Last Update:2008/02/02
「ニコチン依存は昨年(平成18年6月)から保険がきくようになった。日本では保険がきくのは『病気』の場合だけである。タバコをすっていて止められないニコチン依存は病気です。だから保険もききます。」ということのようです。でも,これってちょっとおかしくないですか?なぜ病気の原因たる「タバコ」の販売を,国が許可しているのですか。依存にならない程度なら吸ってもいいのですか。それにしては喫煙場所って全然ないですしね。たばこは以前は国が専売していた。それも大切な税収入としてね。そしてそれは今も続いているんです。そんなにいけないものなら,どうして販売そのものやめようとしないのですか。昔のアメリカの禁酒法よろしく禁煙法なんてどうでしょう。地下へもぐるって!そりゃそうでしょう。麻薬だって根絶はできてないですからね。でも,絶対量は確実に減りますよ。(2007/8/9)
養老孟司さんが「文芸春秋」07年10月号で山崎正和さんと対談「たばこの害根拠なし」「禁煙運動はナチズム」と禁煙運動家を批判。これに,日本禁煙学会が激怒。(2008/2/2)
今まで人に禁煙を説いてきた人は,喫煙者を諭したり,時には非難したりして禁煙運動を進めてきた。禁煙運動の動機は「体によくない」ということだろう。人のため(自分のため,社会のため)と思って禁煙を口にしてきたのであろう。しかし,喫煙者との間にある深く険しい谷を,多くの非喫煙者は理解していないと思う。喫煙者から見れば,それは強権暴力,政治的圧力に等しく,圧政に苦しむ貧民の心情に似ている。非喫煙者にしてみれば,正当でありあたりまえのことであっても,喫煙者にしてみればそれは非難であり,屈辱を迫るものにしか聞こえないのである。深い溝はより深く険しくなるばかりである。
禁煙をすすめる書物(「○日で禁煙に成功する」というような本を読んだことがある)やネットでの情報,周りの人の話などによると,タバコは
@健康に害がある(ここに力点がある)。
A自分のみならず周りの者にも害を及ぼす。
Bタバコ代に費用がかかる。
C空気,家の壁・カーテン・家具を汚す。
などが並ぶ。そして次にタバコにはストレスを解消(和らげる)効果があるとするのは間違いで,単にニコチン依存に陥っているだけだと諭す。そして,よいことは何もないから「止めましょう。」となる。そしていよいよ禁煙法になる。そこには
@まず,身の回りからタバコに関するもの(タバコ,ライター,灰皿」をなくしましょう。
A周りの人に禁煙すると宣言する(自分の意志の強さの誇示と協力を仰ぐ?)。
Bもし吸いたくなったら・水を飲む・深呼吸をする・好きな事をして気を紛らす・・・
などの処方箋が書き並べられる。
初めて禁煙に取り組む人には一応なるほどと思うように論理化されて書かれている。しかし,実践してみても少なくとも私の場合は全く効果なしだった。本に書かれている通り身の回りからタバコやライター灰皿をなくした。でもダメだった。半日以上吸っていなかった(これは大変なことだ)が,先輩の「1本どうだ?」の一言で1本吸った。夜までずっとその1本ですんでいた。夜次のページを見ると「1本吸ったかも分かりません。でも・・・」,次の日のページを見るとまた「1本吸ったかも分かりません。でも・・・」何とやさしいのでしょう。これでもう止める気はなくなった。書いている人もなるべく喫煙者のことを考えて書いていたのでしょう。でも,喫煙者が「吸わない」という行為は「何とか隙間を見つけて吸うという行為を正当化しよう」としているのだから,理由なんてあってないようなものだ。赤子がダダをこねているのと同じだ。そのくらい不条理にもニコチン依存(中毒?),精神的依存(吸う意思はなく知らぬ間に火をつけている)は大きく険しい壁なのである。
