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文久2年7月12日(1862.8.7)
【江】慶喜・老中、春嶽の大赦論に同意する
【江】所司代:勅使大原重徳、春嶽に本庄宗秀の更迭を申入れ/
【坂】土佐藩主山内豊範大坂着。

■安政の大獄大赦&所司代人事
【江】文久3年7月12日、政事総裁職の松平春嶽は、10日、11日に続いて、大赦の執行を三度主張したところ、慶喜はついに同意しました

春嶽が「大赦の義は幕府の私権を去られ非政を改められ候御信義の第一著」であるとして、激論したところ、老中はようやく同意したそうです。将軍後見職の一橋慶喜は、大赦は自身及び実家(水戸藩)に関わることなのでいろいろ斟酌して抗議したそうですが、私情に拘っていることを悟り、ついに同意したそうです。

同日、勅使大原重徳は春嶽に使者山科兵部(薩摩藩士吉井幸輔)を遣わし、大赦及び新所司代人事(本庄宗秀)について以下のように申し入れをしました。

大赦については、大橋順蔵(坂下門外の変首謀者の一人)の赦免、薩摩藩に駆け込み、そのまま薩摩藩預りとなっている水戸浪士の赦免を求めました。所司代人事については本庄は安政の大獄時の「管理の人二而彦大老の党与なれハ叡慮に叶ひまじき」と懸念を示し、暗に更迭を求めました。

参考>『再夢紀事・丁卯日記』、『徳川慶喜公伝』2、『維新史』三
関連:■テーマ別文久2「一橋慶喜・松平春嶽の登用問題と勅使大原重徳東下」「大赦」「京都所司代人事」■「開国開城」「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革」

■土佐藩
【坂】文久3年7月12日、参勤交代途上の土佐藩主山内豊範一行が大坂に到着しました。しかし、藩主を始めとして一行の多くは麻疹にかかっており、大坂に滞在することになります。

参考:『徳川慶喜公伝』2、『維新史』三
◆6月28日−土佐藩主山内豊範、2000名を率いて土佐出立。武市半平太ら随従。


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