1月の「今日」 幕末日誌文久2 テーマ別日誌 開国-開城 HP内検索 HPトップ
■安政の大獄の追罰 【江】文久2年11月20日(1863.1.9)、将軍徳川家茂は老中に故井伊直弼ら安政の大獄関係者を譴責するようにと命じました。幕府は即日、追罰を行いました。将軍はさらに、政事総裁職松平春嶽に対して官位一等を辞す決意を明かしました。 将軍が老中に告げた譴責の理由は、「故井伊掃部頭在職中品々不届の處置に及び夫が為め卿朝廷へ対して申上ぐべき様もなき不都合を醸し成セリ。又其頃の年寄り以下にも不束の輩少なからざれば是ら皆譴責を加えざるべからず」というものでした。 家茂はさらに春嶽を呼び出し、井伊らの譴責について話した上、このような譴責を加えた上は、当時幼年であったとはいえ、自分もこのままでいるわけにいかないので、官一等を辞す決心だと述べたそうです。春嶽は深く感激し、涙を押え、一橋と相談して復命すると答えたそうです。 <ヒロ> 井伊以下の譴責案は老中格小笠原長行が起草したと言われています。小笠原は9月11日に老中格に任命されて以来、井伊らの追罰を主張していました。しかし、主張が通らないのを側用取次大久保一翁・大目付岡部長常に言路が塞がれているためだとみて、10月25日には首席老中板倉勝静に対して両名の解任及び井伊らの追罰を求めていました。11月5日には再び板倉に追罰及び朝廷への陳謝を促す書を提出しました。ここにいたって板倉も小笠原に一件を任せることにしたので、小笠原は密に有志の意見を聞いて譴責案をまとめたのでした。 譴責の内容は以下の通り。
関連:「テーマ別」「安政の大獄関係者の大赦・追罰」 |
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