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文久2年5月5日(1862.6.2)
【京】長州藩士長井雅楽の謗詞事件

■長井雅楽の航海遠略策
【京】文久2年5月5日、朝廷は、長州藩士長井雅楽の起草した航海遠略策の建白書に朝廷を誹謗した文言(謗詞)があり、懸念ありとの沙汰を下しまた

先に長州藩には公武周旋に尽力するようにとの勅旨が下されましたが、文中に「大膳大夫(藩主敬親)建白之旨趣未だ徹底いたさず御残念に思召候處・・・」(『維新史』・書き下しヒロ)という箇所がありました。長州藩は奉答書の中で、その部分を質していましたが、この日、再び朝旨が下りました。

「長井雅楽差出候建白之義は、先御国是右様之御事にても可有之哉、試に書取差出候迄之儀にて、朝議は勿論、上列藩より下■■(変換できませんm(..)m)にいたる迄、高等之説有之候はば、其説に随ひ違議無之候旨言上候。但し右建白中、朝廷御処置聊謗詞に似寄候儀も有之、御懸念に被為在候得共、是等は主人御上京候はば委細に御弁解可被為在候。併開国航海之儀は第一音国体変動不容易儀に付、軽易に叡断難被遊天下之衆議被聞召上候上之御事に可有之と御沙汰候事」(『維新史』の防長回天史引用部分より。適宜当用漢字に変換)

この頃、京都では建白中の「昔を思い、国威を五大州に振るうの大規模なかるべからず」という部分が、古代の朝廷隆盛の時代と外国に迫られて開国した今の時代を比較して、現在の朝廷を誹謗するものだという議論が起っていました。長井の公武合体−開国論を嫌い、長井を排斥して長州藩の藩論を一転させようという、藩内尊攘派激派の久坂玄瑞らの朝廷工作の結果でした

<参考>『維新史』三・『徳川慶喜公伝』2(2003.5.30)
関連:■テーマ別文久2「長井雅楽」■開国開城「文1:長州の国政進出:航海遠略策」 「開国開城-文2:長州藩論一転・破約攘夷へ」

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