私は,そんなにタバコがいけないものなら(WHOも「たばこの煙にさらされることが死亡、疾病及び障害を引き起こすことが科学的証拠により明白に証明されている」といっているので)たばこそのものの販売を国が認めるとは何事かと思うのだが,禁煙運動者はそのことは言わない。あたかも喫煙者の自由で,自宅でどうぞと言っているだけだ。これは煙の害は嫌ですが,税の恩恵にはあずかりますよと言っているようなものだ。今の禁煙運動は生首をじわじわと締め上げていく。たばこは健康を害する→自分だけではなく,周りの人に副流煙が及ぶ→だから,喫煙はどこどこで(室内のある場所)→喫煙はどこどこで(副流煙があるから室内はダメ→室外のある場所へ)→当所は喫煙禁止です→路上喫煙禁止。路上喫煙は罰金。それでいて税だけはばっちりいただきます。
私は体に悪いから(健康によくないから)たばこを止めましょうという意見が本当にすばらしいものかどうか疑問に思っている。体に悪いものなんていくらでもある。酒はどうなんだろう。香辛料でも食欲増進とかいいながら胃を刺激するとか。牛乳は学校給食では強制的に飲まされるが,胃弱な者にとってはつらいものがある。昔は肉を食べて強い体を作ろうなどといわれたものだが,今や肉よりも野菜をとるように指導されている。ダイエットで食物はみんな何やかやといわれ,口にするのもはばかれる。極端に言えば口にするものは何らかの害をも含んでいるのではなかろうか。そのうち食を口にする楽しみはなくなって,栄養は錠剤で満点(満腹感も味わえる)になるかもしれない。害の度合いとか範囲とかを言い出すと,多分,科学的に証明済みというたばこは一番不利になるだろう。しかし,そんなに悪いものなら,販売そのものを認めること(そこから膨大な税収入を得,非喫煙者はその利益も得ているのだ)を止めなくてはいけない。昔アメリカであった禁酒法と同じ運命をたどる事はなかろう。麻薬・覚醒剤の仲間に入れればほとんどの人は止めざるを得ないだろう。喫煙者の半数以上は本当は「たばこを止めたい」と思っているという統計もあるくらいだから。
今や,タバコを吸えるところはどこにあるのだろう?
職場はもちろん,客としては入る店にも「禁煙」なる言葉がよく見えるように(あたりまえか)貼ってある。喫煙者自身にとどまらず,副流煙なるものが近くにいる非喫煙者(受動喫煙者)にまで悪影響を与えるというから,この禁煙の動きはとどまる所を知らない。今まではあたりまえだった喫茶店や呑み屋でも
昔のように灰皿は見えるにところにおいてない。隠してあるのか,頼むと持ってくるとか,喫煙席と禁煙席を分けてあるとかになっているところが多い。
タバコが有害(発癌性物質だとか)であることはずーと昔から言われてきた。しかし,今ほど肩身は狭くなかった。WHOが言いだして(日本も条約締結している)から,これからはもっともっと厳しくなりそうだ。路上喫煙では罰金(2000円)を科しているところもある。
非喫煙者にしてみれば,タバコの存在そのものが許せないのではなかろうか。実は喫煙者の中にも「なければ吸わなかったろうに!」という思いをしている人が結構多い。私たちが若い頃はタバコを吸ってないことのほうが少々肩身が狭く感じたものだ。少なくとも国が専売していた高納税品で,国民全体がその税の恩恵に浴してきたわけだから,ここまで犯罪人のように扱われるとは思ってもみなかった。
正直頭に来る。それが体によくない,健康を害する可能性が高い(可能性ではなく確実に高いと言う人もいる)ということで,高い税を払いながら,
全面的に禁止(=喫煙は犯罪だ)というのはどうにも納得がいかない。喫煙者の心も体もついていけない。せめてと何とか喫煙場所を探して,人目を忍んで喫煙をしている。
