1月の「今日」 幕末日誌文久2 テーマ別日誌 開国-開城 HP内検索 HPトップ
■板倉老中暗殺計画 【江】文久2年11月18日、在府「壮士」による首席老中板倉暗殺計画について、幕閣は前土佐藩主山内容堂に説得を依頼するよう、越前藩に申入れました。 板倉は暗殺計画の内報(こちら)があった翌日の11月12日以来、春嶽の指示で登城を控えていました。この日、政事総裁職松平春嶽(前越前藩主)が将軍家茂と会見したところ、少人数である老中の一人が永く登城を停止していっては不都合なので出勤させるようにとの指示を受けました。そこで、評議に及んだところ、老中達は大小監察(目付)に「壮士」を説得させるようにと主張し、また大小監察は容堂に説得させるよう主張して、結論が出ませんでした。しかし、夜に入り、老中水野忠精から、壮士らの説得は容堂にさせたいので、越前藩の重臣から依頼するようにとの申入れがあったそうです。 <ヒロ> なぜ容堂かというと、幕府が暗殺計画を知ったのは、薩摩藩士高崎猪太郎から板倉の暗殺計画を内報された容堂が春嶽に報せたことがきっかけだからだと思います(こちら)。 ただ、説得するということは・・・「壮士」が誰なのかわかっているということなのですよね。それなのに、仮にも首席老中を暗殺しようという者に対して、捕縛ではなく説得です。時代の変化が感じられますね。 参考:『続再夢紀事』一(2002.1.7) 関連:■テーマ別文久2「老中板倉勝静@文2」 |
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