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文久2年6月5日(1862.7.1)
【江】薩藩伊地知貞馨、松平春嶽に久光への助力を求める
【江】長藩長井雅楽、帰郷謹慎を命ぜられる

■勅使東下-慶喜・春嶽の登用
【江】文久2年6月5日、島津久光の使者・伊地知貞馨(堀小太郎)は春嶽を訪ね、先代藩主島津斉彬の遺志を継いだ久光の公武合体の周旋への助力を求めました。

伊地知貞馨(いじち・さだか)は、島津久光に先立ち、6月2日に入府しました。翌3日に越前藩邸を訪ねましたが、春嶽が不在だったため応接した中根雪江らに、(1)春嶽の勅使と久光への助力と(2)久光着府翌日(8日)の春嶽との面会を申し入れました(こちら)。4日、春嶽は久光との面会について老中と相談し、会って事情を聞き取るとよいだろうとの反応を得ていましたこちら)

この日、登城前に伊地知と会った春嶽は、久光との8日の面会を承知しました。

関連:■「開国開城」「文2:勅使&島津久光東下との幕政改革」 ■テーマ別文久2年:「一橋慶喜・松平春嶽の登用問題と勅使大原重徳東下」「薩摩藩と越前藩」 ■薩摩藩日誌文久2 ■越前藩日誌文久2 
参考>『再夢紀事・丁卯日記』(2002.7.1)

■長井雅楽
【江】文久2年6月5日、長州藩主毛利敬親は長井雅楽に帰国謹慎を命じました。

雅楽は5月16日、謗詞事件について、藩主敬親に累を及ぼすことを恐れて、一切自分の責任であるので厳罰に処してほしいとの待罪書を敬親に提出し、処分を待っていました。長井はこの後、18日に江戸を出立して帰国の途につきました。

関連:■テーマ別「長井雅楽」■開国開城「文1:長州の国政進出:航海遠略策」 「文2:長州藩論一転・破約攘夷へ」長州藩日誌文久2
参考>『徳川慶喜公伝』(2002.7.1)


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