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☆京都のお天気 雨下(『朝彦親王日記』) >外国処置 ■将軍上洛・諸侯集合による国是決定by春嶽 【京】元治1年8月15日、前越前藩主松平春嶽は、書を禁裏守衛総督一橋慶喜及江戸の首席老中水野忠精に認め、将軍が上洛して諸侯を闕下に集めて開鎖の議を決し、国是の根本を確立すべきだと建議しました。 (意見書のポイント(てきとう訳))
<ヒロ> いつ京都・江戸に届いたのかはよくわかりませんが、これはもうかねてからの春嶽の論なので、慶喜・老中にとっても「またか・・・」という感じだったかも。 なお、越前藩では、征長副将に任ぜられた茂昭の近々(19日)の出陣を決定しており、この15日、中根雪江が、その事前準備として、慶喜や在京老中に軍事に関する廟議を確認し、紀州藩等の討手の諸藩と協議などを行うために入京しました。 参考:『続再夢紀事』三p262-268(2018/6/9) 関連:テーマ別「文久2」■国是決定破約攘夷奉勅VS開国上奏「文久3]■越前藩の挙藩上京計画(越前・薩摩提携による政変計画) >禁門の変後の会津藩 ■守護職辞任問題 【京】元治1年8月15日、中川宮(当時尹宮)は、二条関白より、会津藩主松平容保が守護職辞職を願い出たが却下したとききました。 辞職を願い出た理由は、7月18日夕方(禁門の変前夕)から、有栖川宮等が、会津を「賊」として早く九門外に追放するよう主張して「朝敵」を助けたことが、「実々々不済義」だったからだとか。(自分が九門内にいたことがきっかけになったので、辞職っていうことでしょうか?) 参考:『朝彦親王日記』一p30(2018/5/8) 関連:テーマ別元治1■池田屋事件、長州入京問題、禁門の変 >四国艦隊下関襲来 【姫島】元治1年8月15日、四国艦隊下関攻撃停止の説得に間に合わなかった勝海舟は、姫島を出帆しました。 参考:『勝海舟全集1 幕末日記』p164(2018/4/30) 関連:テーマ別元治1■四国艦隊下関砲撃 |
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