体に悪いものはいくらでもある。例えば対人関係におけるストレスなどは確かに体によくないだろう。当事者だけでなく周りの人にも悪影響だ。酒も場合によっては他人に被害が及ぶ場合だってある。臭いで言えばエレベーターに残る化粧品の臭いや,授業参観の時後ろの方に行くとだんだん強くなる臭いはいいのだろうか。これは子どもに指摘されたことだ。体によくないといえば,他にもあろう。しかし人間はいつも良いことばかりやっていられるわけではない。時には遊び,時には人に迷惑をかける場合だってある。もっと言えば人はお互い迷惑をかけあい,それを許容しあえるところに人としての関係が保てるのだ。もっとも戦争をやって,迷惑をかけあい許しあえとは言わないが,人はどこかで許しあう気持ちの余裕がないとダメだろうな。(自分勝手の論理と許容し合える範囲との境界が,また難しいところだが。)
まあ,そんな気持ちが背景にあるのか,私は喫煙に反対はしてこなかった。喫煙はタバコを買うことで高い税を払ってきた。体に良くないということは,この高寿命社会で福祉費用が膨れ上がる時代には,かえって社会のためによいなどと嘯いてきた。医学は発達し,寿命は長くなるばかりだ。少しは体に悪いことでもしないと,社会が破綻しないか心配になるくらいだ。寿命を延ばすことではなく,健康に生きられる時間を充実し,だめになったら少しでも苦しみを軽減してもらい,静かにこの世と決別したいと思うのは私だけであろうか。医学はそういう点で発達してほしいと思う。それに,地方自治体はちゃんとタバコ税を収入源の一つにしておきながら,施設の中では喫煙場所さえ設けていないどころか,締め出しをしているのだ。だったらせめて税収入にはしないでほしい。国にも地方自治体(都道府県+市町村)にも税を払い,それに特別税+消費税である。こんなにたくさんの税を払って日陰の身である。だったらいっそタバコは販売禁止にすればいい。禁煙運動家よ!せめて「私はタバコ税の恩恵は受けません」宣言ぐらい出せよ。そして自治体はタバコ税を喫煙者のためになることに使えよな。一体何に使っているのか一度公表してほしいな。
こんなことを言ってもただの愚痴にしか聞こえないが,現実にタバコを吸うということは難しくなっている。そんなこんなで多くの喫煙者は日陰者となり,それでも堂々と戦いつづけて喫煙するか(これも結構つらい),禁煙というつらく難しい道を選ぶかどちらかしかない。私の場合は2006年1月から施設内全面禁煙になるということで,施設外まで出なければ喫煙が不可能になる。雨のときは傘をさして?非喫煙者はそんなことを考えてやる必要さえないという独裁者達だ。敗北感というストレスを抱えながら,禁煙せざるをえない状況に追いやられたのだ。そして2005年12月31日ついに禁煙に一応踏み切った。
禁煙は別に体に悪いから始めようと思ったわけではない。高い税金を支払いながら,ほとんど犯罪人扱いという肩身の狭い状態に負けただけである。まあ,唯一の良い点はタバコ代が浮くということぐらいにしか思っていなかった。まあ喫煙場所も狭くなり,とうとう喫煙は敷地外で(馬鹿な,道路で吸うと罰金をとられる条例のところもあるんだぞ)などという屈辱的ともいえる外部的な要求から止めざるを得ない状況になったためだけだ。
ただ過去に何度も禁煙に挑戦したことはある。そのときはたいていタバコの値上がりとか金を節約するとかの実利を考えてのことだった。動機が希薄なのだろう,1日としてもたなかった。1日に2箱(40本)以上すっていたのだから止めるのは並大抵ではない。
■最後の失敗
昨年の夏「二コレット」ガムがいいことを聞き実践してみた。インターネットで調べると,タバコに関するもの(タバコ,ライター,灰皿)は周りから無くし,家族や友人に禁煙すると宣言して協力してもらうなどとある。準備段階だけでも相当なものがある。二コレットの中の説明書にも確かそんなことが書いてあった。一応そうしてみた。そしたら1日目「タバコが無い」ということが気になってしかたがない。我慢に我慢を重ねて,それでもいたたまれず,半日でタバコを買いに行った。それからは恐る恐るガムをかみながらタバコを吸うという二重生活になってしまった。それでも本数は確実に少なくなり,1ヶ月で1日1箱ぐらいにはなった。ところがである。歯周病で二コレットをかむと歯が痛くてたまらなくなった。ガムがかめなくなるとその分タバコをすう量が増える。これで完全に挫折。元の1日2箱生活に戻ってしまった。
