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中学受験800字コラム:第1編

・中学受験の受験指導をしていて思ったこと、感じたことを書いてみました。お子様の中学受験指導の参考にしていただけたら、と思っています。

その1 ~ 「ケーキをフライパンで焼く」 ~

 以前、小学校6年生の生徒を相手に随筆文の読解問題の解説授業をしていたときのことです。問題文の中で、筆者がケーキを焼くという話が出てきました。
 「ケーキを焼くの?」ある男の子が私を不思議そうな目をして見るのです。そのときは、私は彼が何に疑問を持っているのかが分かりませんでした。しかし、話を聞いてみて、ようやく分かりました。彼は、ケーキをフライパンか何かに載せて焼いているイメージを頭の中に思い浮かべていたのです。
 要するに、ケーキをオーブンで焼いて作るということを知らなかったのです。
自分にとっては「常識」であることが生徒にとっては「常識」ではないことを思い知らされた出来事でした。私は、「そんなことも知らないのか!」と言いたい気持ちを抑え、事実を丁寧に教えてあげることで、生徒のプライドを守ることに心を砕きました。
 以上の出来事を「今の子どもはモノを知らない」の一言で片付けていいのでしょうか? 彼は、おそらくケーキをオーブンで焼くということを知るきっかけになるような経験をしてこなかったのでしょう。そういう経験を子どもにさせるのは、やはり私たち大人の役割ではないでしょうか?
 21世紀の便利な世の中にあって、子どもたちが生活上において、いわゆる「経験不足」に陥っている向きは否めません。また、自分にとって興味のないことには目を向けない傾向も強いように思います。
 世の中の全てのことに興味を持て、とは言いませんが、様々な経験をさせることで、自分が普段目を向けていないことにも目を向けさせるきっかけが生まれ、自分の世界が広がり、知識も増えていきます。そうすることで知的好奇心が高まり、「学ぶ」ということに貪欲になり、学力も向上するものと考えます。
 知ることは楽しい。それを気づかせるきっかけを作ることが大切だと思うのです。

その2 ~ 「社会の勉強法 (1)」 ~

 受験生を持つ保護者の方々の多くが社会という科目は「覚えればいい科目」という認識をお持ちのようです。その認識が間違っているとは言いませんが、この「覚えればいい」というのが実は意外に難しかったりします。
 私が塾で社会の授業を担当したときに必ずといっていいほど出会ったのが、歴史分野の知識がなかなか覚えられない生徒。他科目の成績は比較的優れているのに、豊臣秀吉といった、誰でも知っているような歴史的人物さえなかなか覚えられなかったりします。
 これは能力の問題ではありません。やはり、「興味がないから覚えられない」ということなのだと思います。私の方でも手を変え品を変え、そういう生徒にも歴史に興味を持ってもらえるよう創意工夫はするのですが、なかなかうまくいきませんでした。
 元来、根本的に興味のないことに関心を向けさせること自体難しいことですし、今の子どもは自分にとって関心のないことに対しては頑なに目を向けようとはしません。
 それでも受験を突破させるためには、生徒たちに知識を覚えさせなければなりません。では、どうするべきなのか? 私は、一つのプリントを全て覚えるまで繰り返し解かせるという方法をとってきました。
 同じ問題を繰り返し解かせれば、興味のないようなことでもさすがに覚えます。また、歴史嫌いの生徒も「受験に出ることだから、覚えなきゃ」という意識はありますから、頑張って覚えようとはしてくれます。
 しかし元々興味のないことですから、すぐに忘れてしまいます。ですから時期を置いて、また同じ問題をもう一度繰り返す。そうすることで知識を定着させていくのです。
 「百ます計算」などで著名な陰山英男氏も同じ教材の徹底反復学習を生徒たちにさせることで、高い学習効果をあげてきたようです。

