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文久2年10月4日(1862.11.25)
【京】長州藩主毛利敬親参内。天盃を授かる。
【江】慶喜、上京に躊躇を示す

【京】文久2年10月4日、長州藩主毛利敬親が参内し、天盃を授けられました。

■慶喜上京延期問題
【江】文久2年10月4日、後見職一橋慶喜は、9日の上京期限に躊躇を示しました。

慶喜の上京は9月16日に決定しましたが(こちら)、在京激派の画策により、同月26日に慶喜の上京を11月まで延期せよとの沙汰が下され、10月1日着の京便(所司代の知らせ)で幕府に伝達されました。しかし、同月3日の京便で、準備が既に整っているので、勅使の東下に拘らず出立するようにとの沙汰が伝えられ、幕府は慶喜の出立期限を9日と定めました。

ところが、夜の京便で、所司代代行酒井忠績が参内したとき、天皇の出座がなかったこと、その理由は病気だともいうが、慶喜が上京しても拝謁を命じまいとの意見が朝廷にあるためにわざと出座しなかったのかもしれないことが伝えられました。それを聞いた慶喜は非常に当惑し、万一拝謁を命じられなければ開国意見を上奏することが不可能であり、上京しても意味がない、9日の出立は再考したいと述べたそうです。

参考>『続再夢紀事』一、『徳川慶喜公伝』(2003.11.25)
関連: ■テーマ別文久2「慶喜の上京延期問題

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