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文久2年12月6日(1863.1.25):
【江】土佐藩武市半平太、越前藩邸を訪問し、将軍家茂の速やかな上洛を主張

【江】文久2年12月6日、土佐藩士武市半平太が越前藩邸を訪問し、真の公武合体のための将軍家茂の速やかな上洛を求めました

当時、武市は別勅使(副使)姉小路公知の家老として東下し、柳川左門と称していましたが、このときは本名の武市半平太という名刺を出したそうです。(名刺ってどんなのなんでしょう??)

春嶽は武市と対面したものの、登城の時間が迫っていた為、春嶽の指示で越前藩士島田近江が用件を聞きました。武市は<江戸で見聞するところは全く公武合体の様子だが、京都における関東への疑いは一朝一夕に起ったものではない。従来は、勅使を関東に派遣しても、勅使帰京の後は、関東(幕府)の都合のよいようになってきたのが常であり、今度も必ず従来のようになるだろう。このような状態では、勅使が幾度来往しても真の公武合体に至る望みはない。この上は一日も早く将軍が上洛し、真実の公武合体を実現するよう希望する>(要約by管理人)と述べたそうです。

参考:『続再夢紀事』一(2004.1.25)
関連:■開国開城:「第2の勅使三条実美東下と攘夷奉勅&親兵問題」■テーマ別日誌:「攘夷勅使の東下」■「いろはに幕末土佐藩

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