その3 ~ 「社会の勉強法 (2)」 ~

 先日のコラムで、社会は「同じ問題を繰り返して覚えればいい科目」と書きました。確かに、社会という科目は知識量がベースになることは間違いないと思います。しかし、昨今の中学入試における社会は知識量を増やすだけでは突破できないというのも事実です。
 駒場東邦では、1930年代に日本がどうして満州に進出しようとしたかを説明させる問題が資料を交えて出題されました。当時、日本にあふれかえっていた失業者を満州に移住させ、開拓をさせようとした旨を答えられればいいわけですが、なかなかの難問です。少なくとも、「1931年に満州事変が起こった」というような表面的な知識だけでは太刀打ちできません。
 駒場東邦や海城などでは、表や資料といったデータの読み取りから記述させる問題が出題されるのが特徴です。データの読み取りにはもちろん知識が必要ですが、出題意図からデータのどこに注目するかを判断する論理的思考力や数字の裏に秘められた事実を読み取る洞察力も必要になってきます。
 一方で、麻布では「新聞社が企業などからの広告料にたよることが、なぜ新聞の内容に影響を与える可能性があるのか」を説明させる問題が出題されました。例えば、広告を出してくれている企業の批判などができにくくなる、などと書ければいいのですが、小学生には難しい問題でしょう。そのようなことは受験参考書には触れられていません。
 受験参考書に載っていないことでも、自分が知っていることを総動員して、何らかの答えを導かなければならない。そのためには、幅広い教養と深い思考力が必要です。
 中学受験では、社会だけに限らず、他教科でも、日々の学習で培った力以外に、受験生の思考力を問う問題を出題する傾向が顕著です。ですから、単に知識を増やす「記憶」の学習以外に、物事をじっくり見つめて考える「思考」の学習が必要不可欠になっています。

その4 ~ 「社会の勉強法 (3)」 ~

 先日のコラムで、中学受験における社会の対策では、物事をじっくり見つめて考える「思考」の学習が必要不可欠だということを書きました。では、「思考」の学習をどのように行うべきなのか。これは非常に難しく、一朝一夕にはいかないと言わざるをえません。
 敢えて身も蓋もないことを言ってしまうと、幼い頃から「思考」の習慣が身についている子は「思考」の学習などと意識づけする必要はなく、「思考」の習慣が身についていない子は「思考」の学習を行うこと自体がなかなか難しいのです。
 上位校を中心に、中学入試問題で思考力を問う問題が頻繁に出題されるようになったのは、勉強ばかりしてきた子よりも「思考」の習慣を身につけた子に入学してきてほしいという、学校側のマインドの表れだといえます。
 だからといって、「『思考』の習慣がない子は中学受験してはいけない」というわけではありません。中学受験対策としての「思考」の学習のあり方というのも存在します。
 それは、入試問題を実際に解いていく、ということに尽きると思います。最初は全く解答できなくても、塾の先生や家庭教師などの指導を受けつつ、問題に喰らいついていけば、多少は「思考」の習慣も身につき、何らかの答えは書けるようになってくるものです。
 入試問題を解くということは、出題意図を理解して、それに合わせた解答をすることです。つまり、問題作成者である学校の先生と子どもとの一種の「コミュニケーション」であるともいえるのです。いくら「思考」の習慣が身についている子でも、出題意図に合わせた解答ができなければ意味がありません。
 学校の先生は大人です。「相手」のことをよく知っておいた方が「コミュニケーション」もうまくいきますから、普段から周りの大人と積極的に交流を図り、大人の考えに触れさせることが受験対策として有効であり、いろいろと「思考」するきっかけにもなります。

その5 ~ 「国語という科目 (1)」 ~

 国語という科目は、算数など他の科目と比べて、成績を上げるのに時間がかかる科目だといわれます。
 例えば、算数には公式など、ある程度決まりきった解き方というのがあります。しかし、国語には公式のような確立された解き方はあまりないと言っていいでしょう。そういう「あいまいさ」が国語の成績向上を難しくしている一因だと思われます。
 国語に必要な学力として、よく「語い力」というのが挙げられます。確かに、問題文を読み解く上で、言葉の意味をそれなりに知っている必要はあります。しかし、日本語の文章を読むことは、英文を読み解くときのように単語の意味をどれだけ知っているかが鍵になるという訳ではないと考えます。
 ある生徒を指導しているときに、問題文に「平凡でありきたり」という表現が出てきました。この表現は否定的な意味合いとして使われているのですが、この生徒はそれを肯定的な意味合いで捉えてしまいました。「平凡」という言葉が「ふつうで、変わったりしたところのないようす」という意味であることを知っていた上でそう読み取ったのです。「ふつうなのだから、別に悪いことではない」と。
 いわゆる「辞書的な意味」を知っているだけでは言葉の意味を捉えるには不十分だということです。まずは、文章の流れ=文脈に即して読み取ることが大切ですが、「平凡でありきたり」という表現が一般的に「特に優れたところがない」という意味合いで使われることが多いことを教え、認識の間違いを指摘していくことがここでは重要になってきます。
 国語が苦手な子は言葉の根本的な認識が間違っている場合が多いのです。問題を解いてもらう過程で認識の間違いを発見し、それを一つ一つ訂正していく必要があります。
 言葉の認識の間違いを正す作業は根気が要ります。だから、国語の成績を上げるのに時間がかかるのです。

