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元治2年1月5日(1865年1月31日)
【芸州】征長総督徳川慶勝、長州藩主父子と五卿の江戸護送&後命あるまでの撤兵不可の幕命を了承せず。

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>第一次幕長戦
■長州処分問題(慶勝VS幕府)
【本郷】元治2年1月5日(1.31)、幕府の上使・大目付大久保忠宣・目付山口直毅は、征長総督徳川慶勝に追いつき、長州藩主父子・五卿を江戸に護送し、江戸から指示があるまでの撤兵せぬようにとの幕命を伝えました。

慶勝は、了承せず、これらについては将軍に黒印をもって全権委任をされた自分の権限で取り計らい済みであると具申して幕命を拒否し、そのまま撤兵を続けました。

(おさらい)
慶勝は、前1月4日、幕府の長州処分方針を待たぬまま広島を出立しましたが、同日夕、入れ違いで幕府の上使が広島に到着していました。

<ヒロ>
ちなみに慶勝は、12月27日、征長諸藩に撤兵を命じるとともに、幕府に使者を遣わして長州服罪の様子と自分の長州処分意見を具申させていました(使者は1月11日に江戸着)。慶勝の意見は藩主父子の隠居・剃髪・永慎、親族の家督相続、領地10万石削減というものです。

参考:維新史四(2018/12/24)
関連:■「開国-開城」第一次幕長戦争と水戸浪士(天狗)西上■「テーマ別元治1」第一次幕長戦(元治1) 「テーマ別慶応1」第一次幕長戦:征長軍の撤兵と長州処分

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