年表トップ 守護職トップ HPのトップ

京都守護職の年表(2)

文久2(1862)年 <容保28歳>
 
(会津藩襲封〜京都守護職拝命)戻る 次へ(京都守護職時代:文久3年)

会津藩関連のできごと 幕末のできごと
4 15 ■将軍、御三家・田安大納言・溜間詰大名・布衣以上役人を召しだし、制度の簡素化を面諭。(『慶』)
1月−坂下門外の変(★)
2月−将軍家茂と皇妹和宮の婚儀(★)

4月
4/7:孝明天皇、攘夷断行の勅旨を朝臣に下す
4/11:幕府、安藤対馬守(信正)の老中罷免
4/16:久光に滞京・浪士鎮撫の勅命
4/23:寺田屋事件
4/24:孝明天皇、久光の浪士鎮静を賞する内勅。
4/25」伝奏、久光に浮浪鎮撫の勅命(2度目)を伝達。/幕府、一橋慶喜・徳川慶勝・松平春嶽・松平容堂らの赦免を決定

関連>>「開国開城」「薩摩の国政進出:島津久光の率兵上洛と寺田屋事件
5 3 幕府、容保を幕政参与に任じる(『七』)【★】 5/1−長州藩に浪士鎮撫&国事周旋の朝命。/田中河内介・左馬介父子、薩摩藩士にに殺害される
5/2長州藩、幕府に将軍上洛の建白書。
5/5-長井雅楽の謗詞事件。
5/7-松平春嶽、幕政参与に。
5/8−伝奏、勅使東下を所司代に伝える
5/11−朝廷、勅諭案(三事策)を議定
5/12-久光に勅使随従の勅旨/
5/20−勅使大原重徳に、一橋慶喜・松平春嶽登用の沙汰書
5/22−勅使大原と護衛の薩摩兵京都出立
8 ■容保、幕政参与の春嶽と初会見。(『再』)【★】
9 ■春嶽、容保を評議に同席させるよう老中に提案(『再』)【★】
24 ■所司代後任を本庄宗秀にとの評議 【★】
26 ■容保、本庄宗秀の所司代任命に反対。容保を所司代に任命してはとの内評(『再』)【★】
28 ■容保、所司代の内命を「譜代席」と家臣が反対だとして断る(『再』)【★】
6 10 ■容保、江戸城に登城し、勅使大原重徳の勅旨伝達に同席。沙汰書(慶喜・春嶽の登用)を将軍よりみせられる。(『再』)【★】
【関連:「開国開城」「勅使東下と文久2年の幕政改革」】
6/1:幕府、将軍家茂の近日上洛による公武一和を布告/東禅寺襲撃事件
6/2:首席老中久世広周罷免。板倉、幕閣の中心に。
6.7:勅使大原重徳、島津久光と薩摩兵江戸着
6.10:勅使、一橋慶喜・松平春嶽登用の沙汰を伝える。
6.18:老中、春嶽の総裁職就任承諾。慶喜の登用をしぶる/春嶽辞任を決意し登城とりやめ
6.23:春嶽、政務参与辞任の内願を提出
6.26:勅使大原重徳、老中に慶喜登用即答を迫る
6.29:老中、慶喜登用(後見職)に同意。
11 ■容保、登城して勅諚に関する評議に参加。(『再』) 【★】
13 ■勅使大原再び登城。容保・春嶽・老中らと会して沙汰書への回答催促。(『再』) 【★】
25 ■容保、藩士小森久太郎を越前藩士草尾精一郎に遣わせ、春嶽の幕政参与辞任の翻意を促す。(『再』) 【★】
30 ■幕府、所司代酒井忠義を罷免し、大坂城代本庄宗秀を後任に任命【★】
