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3. 藩政−(1) 藩祖保科正之の基礎確立

 藩政改革

藩祖保科正之は徳川2代将軍秀忠の庶子で、3代将軍家光の異母弟である。最上20万石を経て、寛永20年(1643)、会津23万石(+5万石)に転封となった正之(34歳)は、以後、様々な改革を実行し、幕末まで続く会津藩政の基礎を築いた。主な施策は以下の通り。

1 会津藩家訓15か条の制定 将軍家への忠誠を第一とするなど、会津藩の藩風を決定づけた。⇒家訓
2 軍令・軍禁・家中の制・道中の制の改定 軍令違反者は追放あるいは死罪。軍禁違反は斬首という峻烈なもの。新選組の「局中法度」の違反者は切腹という規定にも影響を与えた可能性あり。
3 殉死の禁止 幕府より先に禁止。
4 地方知行【じかた・ちぎょう】廃止 藩による領地の直接支配を目指す。⇒俸禄による階級
5 身分制度確立 士民の別、庶民間の上下の別、階層による衣食住の制限。⇒紐制・襟制・服色制
6 慶安の検地 前領主時代の石盛の是正。以後の村高及び年貢徴収の基礎。⇒年貢
7 社倉法の創設 不時の救済用貸米の備蓄。朱子の遺法を初めて日本に導入。⇒貧農・窮民対策
8 貧農への夫食米・種子籾の貸与 夫食米は食用米のこと。⇒貧農・窮民対策
9 領内90歳以上対象の養老扶持支給 男女、身分を問わず支給。今でいう老齢年金←日本初!
10 火葬と産子殺害(間引き)の禁止 火葬は不孝とされた。
11 「会津三部書」編纂 『玉山講義附録』・『ニ程治教録』・『伊洛三子伝心録』の三書。
12 『会津風土記』・『会津神社志』の編纂 「三部書」とあわせて「会津五部書」と呼ばれる。


幕政補佐

正之は異母兄の家光に終生信頼され、慶安4年(1651)、家光の遺言で、4代将軍家綱の補佐役に任命された。以後、隠退までの23年間、会津には帰国せず幕政に参画し、文治政治を推進した。補佐役としての主な業績は以下の通り。
  1. 玉川上水開削の建議
  2. 明暦大火(振袖火事)後の江戸復興(ただし、江戸城天守閣は再建せず)
  3. 家綱治世の「三大美事」(殉死の禁止大名証人制度の廃止末期養子の禁の緩和)の実施。水戸藩主徳川光圀とともに推進したといわれる。

参考文献:『会津松平家譜』、『近世会津史の研究・上』、『保科正之』

(1)保科正之の基礎確立 (2)財政窮乏と寛政の改革 (3)幕末期:8代容敬と江戸湾防備


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