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元治1年4月13日(1864年5月18日)
【京】庶政委任:天皇、二条関白らに将軍への庶政委任を諮問。異議なし
【京】旧参豫の帰国:
春嶽、慶喜に対し、自分及び久光の退京には別に仔細なしと説明


☆京都のお天気:晴冷(久光の日記より)
■庶政委任
【京】元治元年4月13日、孝明天皇は、参内した二条関白・近衛前関白父子・鷹司前関白・徳大寺公純右大臣・山階宮・中川宮・議奏・伝奏に将軍への庶政委任を諮問しました。

一同、異議がなかったそうです。

<ヒロ>
『幕末政治と薩摩藩』によれば、杉浦梅潭目付日記の4月5日条に、慶喜の(朝廷に差し出したと思われる)政令一途を願う意見書が掲載されているそうです。(日記をGETしたら、内容をUPします。

参考:『徳川慶喜公伝』3p38
■テーマ別元治1「庶政委任再確認

■旧参豫諸侯の帰国

【京】元治元年4月13日、松平春嶽は、禁裏守衛総督・摂海防御指揮の一橋慶喜に対し、自分及び島津久光の退京には、別に仔細はないと説明しました。

この日、春嶽は慶喜の宿舎を訪ねました。

越前藩の記録によれば、やりとりはこんな感じでした。
慶喜 兼ねて憂慮されていた国是の議論が未だ決定せぬのに、なぜ中途で帰国しようとされるのか。あまりにも御見限りの事である。
春嶽 (心中、大いに驚くが(注1)、それを態度に出さず)大樹公に御名残を惜しまぬのではないが、既に朝廷から御暇を賜っており、国帑の疲弊も著しく、到底継続しがたいので、止むを得ず帰国するのである。
慶喜 そのような事であれば誠に安心である。御帰国後も御心付の事は、時々文通にて御教示願いたい。また、薩(=久光)は何故帰国するのだろうか。これも「功を一賽に缺くなり」である。
春嶽 薩も、拙者同様で、別に仔細があるはずもない。
慶喜 (何事をか深く心に懸ける様子で何事も言わなかった)

注1 『続再夢紀事』では、春嶽が心中驚いた理由を「公(=春嶽)今度帰国せらるる事に至りしハ、元来幕府に於て諸侯の在京して国事に関する事を喜はれす、一橋殿は殊にこれを嫌はるる事実ありと察せられし故、曩(さき)に参豫を辞し、今又守護職をも辞せられし事なれハ、実ハ一橋殿陰かに帰国の期を促されしものなるを、今、斯く申さるるハ陰嶮なる次第故」と説明しています。

<ヒロ>
これって、狐と狸の化かし合い状態なんでしょうか???(慶喜の真意がどうなのかいまいちよくわかりませんが・・・。慶喜って、ホントに転変しすぎて、凡人の私には理解が難しいです・・・) 

それにしても、春嶽の心の声が・・・辛辣すぎます〜^^;。もう、ホントに、覆水盆に返らず(こちら)なんですねえ。

参考:『続再夢紀事』三p103-104(2010/10/11)
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