12 ■勅使大原、春嶽に所司代本庄宗秀の更迭を申入れ(『再』)【★】 7/6:慶喜、一橋家再相続。将軍より、将軍後見職就任の直命/【京】長州藩、藩論を攘夷に転換
7/7:島津久光、老中に幕政改革の建白書を提出
7/9:春嶽、政事総裁職就任
7/12:慶喜・老中、大赦に同意
7/16:長州藩に謗詞事件氷解&国事周旋の沙汰
7/18:越後浪士・本間精一郎、岩倉具視ら「四奸ニ嬪」排斥を主張
7/20:将軍家茂、大赦を裁可/【京】長州藩主敬親、三事策に関する疑義を陳述/薩摩藩田中新兵衛、島田左近暗殺
7/24:長州藩主敬親、「天朝へ忠節」を重要視する諭達/公武合体派岩倉具視ら辞表を提出。
7/25:【江】春嶽、老中板倉に将軍上洛を説く
7/27:長州藩主父子に滞京・東下周旋の朝命。
18 ■長州藩小幡彦七、越前藩中根雪江に新所司代本庄就任について京都に不穏な動きがあることを伝える(『再』)【★】
21 ■本庄に代え、容保に上京を命じられないかとの幕議(『再』)(★)
23 ■勅使要求11か条に所司代本庄宗秀更迭【★】
26 ■会藩秋月悌次郎、越藩中根雪江を訪問し、会津藩と越前藩の会盟へ。(『再』)【★】
27 幕府、京都守護職設置を決定。*容保はこの頃から所労(病気)で登城せず。(『再』)【★】
28 ■松平春嶽、会津藩家老横山主税を呼び出し、京都守護職就任の内命を伝える。(『七』・『再』)【★】
29 ■容保、春嶽方へ横山主税を遣わして内命を固辞するが、春嶽は再考を促す(『再』)。【★】
8 2 ■会藩野村左兵衛、越藩中根雪江らを招いて懇談(『再』)【★】 8/2:長州藩世子毛利定広に東下周旋&幕府に安政の大獄関係者赦免の沙汰/長州藩、6か条の質疑書/久坂玄瑞の「廻瀾條議
8/7:幕府、朝廷に対して従来の失政を謝し、新政を行うことを奏する。
8/12勅使大原重徳登城。春嶽・老中らと会して久光叙任の同意を求める/
8/16:前老中久世・安藤に隠居・急度慎の幕命。/桂小五郎江戸着
8/18:勅使大原、桂小五郎を呼び出し、改竄の勅諚を授けようとし、辞される。大原、改正の勅諚下賜を京都に請う(背景:薩長の対立)/幕府、久光の叙任拒絶を伝える。
8/19:久光、幕政改革意見24か条を示す
8/20:長州藩、改竄の勅諚受領/岩倉・千種・富小路の蟄居、辞官落飾
8/21:生麦事件
8/22:春嶽・小楠の生麦事件対策3案
8/23:春嶽、生麦事件処理をめぐって幕府に失望
8/24:毛利定広、登城して勅諚伝達。家茂拝受/
8/27:小楠の幕政改革論(将軍上洛と失政の陳謝、参勤交代廃止等)/【彦】長野主膳斬首
8/29:春嶽、幕府の「私」政を去れという意見書(総裁職辞表)を岡部長常に渡す
8/30:生麦事件(4)英国側、老中板倉邸で犯人引渡しを要求/松平容堂に国事周旋の沙汰
6 ■中根雪江、春嶽の使者として家老横山主税宅訪問。守護職就任を説く(『再』)【★】
 7 ■春嶽、容保に京都守護職固辞に対して、就任を勧告する書簡を送る。春嶽、会津藩和田蔵屋敷を訪ねて、深夜まで病床の容保の守護職就任を説得。容保、国許と相談するため、急使を送る。(『七』・『京』)【★】

