/【江】幕府、仏公使に攻撃猶予と幕府への処置委任を求める/天皇の久光召命勅書、薩摩に届く。
◆6/10(7.25):【京】小笠原の老中職罷免、大坂城代預りに
◆6/11(7.26):【京】幕府、淀藩主稲葉正邦を京都所司代に任命。/【京】薩摩藩士、九門内(築地)の往来を許される
◆6/12(7.27):【京】攘夷戦争(17)老中水野忠精、外国船砲撃事件で長州藩を詰問/小笠原、上京の理由書を提出/越前藩挙藩上京(6)村田巳三郎、薩摩藩高崎左太郎・吉井幸輔に藩論を説き、同意を得るが時機を待つよう助言される
◆6/13(7.28):【京】将軍大坂城を出て海路江戸へ。会津藩士諌止間に合わず/慶喜辞表(3)、即時攘夷の困難を理由に2度目の辞意を示す/越前藩挙藩上京(7)村田、肥後藩沼田勘解由に藩主上京を促す/攘夷戦争(18)朝廷、小倉・津和野・中津・秋月・福岡藩に長州藩の応援を命ず
◆6/14(7.29):【京】攘夷戦争(19)朝廷、攘夷監察使を長州に派遣/【越】挙藩上京(8)中根雪江に譴責
◆6/15(7.30):【長】久坂、上京
◆6/16(7.31):【京】大和行幸(2)翠紅館会議。攘夷親征論確定(真木和泉、桂・清水清太郎・寺島ら)/慶勝、小笠原処分を江戸で行うことを奏請【江】将軍着府
関連:■開国開城:「賀茂・石清水行幸と長州藩の攘夷戦争」「幕府の生麦償金交付と老中格小笠原長行の率兵上京」 「将軍東帰と京都守護職会津藩の孤立」■幕末日誌文久3 ■テーマ別文久3年:「第2次将軍東帰問題と小笠原長行の率兵上京」「長州藩の攘夷戦争」「朔平門外の変(姉小路公知暗殺)」 「大和行幸と禁門の政変」「越前藩挙藩上京計画」「親兵設置と御所九門・六門警備

