6月の「今日の幕末」 幕末日誌文久2 テーマ別文久2  HP内検索 HPトップ

前へ   次へ

文久2年6月4日(1862.6.30)
【江】大小目付、御用部屋評議に参加へ。
【江】老中、春嶽と久光の面会を承諾。

■幕政改革へ
【江文久2年6月4日、この日より、大小目付らが御用部屋の評議に参加することになりました

関連:■「開国開城」>「文2:勅使&島津久光東下との幕政改革」 ■テーマ別文久2年:「幕政改革へ
参考>『再夢紀事・丁卯日記』(2003.6.30)

■勅使&久光の東下
【江】文久2年6月4日、登城した春嶽は、前日薩摩藩の使者伊地知貞馨が申し入れた同月8日の島津久光との面会の件について老中らに相談しました。老中らの反応は、会って事情を聞き取るとよいだろうとのことでした。

<ヒロ>
久光の取扱には幕府も困っていたようです。久光は薩摩藩主の実父ですが、幕府にとっては陪臣なので、本来なら「薩州国家老之格」をもって処遇するのが「至当」でした。ところが、久光の「目今の威力」は「先候(=斉彬)の再生に等しく」、去る4月に入京したときも藩兵を九門内に入れ、直に近衛邸に入るという禁を犯しましたが、内々に物議がかもされたみで、公武の諸官中、誰もそれを咎める者がいませんでした。このように、久光の勢いは既に陪臣という立場で扱えるものではなかったのです・・・。

関連:■「開国開城」>「文2:勅使&島津久光東下との幕政改革」 ■テーマ別文久2年:「一橋慶喜・松平春嶽の登用問題と勅使大原重徳東下」「薩摩藩と越前藩
参考>『再夢紀事・丁卯日記』(2005.7.5)

前へ   次へ

6月の「今日」  幕末日誌文久2 テーマ別日誌  開国-開城 HP内検索  HPトップ