その6 ~ 「国語という科目 (2)」 ~

 先のコラムで「文章の流れ=文脈に即して読み取ることが大切」ということを書きました。これは、国語を指導する誰もが口を揃えて言うことだと思います。
 国語が苦手な子は文脈がうまく追えないので、文章の内容が把握できません。ですから、国語の成績向上のためには、まず文脈を的確に追うコツを身につける必要があります。
 では、どうすれば文脈を的確に追えるのか。まず、「キーワードにマークをつける」。例えば、問題文が平和をテーマとしたものならば、文中に出てくる「平和」という言葉の全てをマークします。いわゆる「キーワード」の近くに文章の重要なポイントがあるので、その部分を重点的に見ていけば、文章の全体像を捉えることができる場合が多いのです。
 次に、「接続詞に注意する」。特に、順接や逆接の接続詞は注意が必要です。例えば、「戦争はなくならない。しかし、平和への努力は続けるべきだ」という文があった場合、「しかし」という逆接の接続詞の後にある文が筆者の主張であり、文章を理解する上で重要であると捉えるべきなのです。
 以上述べたことは、国語を教える誰もが生徒に指導する事柄です。ですから、模試や受験問題の問題文の読み方の基本だと言えます。
 国語が苦手な子ほど、問題文をただダラダラと読み進めていく傾向があります。試験は解答時間が決まっていますから、ダラダラしている余裕などないわけです。
 だからといって、「ウチの子は文章を読むのが遅いから国語ができない」というのも一種の誤解です。読むスピードの問題ではなく、やはり読み方の問題なのです。
 ただ漫然と文章を読むのではなく、ここは読み飛ばしていい、ここは重要そうだからじっくり読もうということを意識的に判断していく。そうすることで、短時間で的確に文脈を追えるようになります。そういう訓練を重ねることが国語の学習の上で大切なのです。

その7 ~ 「国語という科目 (3)」 ~

 先のコラムで触れたように、国語の問題を解くときにはどのように問題文を読んでいくかが大切です。「文章の読み方」を身につけることで、成績は一気に向上します。
 「文章の読み方」を身につけるためには、言葉の意味を正しく理解できるようにならなければなりません。そのためには、分からない言葉に出会ったら辞書を引く習慣を身につけさせる一方で、言葉の認識が正しく行われているかをチェックして、間違いがあれば正していく作業を並行して行う必要があります。
 そのうえで、「キーワード」などを手がかりに文章の重要な部分を見いだし、そこを意識しながら読めるように学習していきます。少なくとも、漫然と文章を読まないようにしていくことが大切です。
 以上のような学習を独学でやっていくのは困難であることは想像にかたくないでしょう。国語という科目は、実は自学自習が最も困難な科目といえるのです。
 だから、しかるべき大人が子どもの傍らにいて、どのように文章を読んでいるか、正しく言葉を理解しているかをチェックして、間違いがあれば正していく。それが国語の理想的な学習のあり方です。傍らにいる大人は保護者の方でも、塾の先生でも、家庭教師でもいいと思います。
 大人の適切な協力を得て、「文章の読み方」の訓練を地道に繰り返していけば、国語の成績は向上します。国語力を高めるために、特別なことをする必要はないのです。
 国語の成績を上げるためには、選択問題での選択肢の絞り方を身につけることやテストで問題を解く際の時間配分がうまくできるように訓練することも必須となるでしょう。
 しかし、国語という科目の根本は文章の読解です。物語文であれば、登場人物の心情を的確に捉えられるか、説明文・論説文であれば、文章のテーマを文脈に沿って理解できるかが重要になってくるのです。

その8 ~「想像」と「空想」 ~

 先のコラムで述べたように、国語という科目の根本は文章の読解です。物語文であれば、登場人物の心情を的確に捉えられるかが重要であるとも述べました。
 では、登場人物の心情をどのように捉えればよいのか。文中に「太郎君は悲しくてなりませんでした」と書いていれば苦労はないのですが、そういう明快な文章が中学受験で出題されることはほとんどありません。
 「太郎君は夕暮れを背にたたずんでいた」こういう表現から、登場人物の心情を考える必要があります。「風景」に「心情」を重ね合わせた表現、いわゆる「情景」です。
 または、「太郎君はさいふをなくしてしまいました」という表現。登場人物がどのような出来事に遭遇したかによって、その心情がどのように変化したかを考えます。
 文章中の表現から、登場人物の心情を推し量る。これが「想像」という作業です。物語文では、この「想像」の力が問われます。
 「太郎君は夕暮れを背にたたずんでいた」という状況を具体的に頭の中に思い浮かべられるか。または「太郎君はさいふをなくしてしまいました」という場合、財布をなくしたら、どんな気持ちになるかを考えられるかということです。
 私が国語の指導をする際によく出会うのは「想像」と「空想」がごっちゃになっている生徒です。「空想」とは「空を自由に飛びたいな」というように、勝手に思いを巡らすことです。「想像」とは、文章中の表現に基づいてイメージすることです。要は、根拠に基づいて考えるということです。
 「想像」と「空想」がごっちゃになっている生徒は、問題文の表現に基づいて登場人物の心情を考えません。文章を読めないのではなく、実質的に読んでいないのです。そういう生徒はこちらが問題文の表現を指摘して、「ここから答えを考えてごらん」と言うだけで、あっさり正答を導き出したりするのです。

