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文久2年10月8日(1862.11.29)
【江】春嶽、慶喜に政権返上覚悟の開国上奏を説く

■攘夷奉勅VS開国上奏
【江】文久2年10月8日、松平春嶽は「日本全国のための」開国上奏を主唱する慶喜に対して、朝廷が開国論を受け入れない場合は幕府は政権返上(大政奉還)する覚悟を定め、その覚悟をもって人心を鼓舞してはどうかと提案しました

春嶽は先日来、幕府諸士(老中・大目付ら有司)が「因循を脱し敵愾の気象を振起せしむ」ことが急務であると主張してきましたが、「積年の流弊」のため、「尋常の改革」では到底旧弊は改まらないと考えていました。

それで、この日、登城すると、慶喜に政権返上を覚悟した開国上奏を申し入れました。やりとりはこんな感じ↓
自分が「無謀拙策の嫌」いがあるのに「攘夷破却」を唱えたのは、小人に志を立てさせるには効験があると見込んだからである。しかし、「天地の間の公道に基づき云々(国家百年の計を立てる)の貴卿の高論(=幕府をなきものと見て、日本全国のためを謀る開国論)」は、「固より至當」であるので、速やかに同意した。

然るに「開国主義を奏上」される上は、そうでなくても「因循を事とする(幕府有司の)人情」なので、「いよいよ其区域(幕習?)を脱」せねばなるまい。されば、この際、「貴卿が奏上せらるる開国主義、若(もし)朝廷に於て容られざらば幕府は断然政権を返上せらるる事に覚悟を定め、さて此覚悟を以て人心を鼓舞する事にしては如何
(大いに同意したが)重大事なので老中らに言い聞かすことについては、熟慮の上、明朝改めて相談したい
(参考:『続再夢紀事』より意訳by管理人)

<ヒロ>
幕府要職の間で政権返上が提議されたのはこの日が初めてではないでしょうか。先日の、慶喜の開国論は「既に幕府をなきものと見て、日本全国の為を謀らんとするにあり」というもので、その迫力は幕閣を圧倒したわけですが、春嶽の大政奉還覚悟論はこの慶喜の意見を発展させたものとなっています。慶喜は同意はしたものの、即答しないあたり、ちょっと及び腰のようです。(この後、春嶽の大政奉還覚悟論をさらに発展させた大久保忠寛(一翁)の大政奉還論が出てきますので、お楽しみに〜^^)。

約5年後、将軍となった慶喜は実際に大政奉還をすることになりますが、彼にとって、大政奉還とは、かなりなじみのあるアイデアだったのです。

参考:『続再夢紀事』一(2003.11.29)
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