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【アルコール依存症 目次】

徐々に太りはじめる

ウエスト対策

頭痛の頻発と中途覚醒

依存症闘争記


 序

 もともと私は酒を飲むタイプではなかった。教師になって3校目で山の中(全校児童数130数名)の,いわゆる僻地校への赴任となった。希望して行ったので,山中の田舎暮らしは楽しかった。子どもは純粋で自然の風景そのもの。夜の星はこんなにも星があったのかと,びっくりするほどで,まさに「星が降る」という感じであった。唯一困るのは冬の雪だけだった。
 学校は少なく他校の先生とも親しくなって,時折一緒に飲んだりしていた。ある時,新採用の先生が3年経ち,地元へ帰るというので,私の住宅でみんなで飲んだ。店もあまりないので休みの日に買い込んだものを,みんなで持ち寄って開く宴だ。その時の中身はもう忘れたが,次の日,後片付けをしていたとき,持ち寄った酒(ウイスキー)が1本,封も開けずに残っていた。まだそのときはそんなに酒を飲むこともなく,ずっとそのままにしておいたのだが,ある時どういうわけが封を開けて水割りを1杯飲んだ。学生時代から夜型人間だった私は,12時前に寝ることはなかったのだが,一人で飲む1杯の酒は心地よい眠りを誘ってくれた。どちらかと言うと眠れず困り,朝起きれず困るタイプだったので,1杯の酒で眠れるというのは,まさに特効薬だった。いつのまにか毎夜,寝る前には,必ず1杯引っ掛けるようになった。

 山の学校へ行くまでは,病弱な体で,高校のときに医師に「体重を60kgぐらいにしたいな」と言われたのを忘れることが出来ない。調子のいいときで55kg,ちょっと何かあると53kgぐらいだったので,60kg以上の人をみると羨ましかった。それが酒を飲むようになると少しずつ体重が増えてきたのだ。虚弱体質が少しずつよくなってきているような気がして来た。昔から「酒は百薬の長」という言葉があるが,私の場合はまさにこれかななどと思っていた。

 お酒は私にとって2つのよい点があった。一つは眠り薬のかわりであり,もう一つは体を健康にする薬であった。これが徐々に量が増え,依存症になりメタボリックになりで,体を動かすのが苦痛になった,そして30年後には,毎日頭痛に襲われるようになる。しかし,それがアルコールのためだとは露ほどにも思っていなかった。

 徐々に太りはじめる

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 酒を飲み出して本当によく眠れるようになった。特別に好きというわけではなかったので,少し飲めば寝られた。夜中の2時,3時ということが多かったが,12時ぐらいに飲めばすぐ眠られる。そして,それを続けていたら,なんとズボンのウエストが窮屈になってきた。これは嬉しかったなあ。73cmが76cmになり,それだけで嬉しかった。ただ,困るのは礼服やスーツが着れなくなることだが,ここはまだ,我慢できた。そして次の年に移動になった。
 次の学校は全校児童1500人を超えるマンモス校。先生の数も多いので,何かと飲む機会も多くなる。酒を飲んで寝るという生活は変わらない。次第にまたウエストが増えてくる。でも,嬉しかった。79cmに成長したのだ。その学校には同年の人で恰幅のいい先生がいた。見るからに太鼓腹。憧れていました。横から見るとぐっと張り出たお腹。そうこうしているうちについに80cm突破。さすがにスーツ類は買い換えた。ちょっと余裕も考えてウエストは82cm。それでも痩せたイメージが強いのか,太ったねなどといわれたことはなかった。自分でも太ったという自覚はない。むしろだんだん丈夫になった。いい体になったと思っていた。もうその頃は酒1合は水と変わらなかった。あっという間に1合はなくなり,2合目からやっと酒を飲むという気分。
 そのうち週に1回は飲むという仲間もできて,楽しい毎日だった。憂さ晴らしもでき,気分よく眠ることもでき,憧れの中年ぶとりに近づいてきたのだ。ひどいときは2人でもらい物の「越乃寒梅」を1升空けた。次の日,さすがに「越乃寒梅は二日酔いがないね。」などと言って喜んでいた。そして憧れの85cmになった。ここまで繰れば立派なお腹だ。そのころは,まだメタボリックなどと言う言葉もなく,「太る=健康」というイメージを持っていたので,苦になるというよりは嬉しかった。

