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文久2年閏8月5日(1862.9.28)
【京】長州藩主毛利敬親、幕府の上書を非難する意見書を議奏に提出

■長州藩の動き
【京】文久2年閏8月5日、長州藩主毛利敬親は、宍戸左馬之介を議奏野宮宰相に派遣し、幕府が失政を謝して新政実行を約した上書を非難する意見書を提出しました。

総裁職・後見職ら連署で出された上書でしたが、長州藩が問題にしたのは最後の部分でした。

「至当の儀は必ず遵奉すべし。されど自然時勢に於て行われ難き事もあらば、恐れながら是より御断り申上ぐる事もあらん。其許にも厚く御含みありたし」

この「行われ難き事」が攘夷を指すものだとすれば、叡慮遵奉の実が立たないとし、幕府に問い質すよう求めたのです。(実際、幕府の意図は、主として攘夷を指していました)

また、同日、敬親は在江戸の世子定広に<幕府はいまだ破約攘夷の目算が立たないようなので、速やかに決戦の覚悟を定めるよう勧告し、もし、一橋殿等に異論があって幕議が一決しない時は、叡慮が貫徹しないことになるので、帰京して天皇の御判断を仰ぐように>と伝えたそうです。

参考:『徳川慶喜公伝』(元は防長回天史)(2003.10.2) 
関連:◆文久2年8月7日−幕府、朝廷に対して従来の失政を謝し、新政を行うことを奏する。

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