☆京都のお天気:雨午後雨脚止(嵯峨実愛日記) >長州処分&将軍進発 【江】元治2年1月15日(2.10)、幕府は、征長総督府よりの長州「悔悟服罪」の報告を受けて、長州処分の江戸での決定及びそれに伴う将軍進発延期を布達しました。 (経緯) 征長総督徳川慶勝は、前元治1年12月27日に征長諸藩に撤兵を通達すると(こちら)、撤兵の次第を報告させるために、大目付永井尚志・目付戸川鉾三郎、尾張藩士千賀興八郎・長谷川惣藏を使者として江戸に送り、永井らは1月11日に江戸に到着していました(こちら)。慶勝は千賀に長州処分に関する自分の意見(毛利父子の隠居・剃髪・永慎、親族の家督相続、領地10万石削減)も上申させましたが、幕府は、既に毛利父子・五卿の江戸召致を方針としていました(こちら)。 <ヒロ> これより先、1月8日と9日には老中松前崇広と若年寄立花種恭が帰府し(こちら)、幕府は、改めて朝廷からの将軍上洛圧力を感じていたところでした。将軍上洛に消極的な幕府首脳にとっては、慶勝の報告は渡りに船という感じでもあったと思います。 参考:『維新史』四p200、374(2018/12/30) 関連:■「開国-開城」第一次幕長戦争と水戸浪士(天狗)西上■「テーマ別元治1」第一次幕長戦(元治1) 「テーマ別元治2」第一次幕長戦(慶応1) 将軍進発・有力諸侯召集問題 同じ日、征長副将松平茂昭兵庫着、五卿、筑前上陸/西郷、鹿児島着(綱要) |
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