 それからも徐々に肥満が続いていったのだろう。ただ本人はあまり気にはしていなかった。というより,太れるということは「健康体の証なのだ」。健康診断で食事制限や運動を勧められても,馬の耳に念仏。太りすぎ以外に悪いところがないのだから,それは健康ですと言われているようなもの。しかし,年々ズボンは新調しなければはけなくなる。スーツはきつくなる。でもスーツは着る機会も少ないし,高いので多少は我慢する。それに作り方のせいなのか,紺のスーツだけは何とか着られるのだ。(これ結構お高かった。唯一の外国製らしい?)
 しかし,ある時(ちょうど文科賞の発表の年だった)あまりにもスーツが窮屈で,その時はみんなにいろいろ言われた。そして,ある会議に出かけるときにYシャツのボタンが窮屈で,座るとボタンが引きちぎれそうになった。ここらあたりが,やっと太りすぎを自覚しだした頃だ。そしてもうそろそろ,定年間近というとき,もう生涯最後だからとスーツと礼服を買いにいった。店員がウエストを測り何とか95cmのもので合わせようとしてくれた。そして,店員に言われた。「ウエストきついですか。」「はい,ちょっときついですね。」「95cmではやはりダメですね。もう98cmにしないと。」ウエストに合わせると上着が大きすぎて,上着を合わせるとズボンのウエストを広げなければならない。つまり合うものは既製品ではないのだ。ちなみにその時は,身長169cm,ウエスト98cmだった。礼服のときはしきりに注文にしろと勧められた。ここで,はっきり自覚した。俺は太りすぎなのだ!でも,減量とかは考えてなかった。

 ウエスト対策

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 定年退職になってからも,ウエストの異常は感じても対策はしなかった。しかし,5月6月と飯の後に立ち上がるのがつらくなってきた。はっきり言うと,手で支えないと立てないのだ。食事は今までと同じように3食とり,規則正しい生活をしているのにである。もう一つ困ったことがある。立ったままズボンがはけないのだ。柱に手をやるとか,支えが必要になってきた。もちろん靴下は座ってでないとはけない。さすがに異常を実感し,ちょっとは運動をと思って,早朝の散歩をはじめた。勤務時はほとんど5時半までには起きて6時半には家を出ていた。だから起きてからの時間を散歩にしたのだ。運動は大嫌いなので,走るとかは絶対無理である。せめて,散歩ぐらいはと思い,近くの公園まで行って帰ってくる。階段の上り下りを歩く。すると30分ぐらいはかかる。これでいい運動になるだろう。帰ってくると適度な汗もかいている。こうして暑い夏ものりこえられるかなと思った。しかし,散歩を2ヶ月ほど続けても,変化を感じない。TVを見ればダイエットダイエットの連続である。歩く,走る,自転車こぎ,ぶるぶる震える,えーこんなの。と思いながらも,自由が利かなくなった体に不安を感じる。立ったままパンツやズボンがはけないのだ。体重計を検討し始めた。ネットで調べたり,近くのスーパーやホームセンターへ行ったが,バネ式の体重のみを量るものしかない。ためしに店でのってみた。が〜ん。85kg 。今まで74kgまでは知っていたが,85kgとは。ウエスト98cmと合わせていよいよ真剣に悩みだした。ネットでの学習によると内臓脂肪や体脂肪率などが分からないといけない(みたい)。アナログではどうしようもない。デジタル式のがネットにはあるが,近くにはない。ネットで買おうか。それからは猛烈に調べだした。ダイエット機器とダイエット方法,それに,体重計である。ちなみに散歩の成果はどうなのかメジャーでウエストを測ってみた。95cmである。散歩の成果が3cmなのかな?と,そのうちとんでもないことが起こった。話したくもないのだが健康上の問題だ。「えっ」っと思ったが,「今日だけなのだ」と言い聞かせる。しかし次の日もやはり。心理的に追い詰められる。ウエストとか体重どころではない。しかし,病院へ行くのは勇気がいる。精神的にまいる。激しい下痢の連続。何時の間にか,食事をとることが恐怖になってくる。そして8月末薬を買いに行ったとき,なんとデジタル体重計がそこにあったのだ。値段も調べず,体脂肪が測れることだけを確認して買った。薬と,体重計を買い,療養の日々を送ることになる。一人で格闘だ。下痢は収まったようで,またぶり返す。細菌?0-157???