*『再』では、春嶽は慶喜と相談の上、8日に容保を訪問。家老横山主税・用人堀七太夫も同席。

■幕府、京都町奉行に永井尚志任命(『再』)【★】
9 ■会津藩家老横山主税、守護職就任の条件を春嶽に示す 【★】
11 ■海手御茶屋で容保・春嶽・永井尚志会談。未決は諸浪士、将軍上洛、所司代の件。(『再』)【★】
12 ■容保の希望を容れ、所司代に牧野忠恭登用との幕議。(『再』)【★】
15 ■永井尚志、越藩中根に、会津は別途所司代の任命を要請と伝える。(『再』)【★】
19 ■国許から家老田中土佐・西郷頼母が上府【★】。容保、守護職内命を議論させる。拝命に決まる。(『七』・『京』・『再』)
【★】 
20
24 ■家老横山主税、春嶽に面会し、内命を請けることを伝える。請書は用番水野和泉守へ提出。(『再』)【★】

8
容保、幕命により登城し、将軍から京都守護職・正四位下に任ぜられる。幕府、役料5万石・金三万両を与える。(『七』・『京』) 閏8/1:老中板倉勝静、横井小楠に感服し、幕政改革断行を決意
閏8/3:幕府、三奉行らを政治改革用係に任命
閏8/4:越前藩、春嶽の登城再開を決定/
閏8/5:【京】長州藩主、幕府の上書非難の意見書を議奏に提出。
閏8/6:春嶽登城再開
閏8/7:幕政改革大会議/島津久光帰京
閏8/9:久光、公武合体意見書を議伝両役に/伝奏、幕府に責問書/
閏8/10:幕府、宇都宮藩の山陵修復の建白を採用
閏8/11:幕府、横井小楠の意見を容れ、来年2月の将軍上洛を内定(&将軍上洛問題背景)
閏8/14:天皇の「公武一和の思召」が公卿・堂上に触れられる/在京長州藩要路、近衛関白に攘夷の朝議確定を迫る/
閏8/15:慶喜ら老中らの因循に憤慨して登城中止/幕府、参勤交代制度の改革
閏8/16:慶喜、春嶽に幕政改革の意見書
閏8/17:幕府、進見物全廃を議決。
閏8/18:天皇、朝臣に攘夷の意思を示す
閏8/20:本間精一郎暗殺
閏8/21:久光、破約攘夷は無謀、幕府の改革・武備充実が先、などの建白書を近衛関白に提出
閏8/22:幕府、改革令を布告(参勤交代の緩和・大名妻子帰国許可等)→文久の幕政改革の本格化/「天誅」(1)九条家諸太夫暗殺
閏8/23:久光、帰国のため京都出立
閏8/24:慶喜登城再開
閏8/25:前関白九条尚忠、落飾・重慎
閏8/27:毛利敬親に破約攘夷の勅諚下賜
閏8/28:長州と土佐藩の連携が決まる
閏8/29:「天誅」(2)目明し文吉暗殺/
2 ■会津藩家老横山主税、越前藩邸を訪ね、春嶽に対して、国許から呼寄せる藩兵の準備が整ってから江戸出立の命令が下るよう願い出る。(『続』)(こちら)
13 ■長州藩桂小五郎、宍戸宛書簡で会津藩上洛の上は、京都をすべて統括する「全大所司代」となると記す。(『木戸孝允文書』)
14 ■前所司代酒井忠義に隠居の幕命(こちら)
14 ■会津から江戸へ守護職権限強化の確保を指示する通達(『藩・一』p44)
19 ■武家伝奏坊城大納言、守護職の職掌を問う書簡を幕府に発す。(『続』) (こちら)
20 ■幕府、彦根藩主井伊直憲の京都守衛を免ずる(『続』)(★)
29 ■坊城の書簡、幕府に到着(『続』)(★)
9 3 ■容保、浜離宮で釣魚放鷹を楽しむ将軍に春嶽・慶喜らと随従。(『続』) 9/4:山内容堂に京都守衛の朝命
9/5:【江】慶喜、将軍に先立つ上洛を断る
9/7:【江】幕府、明年2月の将軍家茂上洛を布告
9/11:【江】春嶽に上洛随従の台命/唐津藩世子小笠原長行老中格に【他】幕府最初の留学生、榎本武揚ら15名、長崎からオランダへ出発。
9/12:【江】慶喜に先発上京の台命/容堂上洛の朝命が届く
9/1:【江】兵庫開港を不可とする沙汰書が届く/勝海舟、老中板倉勝静に将軍の海路上京を勧める【水】水戸藩、武田耕雲斎らの家老復職を決定
9/16:【江】慶喜の上京&開国上奏内定/攘夷奉勅(1)松平春嶽、藩内で必戦・破約攘夷(⇒自主開国)を議論させる/【京】薩長土有志、攘夷勅旨奏請を決議
9/18:【京】別勅使(2)薩長土藩主、幕府へ攘夷勅諚下賜の建白。
9/19:【江】奉勅(2)春嶽、必戦・破約攘夷を主張
9/20:【京】別勅使(3)朝廷、攘夷勅諚の伝達のため三条実美を別勅使・姉小路公知を副使に任命
9/23:京都町奉行与力渡辺金三郎、同心森孫六・大河原重蔵暗殺。
9/24:【江】奉勅(5)容堂、春嶽に攘夷奉勅の覚悟を促す/中根靱負、大目付岡部長常に「攘夷」の意味を説く
9/25:【江】攘夷奉勅(6)春嶽・小楠、慶喜に破約攘夷を入説/【京】朝廷、勅使東下の報を発す朝廷、九条尚忠・岩倉具視らの洛中居住禁止
9/27:【江】奉勅(8)春嶽、辞職を決意-登城中止
9/29:【江】奉勅(9)大久保一翁、小楠の破約攘夷の説明に納得/容堂、慶喜の上京延期を勧告
9/30:【江】奉勅(10)慶喜、幕府をすでになきものとする開国論を主張。/小楠、慶喜に感服【京】土佐藩有志、親兵設置建白を内決
6 ■慶喜・春嶽・老中連署で守護職の職掌を説明する書を坊城に提出(『続』)(こちら)
17 ■これより先、田中土佐(家老)、野村左兵衛、外島機兵衛、小室金吾、川原善左衛門、宗像真太郎、大庭恭平ら、先遣隊として京都に派遣され、事情を探索、諸藩士らと交わる。京都の情勢を鑑み、建白書を作成。(『七』)