■反省
何はともあれいいかげんな計画では成功はしない。二コレットの説明を見ると(歯科医にかかっているときは相談しろとあった)やはりもっと計画的であるべきだなと思った。ただし,本に書いてあるとか,人が言うからではなく,
自分で納得のいく(自分で実践できると思う方法)計画にすべきなのだ。薬局で「二コレット」を買うときにどのくらいで止めれるかを聞いたら「3ヶ月」との返事だった。中の説明書にも3ヶ月をめどにとかいてある。どのくらい薬代(ガム代)がかかるか気になるところだが1箱96個入りのもので6900円。説明書にあるガムの使用量は1日に40本以上吸うから1日9〜12個となる
■ここで簡単に計算してみる
1ヶ月目 1日10ヶとして1ヶ月で300ヶ
2ヶ月目 1日 7ヶとして1ヶ月で210ヶ(午前・午後・晩各2ヶ+予備1ヶ)
3ヶ月目 1日 4ヶとして1ヶ月で120ヶ(朝・昼・夕食後各1ヶ+予備1ヶ)
3ヶ月で630ヶのガムが必要となる。余裕を見て96個入りが7箱で672個(42個も余裕がある。3ヶ月目には12個入りでもよいかもしれない。) |
![nikoretto.gif (2093 バイト)](image/nikoretto.gif) |
■結論(喫煙と禁煙の3か月分のお値段の差)
上記の計画通りなら(余裕は十分ある)
二コレットの必要経費は6900*7=48,300円
タバコ1日2箱吸うと 270*2箱*90日=48,600円
う〜ん。計画通りいけばタバコ代と比べて二コレットのほうが安くつく。実際はタバコは1日2箱を超えているから差はもっとつくだろう。ただし二コレットがこれで足りるかどうかは未知数である。
■準備と心構え
前回の失敗から半年後(今回)。最後の挑戦だ。ここで止めないと定年前にタバコでリストラになるかのような悲壮な想いになっていた。(本当はそんなことはないのだろうが,結構マジに考えていた。)
しかし,その悲壮な思いとは反対にやったことは実にいいかげんだ。悪かった歯は抜けてしまった。(ただし,問題の歯はもう1本残っている)
@タバコやライター・灰皿などは片付けない。(むしろ身近に置いておく。安心感のためである。)
Aタバコを吸いたくなったら吸ってもいいと許す。でも,「吸いたくなったら二コレット!」を心がける。
B人に「タバコを止めます。」とか,「禁煙中です。」とかは言わない。「タバコ止めたの?」と言われたら「止めていない。」と言う。
この3つを原則にした。とにかく吸いたくなったら我慢しないで二コレット。それにいつも見えるところにタバコがあるというのは,不思議と苦しみがなくていい。吸っちゃってもいいよ。でもその前に二コレット!するとイライラ感がなくなる。ただ,車に乗るとすぐ一服という毎日だったので,車に乗るとすぐにポケットに手が行く。そこで,今までタバコを入れていたポケットにガムを入れておくことにした。人の欲望というものはあきれるほどで,ガムをかみながらポケットに手を入れることが何度もあった。ただ,タバコは吸ってもいいけど「吸いたくなったらニコレット。」こう言い聞かせることで1ヶ月1本も吸わずに過ぎていった。ただ車に乗るとどうしてもポケットに手を入れてタバコを探す習性?だけは直らない。人に「タバコ止めたの?」と聞かれると「ううん。止めてないよ。吸いたくなったら吸ってもいいけど,今は止めておく。」とだけ答えるようにしていた。実を言うと周りから「止めたの?」と言われるのが一番嫌だった。まだ止めたわけでもないのだし,止めていると(努力していると)いう姿を認めたくもなかったのだ。変なプライドだがタバコを否定していないのだから,止めるというのはちょっと屈辱感みたいなものがあるのだ。
