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文久2年6月22日(1862.7.18)
【江】容保ら、春嶽の登城を促す

■勅使東下-慶喜・春嶽の登用
【江】文久3年6月22日、幕政参与・会津藩主松平容保らは病を理由に登城を停止している幕政参与松平春嶽に対し、一日も早い登城を促す書を遣わしました

春嶽は一橋慶喜の後見職登用をしぶる幕閣に不満をもって辞意を固め、同月18日以来、登城をとりやめていました(こちら)。(越前藩の記録をみていると、実際、本当に体調を崩していたようにもとれますが)。越前藩では、家老らが春嶽の辞職を内願することに決め、この日、使者を老中脇坂安宅に遣わして面会の日程を調整させました。脇坂の返答は、急ぎなら明23日朝、でなければ4〜5日後にとのことだったので、明23日に会うことになりました。

<ヒロ>
脇坂の返事をみていると、どうも春嶽が辞意を固めていることに気づいていないようです。

参考>『再夢紀事・丁卯日記』(2005.7.13)
関連:■「開国開城」「文2:勅使&島津久光東下との幕政改革」■テーマ別文久2年:「一橋慶喜・松平春嶽の登用問題と勅使大原重徳東下

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