■容保、幕府に公武一和と長崎・箱館・下田の三港外閉鎖等の破約攘夷建白

■会津藩士小室金吾、春嶽に上記建白書を持参(『続』)

(★)

【参照:「守護職通史」「守護職方針確立と建白書」
20 ■幕議において、町奉行小栗忠順、幕権を立てることを主張する。容保、憤激して奉勅を主張(『続』)(★)
26 ■容保、幕議で攘夷奉勅を主張。のち、春嶽邸を訪問。(『続』)
28 【京】京都所司代代行酒井忠績に天盃下賜も、天皇出座せず(&所司代人事について(★)
29 【京】9/29:新所司代、牧野忠恭入京 (★)
30 ■会津藩士小室金吾、越前藩を訪問しに、近々の上京予定と、守護職は国是に関わらなくてもよいとの板倉老中の言を語る/。【★】(『続』)
10 1 ■将軍、容保に上京出立の暇を申付ける漏洩を怖れられた会津藩 10/1:【江】奉勅(11)幕議、慶喜の上洛&開国上奏を決定/【京】近衛関白、上京を促す宸翰を薩摩藩国父島津久光に下す/土佐藩・長州藩激派、親兵設置を協議
10/2:【京】薩摩藩激派、親兵設置提議に同意
10/5:【京】薩長土有志連署で親兵設置を建白【江】慶喜に上京中止の台命
10/8:【江】奉勅(12)春嶽、慶喜に政権返上覚悟の開国上奏を迫る
◆10/11:【京】土佐藩主、別勅使に先立ち、藩兵500余名を率いて江戸に向って京都を出立
◆10/12:【京】別勅使、京都を出立
◆10/15:【江】奉勅(14)容堂、奉勅を老中に入説
10/18:【江】攘夷奉勅(15)容堂、攘夷を請けねば「攘将軍」になりかねないと攘夷を入説。幕議、奉勅に動く
10/19:【江】奉勅(16)慶喜、春嶽に攘夷奉勅に同意と伝える(&開国論者容堂の本音)
10/20:【江】奉勅(17)幕議、開国上奏から攘夷奉勅に一転・勅使優待内決/大久保一翁、春嶽に「大開国でなければ大政奉還」論(開国上奏し、朝廷が攘夷断行を命じたときは大政奉還・諸侯の列に下ること)を主張
10/22:【江】奉勅(19)慶喜、「攘夷に定見なし」と後見職の辞表
10/23:【江】容堂、一翁の「大開国論」に感服/左遷?(1)大久保一翁(忠寛)・岡部長常・小栗忠順(開国論者)に「天誅」の風聞
10/25:【江】左遷?(2)小笠原長行、一翁更迭と安政大獄追罰主張/
10/26:【江】奉勅(23)慶喜、春嶽の説得に応じ登城
10/28(12.19):【江】攘夷別勅使三条実美・姉小路公知、江戸着/容堂、御用部屋評議に参加/

