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文久2年4月17日(1862.5.13)
【京】島津久光、入京。
【京】薩摩藩堀次郎、決起の激派説得。

■久光の率兵上京と寺田屋事件
【京】文久2年4月17日、孝明天皇の滞京・浪士鎮撫の内命を受けて、薩摩藩国父の島津久光が率兵入京をし、錦小路の藩邸に入りました。

激派説得の動き:

久光は浪士鎮撫の勅命を請け、自らの立場を鮮明にしたのですが、久光に期待して討幕挙兵を行おうと京阪に集まっていた西国諸藩士・浪士や一部の薩摩藩士(精忠組の激派)はあきらめていませんでした。久光は藩士にみだりに浪士と交際することを禁じていましたが、精忠組の有馬新七・田中謙助は、浪士田中河内介・小河一敏らと談合し、<まず挙兵して関白九条尚忠・所司代酒井忠義を斬れば諸藩も眠りから覚めて革新の道が開けるだろう。これは久光の命に背くようだが、尊攘の大義のためなので、かえって忠節をつくすことになるのだ>とし、彼らは挙兵を18日と決めていました。不穏な動きに気づいた薩摩藩堀次郎らは、挙兵前日の17日、精忠組の柴山愛次郎・橋口壮介に一書を送り、彼らの鎮静につとめたそうです。


関連:■テーマ別「久光上京と寺田屋事件」■「開国開城」「文2:薩摩の国政進出-島津久光の率兵上洛と寺田屋事件」■薩摩藩日誌文久2年

<参考>『維新史』・『徳川慶喜公伝』(2003.5.13)


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