正月休みを利用したのはよかったと思う。職場でいらついた場面を見られたり,「どうしたの」とか「タバコ止めたの」とか言われるのを避けられる。TVに出ていたある医者が「3日目がイライラのピーク」とか言っていた。しかしピークなんていつもである。イライラしたら「深呼吸」とか「コップいっぱいの水」とかいわれるが全くダメ。もって1分だ。いらついたらとにかくニコレットである。ニコチンの補充をしているからなのだろう,1粒で30分〜1時間ぐらいもつ。しかし,そうそう続けて新しいニコレットガムというわけにはいかない(少々刺激が強い)。そこでお菓子メーカーのガムをあわせて使った。これは結構いい。ちょっと甘い味がついていて,すぐに味がなくなるので長くかんではいられない。しかしつなぎとしてはいいし,何よりも高いニコレットよりはるかに安上がりである。結果としてニコレットの量を減らすことができるようになってきた。3ヶ月目に入った頃ぐらいからだろうか,普通のガムを併用すれば1日5粒程度でも(菓子ガムの量は増えるが)大丈夫になってきた。
しかし,いつまでたってもダメなのが,車に乗ったときである。車に乗ると必ずタバコを探し始める。タバコはポケットに入れていたのだが,車に乗るとポケットをあさるのだ。無意識のうちにしていてタバコがないので「ムム。あゝそうか。」なんて具合だ。家では何とはなしに灰皿を近づけていることもあった。イライラ感ではなく知らぬ間に手がタバコを探しているのだ。これは全く無意識の行動でとてつもなく恐ろしいことのように思う。刷り込みというか,マインドコントールというか。で,知らぬ間にタバコを探すので探すポケット(今までタバコを入れておいたポケット)には必ずニコレットを入れておくようにした。そして「はっ」と思ったらニコレットをかむ,または菓子ガムをかむようにした。菓子ガムをかむようにしてからは,ほとんどいつも口にガムというような状態だった。これは日本人的な感覚からするととても非礼なことのように思うが,ここを躊躇したら終わってしまうような気がする。とにかく止めるまでは無様に生きていく覚悟が必要だ。私の場合は日頃がいいかげんなので,周りも「こんな程度のやつよ。」なんて思って何もいわなかったのかもしれない。ただ,「タバコ止めたの?」というのは何度もいろんな人に言われた。そのたびに「止めてないよ。ちゃんと持ってるし。」と言って鞄の中のものを見せたりすることもあった。他から見れば変なプライドのように見えるかもしれないが,タバコは止めていないのであり,すうのも可なのだから「止めてない」のである。
あるとき「喫煙を止めた,止めていない。」の話になったとき,ある女の人が味方してくれた。「うちのおじいさんはいつもポケットにタバコを3本忍ばせていた。たぶんどうしても吸いたくなった時のためだと思う。亡くなった時も棺にタバコを3本だけ入れてあげた。」いい話だ。同時に禁煙という話題が和らぎ他の話に逸れていった。
一応こうして3ヶ月間1本も吸う事はなかった。二コレットは残り10個ほどあった。全部記録していたわけではないのではっきりした数字ではないが,多分3ヶ月にこのくらいかかったと思う。
■3ヶ月にかかった経費 二コレット96個入り4箱=384個 27600円
二コレット24個入り1箱= 24個 2100円 二コレット12個入り2箱= 24個 2200円
合計で31900円である。ただし菓子ガム(100円程度)をだいぶ買った。ほぼ毎日買っていたのではないかな。二コレットの摂取量はとくに意識していなかったが,それでも少しずつ減っていった。二コレットのケースの中に「禁煙カレンダー」なるものが付いていて,毎日使用量を記入するようになっている。でも,これも1週間ともたない。それに記録しても,昨日より量が増えたりすると気分が悪くなる。(とにかくいいかげんで自分勝手な性格なのだ。)ただし,代わりに菓子ガムは増えていった感じである。予定よりだいぶ安上がりだと思う。
