5月の幕末京都 幕末日誌元治1 テーマ別日誌 開国-開城 HP内検索 HPトップ
◆4/10 ◆4/12
☆京都のお天気:晴冷(久光の日記より) ■一会桑 【京】元治元年4月11日、幕府は所司代の稲葉正邦(淀藩主)を老中に任じ、松平定敬(桑名藩主)を所司代に任じました。 将軍は特に定敬を召して、肥後守(=容保)と協議して尽力せよと命じたそうです。 <ヒロ> 定敬(さだあき)は会津藩主松平容保の異母弟です(どちらも美濃高須藩出身の養子)。この人事について、『七年史』では「越中守(=定敬)は肥後守の弟なれば、大将軍の深慮に出るなりと云えり」と記してしています。 参考:『維新史料綱要』五、『七年史』ニp171(2010/10/10) しかし、会津藩は守護職辞任運動を続けます・・・。↓ ■容保の守護職再任 【京】元治元年4月11日、会津藩家老横山主税及び神保内蔵助(修理)は、共に登城して老中水野忠精に守護職事態の請願書を提出しました。 <ヒロ> やはり、容保の病を理由とする辞退です。会津藩は守護職復職が命じられた7日にも辞表を出していますが、この時は受理されませんでした(こちら)。今回は、両家老が「至情を再陳して、止まざりけれは」、老中はやむを得ず受取ったそうです。 参考:『七年史』ニp170-171(2010/10/10) 関連■テーマ別元治1「会津藩の守護職再任」 ■旧参豫諸侯の帰国 【京】元治元年4月11日、伊達宗城が帰国のため京都を発ちました。 【京】元治元年4月11日、松平春嶽・池田茂政(備前藩主)・島津久光・長岡良之助(肥後藩主弟)が参内し、賜暇の恩を謝しました。各自の国事周旋の功が賞され以下の官位昇進がありました。
関連■テーマ別元治1「参豫諸侯の帰国」 参考:『続再夢紀事』三p101-102, 『伊達宗城在京日記』p403-404、『玉里島津家史料』ニ(2010/10/10) ■横浜鎖港問題&天狗・諸生 【江】元治元年4月11日、水戸藩主徳川慶篤は、幕府に対し、鎖港攘夷の幕議決定なく鎮撫は困難と陳述しました。また、横浜鎖港断行の勅命入説のため奥右筆頭野村彜之介に上京を命じました。 4月12日付野村書簡(郷里宛)によれば
参考:『水戸藩史料』下583,586、『維新史料綱要』五) 関連:■水戸藩かけあし事件簿■テーマ別元治1「横浜鎖港問題(元治1)」「水戸藩・天狗争乱(元治1)」■おすすめサイト:「水戸学・水戸幕末争乱(天狗党の乱)」 【京】右兵衛権佐石山基正邸に中川宮・久光弾劾の投書(『官武通紀』) 【江】英国公使オルコック、老中らに横浜鎖港は承諾しがたいと述べ、長州藩主処分を問う(『維』五) 【江】水戸藩主徳川慶篤、書を鳥取藩主池田慶徳「相模守」・岡山藩主池田茂政に寄せて、斡旋を依頼する。 【天狗党】烈公の神主を奉じて大平山に下る/田中愿蔵一派(田中隊)、宇都宮の商家を脅して尊攘軍の資金と称して金銭を強奪する。(『維』五) |
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