前史(1) |
関連:会津藩基礎知識>藩政>(3)幕末期(i)-8代容敬【かたたか】と江戸湾防備 |
前史(2) 容保就封 |
■ペリー来航と会津藩の沿岸警備 (年表「会津藩と海防」) ■桜田門外の変と容保の発言力向上 ■ 農村の疲弊と財政危機 |
文久2(1862) 容保28歳 (数え) |
■容保の京都守護職就任(○薩摩藩の中央政局進出と文久の幕政改革○京都における幕府(所司代)の失権回復○会津藩のためのポスト・京都守護職の新設○政事総裁職松平春嶽の説得と守護職就任の三条件○国許の反対と守護職拝命○朝廷の反応) ■守護職の職権と方針の確立(○京都守護への全権委任要求○公武一和を目指す破約攘夷(三港外閉鎖)の建白○「有志」・浪士への穏健方針) ■攘夷別勅使の東下と上京の延引(○攘夷別勅使待遇改善の建議○久光の守護職任命に反対○京都の情勢と容保の即時上京主張○別勅使の出立・容保に二度目の暇) |
文久3(1863) 容保29歳 (数え) |
■容保の守護職着任と浪士対策転換(○容保入京○容保の浪士懐柔策と慶喜・春嶽の強硬策の対立○尊攘急進派の関白邸推参と幕府の浪士対策の硬化○足利将軍木像梟首事件−会津藩の方針転換) ■将軍東帰と守護職の孤立(○将軍東帰反対運動○在府幕閣との齟齬:小笠原長行率兵上京問題○急進派の容保東下工作と孝明天皇の密勅○幕府の攘夷委任奏請を抑留) ■守護職の軍事的主導権掌握工作(○御所警備主導権掌握○非常時の所司代・近畿諸藩指揮権確立) ■会薩・中川宮連合と禁門の政変(○攘夷親征論の高まりと軍事力アピール(天覧馬揃)○孝明天皇の信任と禁門の政変) ■政変後の守護職(〇朝幕による会津藩の賞揚〇京都守衛・守護職職権の強化〇鎖港交渉問題をめぐる朝幕の媒介〇将軍上洛周旋〇長州藩家老入京嘆願反対〇容保の朝議参与任命) |
元治1(1864) 容保30歳 (数え) |
■征長副将・軍事総裁転出と守護職再任(○容保の軍事総裁転出〇朝廷の守護職人事への圧力〇慶喜の禁裏守衛総督就任への懸念と守護職再任への抵抗〇実弟(桑名藩主松代定敬)の所司代就任) ■禁門の変と慶喜との関係改善(一会桑勢力)(〇池田屋事件と長州東上〇会津藩を標的にした禁門の変〇慶喜との関係改善) ■幕府首脳からの忌避(〇一会桑の協調による朝幕融和周旋〇江戸幕府首脳による忌避) |
慶応1(1865) | ■幕閣の猜疑と守護職罷免問題 |
慶応2(1866) | ■第2次幕長戦 ■家茂死去・慶喜の将軍就任 ■孝明天皇の死 ■守護職辞任運動(2) |
慶応3(1867) | ■征長軍解兵と守護職辞任運動(3) ■ 兵庫開港勅許問題 ■大政奉還・王政復古 |
慶応4(1868) | ■鳥羽・伏見の戦 ■容保・藩士の帰国 |