わ〜い!大成功だ!と思うのはまだ早い。
悪魔は闇に潜んでいるのだ。
一応3ヶ月喫煙を我慢できたら喫煙は成功のようだ。しかし,半年だ,1年だ,という説もある。こんなの多分死ぬまで成功とはいえないだろう。吸いたいという気持があるうちはいつでも喫煙者に戻れるように思うからだ。そして悪夢のような「ちょっと一服。」という「吸いたい衝動」はいとも簡単に禁煙の壁を突き破ってくる。
3ヶ月の禁煙は一応成功したが,4月退職というどうしようもない巨大な節目がやってきた。退職というのは経験がないと分からないと思うが実に嫌なもので,とても憂鬱になる。退職前は「あれをやろう。」「これをやろう。」とある意味夢を持っていたのが,全くの手付かずになる。一日中ボーとする。4月5月はまだ退職にまつわるもろもろの手続きがあるので,多少はやらねばならないことがあるが,それにしてもほとんど何もない状況は変わらない。ここで反省が生まれる。「ああ,もっと先のことを考えておけばよかった。」「次の仕事を考えておくべきだった。」気力がすべて失せ放心状態である。時折旧知の人が呑み会などの企画をしてくれるのが唯一の楽しみだが,終わればそれまでである。空白の日常はここで体の変調を起こす。まずは歯医者へ通った。結局悪かったもう1本の歯も抜くはめになった。これで痛い歯はなくなり食べたいものが食べられる。控えてきた肉料理が平気で食べられるし,食事はおいしく感じる。そこでついつい食べ過ぎたり,寝すぎて朝食抜きになったりする。そこで生活は不規則になりアルコールの量が増える。これまで30年ほど寝酒はほとんど欠かしたことがない。毎晩2〜3合飲んできた。酒を飲むとすっと眠れるし,6時間ほど眠ればさっと起きて仕事に行くことができた。ところが夜中の3時とか4時とかに目覚める(中途覚醒)があたりまえになってきた。起きてしまうとボートして気持がすっきりせず昼間に眠ったりして生活が不規則になる。だから中途覚醒したときに少し酒を飲む。そうすると朝までぐっすり眠れる。つまり寝る前に酒を飲んで眠り,途中でもう一度酒を飲んで朝まで眠るのである。これに頭痛が重なった。何か変わったこと(例えば眼鏡の蔓が折れてしまったこと)がおきるとそれだけで憂鬱になる。夜一人で酒を飲んだいると,つい1本(本当に何ということもないのだが)吸ってしまう。やりきれない気持になるのだけはいやなので「いいや」と簡単に自分を許す。もともと吸っても許すという方針だからあまり気にはかけない。不思議ともう1本とは思わない。1度吸ってしまうとぶり返すというがそんなことはない。この1本は夜寝る前のお酒のときである。悪く言えば気のゆるみ?
そんなこんなで,6月に集中して6本吸った。喫煙は就寝前の酒を飲んだときに限る。1本吸えば十分満足である。1日に2本ということはなかった。特に強いイライラ感とかではなく,まあいいや的な非常にあいまいな動機である。唯一考えられるのは見ていたテレビに喫煙シーンが2度ほどあった。それからは気にしていると,確かに古い映画などで喫煙シーンを見ると「吸いたい衝動」にかられることがある。たぶん,酒が入っていて喫煙シーンを見たりするとダメなんじゃないかと思う。ただし誰かと酒を飲んでいて,相手が喫煙してても(最近は喫煙者自身が少なくなったが)吸いたいとは思わない。
まあ,勝手な自己弁護をすれば,退職という抑うつ状態に,心の隙間が開いて,そこに煙が入り込んだんだろう。そして,たとえタバコをすってもそれはそれで許すという前提があるから,いつまでも心にわだかまる事もなかったように思う。40年も吸い続けたんだ。わずか数ヶ月で止められるはずはない。死ぬまで闘争は続くんだぞ!たぶん?