 忘れもしない9月16日。その日はコンサートのチケットを買ってある。それなのに数日前からまた,下痢。その日も朝から下痢。食事はとる気にならない。病院へ行けばいいのに,市販の売薬(「ビオフェルミン下痢止め」と「ボラギノール」を購入する。そして森山威男の「Jazz Night コンサート」へ行く。コンサートはすばらしかった。でも,次の日からはトイレが怖くなる。下痢は続くし,トイレの後には紙に血がついている。食欲はなくなる。一体どうしたらいいのか。ネットでいろいろと調べるがよく分からない。1週間ほどして薬が効きだしたのかやっと下痢が止まる。下痢が止まればお尻の痛みも引いてくる。そしてこの間の食欲不振が思わぬところで効果を発揮しだした。ウエストも体重も減ってきたのだ。ここでやっと運動とか食事とかの問題を,真剣に考えるようになってきた。多少でも成果がないと考えられない性格のようだ。

 頭痛の頻発と中途覚醒

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 そのうちとんでもないことが起こってきた。毎日のように続く頭痛である。取りたてて病院へ行こうという気にもなれず,かといって数時間おきに頭のどこかが痛い。内臓よりも,頭痛の方が気になる。今や若年性認知症とか軽度認知症(MCI)などが,30代・40代でもあるのだ。これは恐怖だった。ある意味ガンよりも恐怖を感じる。それでも,病院というの行きたくないものだ。そこに,追い討ちをかけるような夜中に中途覚醒(11時ごろに眠って,2時か3時ごろに目覚める。4時ごろになる時もある。)が連日になる。これは1年ぐらい前からあったのだが,時折のことで,いつもではないので,そんなに気にはしていなかった。ところがそれが連日続くのだ。起きると眠ろうとしてお酒をもう一杯となる。1合も飲めばまた眠れる。でもそれが毎日続くと,気がおかしくなりそうだ(なっているかも)。やむなく病院へ行く。
 さて何科へ行くか,総合病院の案内所で聞いてみる。「まず神経内科で頭痛の話しをしてみてください。その時医者に中途覚醒のこと,アルコールのことも話して下さい。」と言われた。神経内科で待っている。昔と違って待ち時間はそんなになかった。そのうち若い医者にこれまでの情況を話す。
@頭痛:強い痛みではないが,不定期で,毎日起こる。場所も定かではない。
A中途覚醒:寝酒が2〜3合で必ず夜中に目覚める。そこで1合くらい飲むと眠れる。
こっちは,真剣に話しているのに,冷ややかな対応だ。話しをしたかぎりでは,特に病気といって騒ぐようなことでもないような。そして,言われたことは,
「特に,頭痛がひどいようでもないですね。それより寝酒の方が問題だ。眠れる薬を出しますので,それで酒を止めましょう。
「それは無理です。酒のない生活なんて考えられない。」
「じゃあ,1日1合までにしてください。」
「中途覚醒が起きたら。」
「その時の分も含めて,1日1合です。」
「それで頭痛も治るんですか。」
「なんともいえませんが,しばらく様子を見ましょう。」
「あの,くも膜下とか脳梗塞とかいろいろ怖いのがあるでしょう。そういうのの前触れという事はないのでしょうか。」
「くも膜下出血とか,脳梗塞に前触れはありません。そんな状態なら今ここに座ってなどいられません。」
「前触れがないという事は,急に症状が出て,すぐ病院へということですか。」
「そうですが,そうなったら自分で救急車に電話することもできないでしょう。誰かが見つけておかしいということで,すぐに病院へ連れてきてもらうしかてはないでしょう。」
「じゃあ,今の症状は一応そういう心配はないということで。」
「特に頭痛が問題でもないと思いますよ。それじゃあ一応念のためCTを撮りましょうか。」
ということで,眠り薬とCTの予約を取る。CTも予約という事は,緊急ではないということだから一応安全圏か。そういえば,前にも頭痛でMRIを撮ったことがある。あの時もちょっと馬鹿にされてたみたいだが,あの時は耐え切れない程の痛みだったのだが,ほんの1・2分で止まったしな。

不思議と眠り薬があれば,眠られる。酒も1日1合までで収まる。タバコのような禁断症状もない。そのうち5勺程度で中途覚醒用に5勺の余裕を持つ。2週間毎日1合以内でおさまるようになる。2週間後CTを撮り,神経内科へ行く。今はパソコンで画像が出てくる。本当に素早い。何枚かの映像を見て,説明がある。
「これが脳みそで,ここは空きですね。」
「えっ,空いてるって!アルツハイマー?」恐怖に慄く。
「いや,脳みそも運動しているので,そのための空間です。アルツハイマーとは関係ありません。」
「じゃあ,この頭痛は?」
「最近は,どうですか。」
「そういえば,最近はあんまり・・・」
「眠れますか。」
「はい。寝つきはいいのですが,まだ中途覚醒はあります。」
「たぶん,頭痛も,睡眠障害も原因はアルコールを考えたほうがいいでしょう。今飲んでいる,マイスリーは最短時間の軽い薬です。睡眠障害を改善するならアルコールをきちんと断つ必要があるでしょう。そのためには精神科へ行った方がいいと思いますが。」
ということで,全ての原因は「アルコール依存症」いわゆる「アル中」である。嫌な言葉だな。

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(つづく)

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