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■安政の大獄大赦 【江】文久3年7月10日、前日政事総裁職に就任したばかりの春嶽は登城して一日も早く(安政の大獄の)大赦を遂行するよう主張しましたが、後見職一橋慶喜も老中も不賛成でした。 慶喜は<自分を始め足下(春嶽)も皆罪があり、安島帯刀(水戸藩家老。戊午の密勅を受け取った罪で死罪)は最も重罪であり、その他も同様である。桜田門外の変も水戸浪士は不届き至極であり、坂下門外の変も同様である。現在獄中の大橋順蔵は最も罪が大きく、天下の大法において赦しがたい>(意訳ヒロ)と大赦には同意しませんでした。 幕権の維持をはかる老中を始めとする幕府の役人も大赦には反対でした。大久保忠寛(一翁)は「勤王家か朝廷を假って幕府の敵討二相成の説二而殊更不服」だったそうです。 関連:■テーマ別文久2「一橋慶喜・松平春嶽の登用問題と勅使大原重徳東下」「大赦」■「開国開城」「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革」 ■所司代人事 【江】同日、春嶽は、6月30日に所司代に就任したばかりの本庄宗秀に会い、その意見を尋ねたところ、 (1)京都の警衛は所司代だけで行いたい、(2)外交においては長崎・箱館の2港を閉鎖したい、などと述べ、また(幕府の財政難による)手当逼迫を歎いたそうです。 関連:■テーマ別文久2「京都所司代人事」 <参考>『再夢紀事・丁卯日記』 |
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