関連>>「開国開城」「第2の勅使三条実美東下と攘夷奉勅&親兵問題
5 ■勅使優待(1)三条実美、会津藩士野村左兵衛・外島機兵衛に勅使待遇改正周旋依頼の内沙汰。(『家』)(★)

*この後、野村左兵衛ら帰府して容保に勅使待遇改善の内沙汰書を呈する。(『七』)
11 ■勅使優待(2)容保、勅使待遇改善を建議するが老中板倉に反論される(『七』)(★)
【参照:「守護職通史」「勅使待遇改正に尽力」
12 ■容保に、三条実美より滞府周旋の内々の沙汰(『七』)(★)

■勅使優待(3)松平春嶽、総裁職辞表を内決(★)
13 ■勅使優待(4)春嶽、総裁職辞表を提出
14 ■勅使優待(5)山内容堂、一橋慶喜に優待を入説/
17 ■勅使優待(6)容保登城。勅使待遇改善を見届けての上洛という容保の方針をめぐって老中格小笠原長行と対立。辞職すると言って退城。病と称して出仕せず。小笠原の謝罪でことなきを得る。(『七』)
18 ■容保、三条の沙汰書を春嶽に報せる(『続』)
20 ■勅使優待(7):幕府、優待を内決
23 ■容保、総裁職辞表を提出して登城停止中の春嶽を、老中ら一同の名代として訪問し、登城を勧告(『続』)(★)
■勅使優待(8)幕府、勅使優待を決定
11 7 ■因幡藩主池田慶徳、春嶽に面会して朝旨10か条を伝える。その中に御所内講6門警備を彦根藩・小浜藩から会津藩に代えるようにとあり。(★)

