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京都守護職の年表(1)

守護職拝命まで
嘉永5(1862)〜文久2(1862)


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年・
干支
会津藩のできごと 幕末のできごと
嘉永5
(1852)
壬子
1月−8代藩主松平容敬、病になる。吉田松蔭、会津訪問。
2月−容敬没。
閏2月−容保、会津藩主(9代)を継ぎ、肥後守に任ぜられる
12月−容保、左近衛権少将に任ぜられる。
6月-オランダ、幕府に対し、米国使節が来年来航して開国を要求することを予告。(★)
嘉永6
(1853)
癸丑
4月−容保、房総を巡見。
6月−会津藩、幕命により久里浜に船を出し、警戒。容保、溜詰諸侯諮問時に、井伊直弼とともに和親を主張
10月−幕府、会津藩に品川砲台を警備させる

 *この年、会津に旱魃。領内経済は危機的状況に。

6月−米国使節ペリー浦賀来航(★)

9月−幕府、大船建造を解禁
嘉永7/
安政元
(1854)
甲寅
1月−幕府、会・川越・忍・彦根藩の内海警備を免じ、会・川越・忍藩に砲台守備を命じる。容保、アメリカとの和親を主張。
9月−老中阿部正弘、「会津藩は藩祖保科正之以来調練が行き届いていており、老中らの心得のためにみせたい」との将軍命令を伝える。
10月−容保、駒場にて将軍・老中ら観覧のもと会津藩兵1000余人の軍事調練を指揮する
12月−会津藩、商工業を盛んにするため無利子で資金貸与。

*この年、家老田中玄宰、人参を中国に輸出。
1月−ペリー浦賀に再来
3月−日米和親条約締結。下田・箱館ニ港開港。(★)
8月−日英和親条約締結。




12月−日露和親条約締結。
安政2
(1855)
乙卯
3月−容保、襲封後、初めて若松城入り。
8月−追鳥狩(軍事演習)
10月−安政の大地震が起こり、江戸藩邸ほか被害甚大で死者165名。
10月−安政の大地震。首席老中、阿部から掘田へ。長崎海軍伝習所開所。
12月-日蘭和親条約締結
安政3
(1856)
丙辰
8月−容保、江戸勤となる。和親を主張。容保、容敬の娘敏姫と結婚。 2月-幕府、洋学所を蕃書調所と改称
4月-幕府、講武所(陸軍)開講。
7月−米国総領事ハリス来日(★)
安政4
(1857)
丁巳
9月−会津藩、安政の大地震により倒壊した藩邸建設のため、若松・郷村に用金を課す。会津藩、蘭学所を開く。 4月-幕府、講武所に軍艦教授所設置。
6月-阿部正弘没
安政5
(1858)
戊午
4月−彦根藩主井伊直弼大老就任。
6月−大老井伊直弼、勅許なしの日米通商条約調印(★)
7〜9月−安政の大獄始まる(★)
安政6
(1859)
己未
8月−会津藩、大暴風雨と大洪水に襲われる。
9月−幕府、会津(・仙台・盛岡・弘前・秋田・庄内藩)に蝦夷に領地を与え、開拓・警備をさせる。会津藩の品川第二砲台管守を免ず。

*この年、農民強訴起こる
安政7/
万延元
(1860)
庚申
3月−大老井伊直弼、水戸浪士により暗殺される(桜田門外の変)。幕府、水戸藩に在府の士鎮撫を命じ、有事にそなえて会津・桑名・庄内・小田原藩に出兵の準備をさせる。在国の容保、幕府に促されて急遽江戸勤となる。溜間詰諸侯諮問時に、水戸藩武力制圧に反対
12月−容保、桜田門外の変後の処置に関する建白書を提出。容保、左近衛権中将に任ぜられる。

*会津で農民強訴・一揆・打ちこわし起こる
1月−咸臨丸、米国にむけて出航。
3月−桜田門外の変(★)



10月−和宮降嫁の勅許
12月−英国通訳ヒュースケン暗殺
万延2/
文久元
(1860)
辛酉
3月−容保、桜田門外の変後の水戸藩を憂い、家臣を遣わして水戸藩家老武田耕雲斎に状況をきかせる。 5月−水戸浪士英国公使館襲撃事件(東禅寺事件)

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