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文久2年11月16日(1863.1.5):
【京】薩摩と守護職(2)朝廷、容保に久光と力を合わせるようにとの沙汰/
【江】蒲田梅屋敷(3)長藩来島又兵衛、越藩中根靱負に事件の顛末を語る。

■薩摩藩の守護職任命運動
【京】文久2年11月16日、朝廷は、京都守護職松平容保に対して、先に守護職任命の沙汰を下した薩摩藩国父久光と力を合わせるようにとの沙汰を下しました

「公武御間柄の義につき、段々尽力、御満足に思召され候、殊に当御守衛柄勤め候こと、旁ら御安心あらせられ候ところ、方今、人心とかく異議相生じやすく、親藩斗一家奉職にては、外藩向心(人心?)居り合い難き候につき、このたび、島津三郎義、公武御一和の基本を周旋致し、皇国のため忠誠の者にて、此末公武の御為しかるべく思召され、抜擢守護仰せ付けられ候については、万事申し合わせ、警衛これあるべき候こと」

参考:『続再夢紀事』一・『徳川慶喜公伝』2(2004.1.5)
関連:文久2年11月12日(1863.1.1):【京】薩摩藩と守護職(1)島津久光を守護職にとの朝命/

■皇女和宮
【江】文久2年11月16日、将軍家茂と結婚した和宮を来秋上洛させるようにとの達書が幕府に届きました

参考:『続再夢紀事』一・『徳川慶喜公伝』2(2004.1.5)
■蒲田梅屋敷事件vs
【江】文久2年11月16日、長州藩来島又兵衛が越前藩邸を訪問し、中根靱負(雪江)に周布政之助による山内容堂誹謗事件の顛末を語りました

<ヒロ>
越前藩は事件には直接関与していませんが、長州藩にとって報告をしておくべき重要な存在であったことがわかると思います。なお、守護職として赴任予定の会津藩には報告があった気配はありません。(来島の語った内容はいずれ「余話」にでも)。

参考:『続再夢紀事』一(2004.1.5)


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