その9 ~ 家庭教師なんかいらない? ~

 塾講師として中学受験指導をしてきた立場から言わせていただければ、塾での学習をしっかりやっていけば、中学受験は突破できます。また、成績が伸び悩んだときでも、塾サイドが十分な対応をすれば、必ず成績は向上していきます。実際に、大勢の子どもたちが塾での学習だけで志望校に合格しています。
 しかし、家庭教師を必要とする子どもたちが大勢いることもまた事実です。例えば、集中力が持続しない子や学習に際してキメの細かい対応を必要とする子などがそれに当たります。大手塾などでは、15~25人程度の生徒で構成されたクラスにおける集団授業が一般的です。そういう中で、塾の先生は生徒一人一人に対してキメの細かな対応が取りにくいのです。
 国語に関していえば、生徒一人一人の言葉の理解の仕方や文章の読み方を細かくチェックしながら指導していくことで学習効果は飛躍的に向上します。しかし、塾における前述のような現状ではそのような指導は物理的に難しいと言わざるを得ません。
 また、成績が伸び悩んだときの対応も、塾サイドから見れば生徒は一人ではありませんから、どうしても「ウチの子だけ特別」というような扱いは望めないのが現状です。
 先の「国語という科目②」でも触れたように、しかるべき大人が子どもの傍らにいて、細かく学習状況をチェックし、間違いがあれば正していくというやり方が最も理想的な学習のあり方です。傍らにいる大人は保護者の方でも、塾の先生でもいいとも述べました。
 ただ、保護者の方々や塾の先生が子どもの学習の際にその傍らにずっといるというのは難しいことです。そこで、家庭教師を活用するという選択肢が出てくるわけです。また、成績が伸び悩んだときも、家庭教師ならば生徒に合ったキメの細かな対応を望むことができます。
 しかし、人見知りが激しい子などは家庭教師をつけることで逆に成績が下がることがあります。子どもの性質をよく考えられた上で、学習計画を決められた方がいいでしょう。

その10 ~ 中学受験なんかいらない? ~

 当たり前のことをあえて言わせていただきますが、中学校は義務教育です。ですから、受験をしなくとも、誰でも中学校に進学できます。では、なぜ多くの小学生が中学受験をするのでしょうか?
 大学進学のためでしょうか?多くの私立中学が大学進学実績を売りにしています。確かに、大学進学において学校のバックアップは大切ですが、最後はやはり本人自身の努力によります。実際、中学受験で「燃え尽き症候群」に陥り、中・高で全然勉強しなかったという子も少なくありません。一方で、公立中から公立高に進み、そこから東大に合格する子も少なくないのです。
 有名中学に進学したいからですか?中学受験には、いわゆる「功名心」が絡みます。しかし、これは子どもの、ではなく、親の、です。世間的に名前が知られた私立中学に進学することに魅力を感じる子どもがいない訳ではないですが、そういうことで学習意欲が高めることができる子どもはやはり少ないと言わざるをえません。
 経験上言わせていただければ、子どもは自分が気に入った学校に合格するために頑張ります。例えば、校舎がきれいだとか、公立校にはない部活があるとか、見学に行った文化祭で在校生に親切にされたとか、などなど。そんな単純なきっかけで、子どものやる気に火がつくのです。単純なきっかけかもしれませんが、そういうことから、子どもは自分の通うべき学校であるかどうかを感覚的に捉えているのだと思います。
 大学進学実績や学校の知名度も大切ですが、やはり自分の子どもが通うのに適した学校があるかどうかという基準で志望校を選んでほしいものです。これから迎える思春期をどういう学校で過ごすかということは子どもの一生を左右します。お子様とじっくり相談されながら、親子ともども十分に納得した形で進学したい学校を選んでくださればと思います。