11月の「今日」 幕末日誌文久2 テーマ別日誌 開国-開城 HP内検索 HPトップ
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■攘夷奉勅VS開国上奏 【江】文久2年10月8日、松平春嶽は「日本全国のための」開国上奏を主唱する慶喜に対して、朝廷が開国論を受け入れない場合は幕府は政権返上(大政奉還)する覚悟を定め、その覚悟をもって人心を鼓舞してはどうかと提案しました。 春嶽は先日来、幕府諸士(老中・大目付ら有司)が「因循を脱し敵愾の気象を振起せしむ」ことが急務であると主張してきましたが、「積年の流弊」のため、「尋常の改革」では到底旧弊は改まらないと考えていました。 それで、この日、登城すると、慶喜に政権返上を覚悟した開国上奏を申し入れました。やりとりはこんな感じ↓
<ヒロ> 幕府要職の間で政権返上が提議されたのはこの日が初めてではないでしょうか。先日の、慶喜の開国論は「既に幕府をなきものと見て、日本全国の為を謀らんとするにあり」というもので、その迫力は幕閣を圧倒したわけですが、春嶽の大政奉還覚悟論はこの慶喜の意見を発展させたものとなっています。慶喜は同意はしたものの、即答しないあたり、ちょっと及び腰のようです。(この後、春嶽の大政奉還覚悟論をさらに発展させた大久保忠寛(一翁)の大政奉還論が出てきますので、お楽しみに〜^^)。 約5年後、将軍となった慶喜は実際に大政奉還をすることになりますが、彼にとって、大政奉還とは、かなりなじみのあるアイデアだったのです。 参考:『続再夢紀事』一(2003.11.29) 関連■テーマ別文久2:「国是決定:破約攘夷奉勅VS開国上奏」 ■開国開城「第2の勅使三条実美東下と攘夷奉勅&親兵問題」 |
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