■攘夷布告
【京】文久3年6月17日、守護職松平容保は、前尾張藩主徳川慶勝と相談の上、急使をもって、老中板倉勝静・水野忠精に攘夷布告を促す建議をしました。
概容は以下の通り(箇条書きは管理人)
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二条城ご出発前に拙者に取り計らうよう命じられた件は承知しました。 |
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「攘夷援兵の件」に付いては、伝奏から下の「御書付」を受取り、そのときに「御処置方」を伺うべきところ、御取り込みだったので、伺い損ねました。中條中務大輔らが参内の折に伝奏から拙者への伝言があり、<過日、和泉守へ達し置いた御沙汰の次第は、未だ布告していないときく。既に朝廷からは御沙汰になったのに大樹公から御達しがなくては「御不都合」であるので、早速に御達しになるように>との御催促がありました。右の勅書は時節柄、打ち捨て置く事柄でもありませんので、急使をもって申し上げます。 |
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「外藩等」に朝廷から既に御沙汰があったのに、「公邊」から布告がなければ「御不都合」ですので、急ぎ御評議の上、御布告になるよう願います。これはじ「重大の事件」ですので、前大納言殿にもご意見を伺い、町奉行にも見込みを尋ね、評決の上、申し上げることです。 |
(伝奏の書付の概容は以下の通り
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「異船海上通行」の際、見懸次第、謂れなく打払うべき筋はないが、(外国)襲来・隣国にて兵端を開き、鉄砲を打ち合う折柄、「絶て傍観」せぬよう、「時宜相當の處置」をすること。 |
参考:『七年史』一p353−355(2004.8.1) |