(彦根藩士加藤吉太夫、彦根藩の京都守護罷免を遺憾として老中井上河内守邸で自刃。)(『続』)
11/2:【江】奉勅(24)幕府、「開国説が実行される時機もあるだろう」と攘夷奉勅を決議。
11/4:【江】幕府、一翁の講武所奉行転出を決定
11/5:【江】池田慶徳(相模守)攘夷周旋の出府/小笠原長行、板倉勝静に井伊直弼ら追罰と幕府の失政陳謝を主張
11/6:【江】幕府の軍制改革会議。
11/8:【江】容堂、勅使に奉答次第を告げる
11/10:【江】奉勅(25)慶喜、病と称して登城停止
11/11:【江】板倉暗殺(1)高崎猪太郎、暗殺計画を内報/慶喜、中納言に
11/12:【江】春嶽、慶喜に板倉の進退を相談/薩摩藩高崎、容堂に長州藩士横浜襲撃計画を告げる
11/13:【江】高杉晋作・久坂玄瑞ら長州藩士11名、世子毛利定広の説得で横浜襲撃中止/奉勅(26)鳥取藩主池田慶徳、慶喜に攘夷入説
11/14:【江】幕薩提携へ(1)薩藩士、春嶽に小楠に感服したと述べ、久光上京を促すよう依頼
11/15:【江】奉勅(27)慶喜、再度の後見職辞表提出/【京】長野主膳妾村山タカ、生き晒し。タカ息子多田帯刀斬殺
11/17:【江】奉勅(28)慶喜、春嶽の説得に「攘夷奉勅は浮浪の姦計にはまるだけ」と応ぜず。
11/19:【江】小楠、勝海舟に「攘夷は興国の基を言に似たり」と返答
11/20:【江】幕府、故井伊直弼ら安政大獄関係閣老に追罰
11/27:【江】奉勅(30)別勅使三条実美・姉小路公知・攘夷の勅諚と親兵設置の沙汰を伝宣
11/28:安政大獄刑死者6名の墓碑建立が赦される
12 ■薩摩藩の守護職:朝廷、幕府に対して島津久光を守護職にするよう沙汰を下す。(『七』)(「国事関係書類」『慶』)(★)
16 ■薩摩藩の守護職:容保に久光と協力して京都守護するようにとの沙汰が下る。(「国事関係書類」『慶』)(★)
22 ■薩摩藩の守護職:江戸城で久光の守護職任命問題を詮議。容保、「ことのほか不同意」で決議にいたらず。(『続』)(★)
25 ■京都武力制圧計画VS幕薩提携の京都会議策:フランス軍艦が大坂入港して条約勅許を迫るという風聞を根拠に、老中板倉・小笠原、守護職容保と旗本精鋭の急西上と慶喜・将軍の率兵上京を上書

会津藩外島機兵衛、大目付岡部長常を訪問し、京都町奉行永井尚志との共同意見として慶喜と重職の即時上洛を訴える。(★)

(この時点の会津藩は明らかに京都武力制圧派)
26 ■京都武力制圧計画VS幕薩提携の京都会議策:

幕府、慶喜・容保・春嶽・容堂の即時海路上京を評議(/幕薩提携(3)容堂、春嶽と上京後の方針を協議。小楠、容堂に薩摩藩を含めた京都会議における国是決定論を説明)

岡部、春嶽に外島の話を聞かせる。夜、容保、外島他一名を連れて春嶽邸を訪問。春嶽邸には容堂・横井小南居合わす。容保、京都の情勢(重職早期上洛)と久光の守護職不可を繰り返し主張。春嶽・容堂、容保に倦む(『続』)

(★)
28 (■慶喜、春嶽に2万の大兵を率いての上京を示唆・春嶽、即答せず『続』 (★)
29 (■春嶽、幕薩連合による公武合体推進を建議し、老中・慶喜、同意する。/攘夷奉勅(31)慶喜、勅使饗応。勅使の攘夷布告要請を拒否/勅使、摂海防禦名目の慶喜上坂計画に即答を避ける『続』) (★)
30 (■幕議、久光の上洛を促すことに決まる。薩摩藩士高崎猪太郎(高崎五六)が上洛を促すため薩摩へ下る計画。慶喜・小笠原長行(老中格)海路上京内定)(『続』)(★)
12 ■薩摩藩の守護職:高崎、春嶽に呼び出されて越前藩邸へ。春嶽、(1)久光の守護職任命に幕府は異議はないこと、(2)しかし、尾張・会津・長州が強く反対しており、来春将軍上洛時まで発表を見合わせると決まったことを伝える。(『続』)