6月は正直一寸ピンチかな?という感じであった。しかし7月にはいった頃から軽い頭痛に悩まされるようになった。痛みは軽いが頻度が多く1日に何度となく軽い痛みがある。それと睡眠不足が重なり,病院へ行った。そこでの医師との問診である。
「タバコは?」 「去年までは1日40本以上。」 「・・・」
「止めました。いや正確に言うと先月なぜかは分からないけど4,5本吸いました。」
「4,5本か。気にする事もなかろう。」
う〜ん。やれやれである。自分では気にしてなかったつもりだが,気にはなる。それを医者から「気にすることもなかろう。」といわれたのである。変な自信になったりして。
家に帰って調べてみると6本吸っていた。4・5本と思っていたのに?気分はよくないがその6本以外少なくとも7月には入ってからは吸っていない。今はあまり吸おうという気もないし,車に乗ってもタバコがなくて慌てることもない。ただ今もガムだけは常備品というか,たいてい手元にある。
とにかく「禁煙」は否応なく時代の流れとして広まっていくだろう。そのとき禁煙運動が喫煙者を非難していく今のやり方では,流れを遅くすることはあっても速くする事はないだろう。喫煙者も非難されれば「対応の理屈」を考えなければならない。多額の税を払いながらも,非合法なことをやっているわけでもない。なのに非難され続けなければならない。喫煙者のマナーの悪さもよく言われるが,酒飲みのマナーの悪さ(セクハラ,逆セクハラ,パワハラ,時にはDV)の方がたちが悪いんじゃないかな。喫煙者は多分に被害者意識から抜けられない。これらは非喫煙者からは「すべて勝手な論理」といわれるが,正直な気持ちを理解した上でないと,屈辱の歴史にしかならない。それに喫煙者は多くの場合"止めたくてもなかなか止められないというニコチン依存症"なのだ。"症"をつけてはいけないのかもしれない(病気ではないのかもしれない)が,ずっと喫煙してきたものには「はい明日から止めましょう。」といって止められるものではないのだ。時折,止めたという人の話をきくが,依存度が低いか,よほどの意志の持ち主なのだろう。ただ,タバコそのものがこの世からなくなれば,または重病か何かで無意識か苦痛に喘いでいれば,禁煙できるだろう。国・JTはあんな「健康を害する」とか「周りに迷惑をかける」などの表示ではなく,そんなにいけないものなら販売そのものを止める方向をちゃんと打ち出すべきだ。禁煙活動家もそういう方向を考えているのだろうか?そんなことを話していたら愛煙家が言った。「昔の禁酒法だな。地下に潜るだけでそれこそどうしようもない犯罪の温床になること請け合いだな。地下に潜ると非課税になるから安くなるかもネ・・・」「いや,悪の温床になるから高くなるだろう。」「う〜ん,よわったな。」
誰かが言っていた。『「ちょっと格好つけて吸ってみた。ちょっと大人ぶって興味半分で吸ってみた。」はじめはそんな程度のものだった。それが今では身も凍るような恐ろしい世界になった。それは「自分の体に悪いからとか健康を害するから」というものではない。「あなたのタバコが私の健康を害するんです。」という非喫煙者の激しい非難である。だったらタバコそのものをなくす運動をすべきなのではないでしょうか。』
道路で,時折,喫煙者とすれ違うことがある。「ああ,いい香りだな。」吸いたいというほどではないが,羨ましさはある。時に1本と思わないではない。ただ,6月の失敗から,残っていた数本は吸った,未開封の3箱は全部捨てた。身の回りにタバコはない。ただ灰皿とライターはあるが,気にはならない。でも,吸ってみたい気持ちは「少年時代の憧れのように」残っている。
駅の近くを歩くと喫煙者に出会う。「いいなあ。」と思う。古い映画を見ていたり,時折TVで吸っている人が出たりする。「いいなあ。」と思う。でも買ってきて吸おうという行動にまではならない。誘惑に心動かされるので,機会があればいつでも喫煙者に戻れると思う。
6月以来タバコは吸っていない。8月はほとんどお酒も飲んでない。「いいぞ」と思ったらまだまだ。何の事はない,何のきっかけか分からないが手が何かを探している。タバコ?いや違う。何だろう。じっくり考えてみると分かった。ガムなのだ。そういえば今日はガムを一粒も口にしていない。今まで何気なしにガムをかんできたが,これも依存になるのだろうか?それとも食事と同じように考えればいいのだろうか。とにかくガムを1粒。これですっきりするってのはちょっとおかしいんじゃないのかな。ガムはキシリトールをよくかんでいます。また吸ったりしたら正直に報告したいと思います。私は禁煙していません。ただタバコを吸っていないだけです。今のところ,たまに吸うことがあったとしても,それはそれでいいやと思っています。(2007,8,17)
タバコを吸わないということが,特別えらいことでもなんでもない。吸いたくなったらいつでもどうぞというスタンスだけは持ち続けたいと思っている。まあ,お金もかかるし,吸う場所もないので辞めているだけである。先日テレビである人がタバコをうまそうに吸っているシーンを見て,「いいなー」と思った。駅裏付近は禁煙区域になっているが,時折タバコを吸っている人とすれ違うことがある。すると,ほのかに香るいい匂い。「ああ,吸いたい。でも年金生活者にはお金がない」今に,一食220円の生活になる。そうなればタバコは絶対無理だ。何の楽しみもない人生だ!(2008,1,17)
(続くかもしれません)
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