元治元年5/6月(1864年7月)
◆5/28(7.1)【江】幕府、横浜鎖港を総裁職松平直克に委任すると布告/水戸藩、武田耕雲斎、興津蔵人、中山与三左衛門の江戸執政を罷免、慎隠居に。
◆5/29(7.2)【京】薩摩藩家老小松帯刀、長州進発の世評等、切迫した情勢を国許に報せる【長州】進発決定の長州藩、家老国司信濃の上京を命じる【天狗・諸生】水戸藩市川派&鎮派(南発勢)、江戸藩邸に到着。激派鎮圧を訴える
◆5/30(7.3)【天狗・諸生】天狗党、筑波山転陣/【長州】家老福原越後に江戸行を命じる
◆6/1(7.4):宮部鼎蔵の下僕ほか、捕縛される この頃 市中警戒強化&新選組逸脱行為【京】西郷隆盛、国許の大久保利通に京都の風説と自分の考えを知らせる/【江】水戸藩、市川派の市川三左衛門・朝比奈弥太郎・佐藤図書、鎮派の戸田銀次郎を執政に任じる。
◆6/2(7/5)【京】】西郷隆盛、国許の大久保利通に中川宮(尹宮)の悪評を報知&小松帯刀の帰国見合わせを要請/毘沙門堂門跡の坊官今小路大蔵卿及び従士近田松之助、暗殺。
◆6/3(7.6)【江】横浜鎖港:政事総裁職松平直克、鎖港断行及び鎖港に反対する幕閣更迭を将軍に進言
◆6/4(7.7)【長】長州藩、世子の上京を藩内布告/西郷隆盛、吉井幸輔(友美)・伊地知正治と共に下阪。
◆6/5(7.8)【京】池田屋事件(1)前日
◆6/6(7.9)【京】池田屋事件(2)/【坂】西郷隆盛、国許の大久保利通に京都の情勢を報知(長州による変事発生の憂慮、薩摩藩の評判回復
◆6/7(7/10) 【京】五條橋に禁裏守衛総督・摂海防御指揮徳川慶喜の罪状弾劾の書
◆6/8(7.11)【京】池田屋事件(4)五條橋に一橋慶喜を黒幕とする批判の張り紙/】西郷、国許の大久保に池田屋事件を報知。慶喜の黒幕説、薩摩は中立を保つことを伝える。/近藤勇、与力上席内示を故郷に報じる
◆6/9(7.12)【京】池田屋事件(5)長州藩、慶喜に抗議/慶喜、前越前藩主松平春嶽に池田屋事件を報知。【天狗・諸生】幕府、川越以下11藩に天狗党追討の出兵を命ず
◆6/10(7.13)【京】明保野亭事件1(会津藩士柴司、土佐藩士麻田時次郎を浪士と誤まって刺す):(1) 幕府、池田屋残党追討令。古高らを六角獄へ。
6/11(7.14)【京】明保野亭事件2(土佐藩麻田時太郎、自刃)【江】老中水野忠精、海路大阪より帰府/善福寺(米国仮公使館)付近に、外人が宿泊すれば焼棄するとの警告文が張られる。
◆6/12(7.15)【京】明保野亭事件3(会津藩柴司、自刃
◆6/13(7.16)【天狗・諸生】備前藩主池田茂政、直克に書を送り、速な横浜休港及び「憂国志士」(筑波勢)に罪譴を負わせぬよう説く
◆6/14(7.17)【京】/西郷隆盛、国許の大久保利通に池田屋事件・明保野亭事件に係る風説、長州における討幕説、中川宮の辞職周旋などを報じる【長州東上】藩主毛利敬親、池田屋事件の報により、家老益田右衛門介に上京を命じる/【江】浪士百数十名、幕府の弾薬を強奪る
◆6/15(7.18)【京】京都町奉行、諸藩士及浪士の止宿禁止を改めて通達【長州東上】長州藩、進発開始【天狗・諸生】水戸藩主徳川慶篤、執政市川・佐藤・朝比奈(市川派)に筑波山屯集激徒の鎮圧を命じる。
◆6/16(7.19)【京】水戸藩士林忠五郎ら、一橋用人平岡円四郎暗殺/一橋家雇(水戸藩士)原市之進、池田茂政に書を送る
◆6/17(7.20)【天狗・諸生】総裁職松平直克、水戸藩による筑波天狗党説得鎮撫を主張し、幕兵派遣に反対。/水戸藩執政市川ら、藩兵を率い、幕府諸隊とともに江戸出発。/幕府、大目付大久保忠恕らを罷免
◆6/18 (7.21)【京】慶喜、書を肥後藩主弟長岡良之助(護美」)に送り、幕閣の内情・水戸藩の内訌・自家への嫌疑を告げる。【江】四国艦隊砲撃:長州藩士井上聞多(馨)・伊藤俊輔(博文)、英国特派全権公使オールコックらから、藩主毛利敬親への書を預かり、英国艦に乗船して萩へ向かう/会津藩江戸家老上田一学、在京家老神保内蔵助等に、幕閣内訌の事情を報じ、会津藩は関与せぬよう求める。
◆6/19(7.22)【京】朝廷、横浜鎖港に関する世評及び因幡・備前両藩の建白を議す。
◆6/20(7.23)
◆6/21(7.24)【坂】長州軍(浪士真木保臣・長州藩士久坂玄瑞の率いる、忠勇・集議諸隊)着坂。/【京】会津藩、見廻組、新選組、彦根藩、大垣藩京都の警戒につく/海陸備向掛手付雇佐久間修理、中川宮に謁し、時務を陳ず。【京】西郷、国許の大久保に池田屋事件後の情勢を報知(西@326-330)
◆6/22(7.25)【京】長州東上::家老福原越後、兵を率いて着坂。藩士来島又兵衛、遊撃隊を率いて着坂→伏見藩邸に入る。/小松帯刀、京師の近況を国許の大久保一蔵(利通)に報ず。/【江】横浜鎖港:総裁職松平直克罷免される。
◆6/23(7.26)
◆6/24(7.27)【京】朝議(慶喜・正邦参加)、庶政幕府委任・政令一途の趣旨を列藩に申令することを決す/長州入京:薩摩藩、京都守衛を理由に淀への出兵を拒否。福原越後と遊撃隊500名余、伏見到着。真木和泉・久坂玄瑞ら諸隊、山崎屯集
◆6/25(7.28)【京】長州入京:長州藩留守居役乃美の言上。/横浜鎖港:一条家門流38名の横浜鎖港督促の建白/5【京】西郷、大久保に長州の伏見到着と在京薩摩藩の方針をを報知(西@326-330)
◆6/26(7.29)【京】長州入京:長州浪士、嵯峨屯集
◆6/27(7.30)【京】長州入京:長州、京都来襲の噂。容保・会津藩兵御所内に。孝明天皇、長州兵入京拒否の勅。

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慶応3年6月(1867年7月)
◇慶応3年6/10(1867.7.11)【京】新選組総員幕臣取りたて/御陵衛士同志横死事件(1)幕臣取立てに反発
◇6/13(1867.7.14)-【京】衛士同志横死事件(2)松平容保への上書提出
◇6/14(1867.7.15):【京】衛士同志横死事件(3)会津藩邸で横死


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