(★)
12/1:前尾張藩主徳川慶勝に先発上京・老中格小笠原に上坂の幕命
12/3:横井小楠、攘夷三策を建議/幕府、軍制改革(翌年1月中旬めどの「歩兵組」編制)
12/4:幕府、慶喜に大坂警備視察のための西上の幕命
12/5:【江】奉勅(34)幕府、攘夷を奉答・親兵設置は拒否/幕府、水戸藩に勅諚(戊午の密勅)奉承を許す。
12/6:【江】土佐藩武市半平太、越前藩邸を訪問し、将軍の速やかな上洛を主張
12/7:【江】勅使、親兵設置要求を貫徹せぬまま、江戸を出立。土佐藩主豊範出立
12/8:/容堂、幕府に長州藩士による外国人襲撃を警告/幕議、浪士組お抱えを決定/
12/9:【京】朝廷に国事掛設置/【薩】将軍上洛延期運動(1)大久保利通・吉井幸輔、京都へ(&久光の建白概容)長州藩世子毛利定広江戸出立
12/12:【江】長州藩士高杉晋作、久坂玄瑞、井上聞多ら、品川御殿山英国公使館焼き討ち/勝海舟、春嶽に海路を説明/幕府、塩谷・安井・芳野登用12/13:【江】幕府、攘夷を布告/
12/14:【江】前尾張藩主徳川慶勝に招かれ、横井小楠「幕私を棄て公議に従うべき」持論を陳述
12/15:【江】慶喜江戸出立/幕府、諸大名に勅諚(戊午の密勅)を示す/春嶽に先発上京の幕命
12/16:【江】小笠原、海路大坂へ。容堂へ上京の幕命
12/19:【江】士道忘却事件(1)小楠、肥後勤王党の刺客に襲撃される
12/20:【江】士道忘却事件(2)肥後藩、越前藩に対し、士道忘却を理由に小楠引渡しを要求
12/21:【江】士道忘却事件(3)越前藩、藩主同士の直談まで従前通り小楠を預かりたいと申入れ
12/22:【京】薩摩藩大久保利通(一蔵)入京し、近衛関白・中川宮に久光の建白書を提出。/士道忘却事件(4)肥後藩、小楠の越前藩預りを承諾
12/23:【江】薩摩藩士岩下左次右衛門、春嶽に久光の上京決定を告げる/士道忘却事件(5)小楠、福井に向って出立
12/24:【京】孝明天皇、薩摩藩の建白に同意
12/26:【京】長州・土佐排斥運動(1)宇和島藩主伊達宗城ら、近衛関白に在京諸侯退去と公武合体の国是決定を建白。/水戸藩主徳川慶篤、戊午の勅諚奉承を藩内に布告・連座して処罰された藩士を赦免。
12/28:【京】長・土排斥運動(2)伊達宗城ら、中山忠能・三条実美らに在京諸侯退去を主張/
2 ■薩摩藩の守護職:容保、久光と協力して京都守護するようにとの内沙汰を幕府に示す。(『続』)(★)
3 ■薩摩藩の守護職:勅使三条実美、久光の守護職任命の幕議に驚く(『続』)(★)
■将軍、容保に京都出発の暇を与える(&容保上洛の遅れの経緯
8 ■容保登城。幕府、翌春早々に将軍上洛及び将軍直々に京都守衛をつとめることを伝える(全権委任との交換条件)。老中板倉勝静、注意すべきの書を容保に渡す。容保、本陣を黒谷金戒光明寺に定めた理由を具申。(『七』『藩』)(★)
9 ■容保、江戸を出立。陸路京都へ。(『七』)
17 ■薩摩藩と守護職(7)幕府、朝廷の薩摩藩父・島津久光守護職任命催促に返書
24 容保入京。関白を訪ねて天機を伺ってから黒谷の宿舎へ。(★)【参照:「守護職事件簿」「入京」


■老中格小笠原長行、海路着坂。容保、松坂三内・柴太一郎・秋月悌次郎・広沢安任(広沢富次郎)に摂海巡視に随行させる。
25 ■容保、近衛忠煕関白に謁す。(『七』)(★)
28 ■容保、右大臣二条斉敬に謁し、さらに議奏・伝奏などを歴訪。(『七』)(★)
29 ■小笠原一行、明石泊。夜、秋月・広沢、小笠原に初めて謁す。

(会津藩襲封〜京都守護職拝命)戻る 次へ(京都守護職時代:文久3年)

無断転載・複写、及びやおい作品への利用はお断りします。
他HP、同人誌・商業誌(創作も含む)、レポート等の参考にされた場合は
参考資料欄に泡沫のタイトルとアドレスを明記するなど著作権と論文作法を守ってください。

<参考資料>守護職参考文献をご覧ください

ページトップ年表トップ 守護職トップ HPのトップ