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文久2年10月14日(1862.12.5)
【江】勅使優待:山内容堂、慶喜に勅使優待を入説
【江】長州藩周布政之助、越前藩に大久保忠寛(一翁)との仲介を依頼

■勅使待遇改善
【江】文久2年10月14日(1862.12.5)、前土佐藩主山内容堂は後見職一橋慶喜に勅使優待を入説しました

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三条実美に依頼されて京都守護職の松平容保が建議した勅使待遇改善(こちら)をめぐって、幕議は紛糾していました(こちら)。これをきっかけに、幕府の朝廷軽視を不満とする松平春嶽は総裁職辞表を提出して登城を停止しました(こちら)。

事態を憂えた前土佐藩主山内容堂は、この日、一橋慶喜に面会して勅使優待を議論しました。慶喜自身の回想(『昔夢会筆記』)によれば、慶喜は、幕府が草創期に武威を張ったばかりに朝廷に礼を失する事が慣例となったことを憂慮していたため、容堂の勧めどおり、どこからの要請かということには拘らないことにしたそうです。

参考:『続再夢紀事』一・『昔夢会筆記』(2003.12.5)
関連:■開国開城「第2の勅使三条実美東下と攘夷奉勅&親兵問題」■テーマ別文久2「勅使優待問題「容保VS幕閣・春嶽

■越前藩と長州藩/大久保一翁
【江】文久2年10月14日(1862.12.5)、長州藩周布政之助は越前藩に側用取次大久保忠寛(越中守。のち一翁)との面会の仲立ちを依頼しました。

この日、周布は越前藩中根靱負(雪江)を訪ね、<最近の幕議が因循なのは芙蓉間有司に約5名の俗論開国家がおり、大久保越中守の気力を借りて橋公を始め諸有司を堕落いるからだと聞き、大久保を説き伏せようと欲してきたが、(他人面会を控える)役柄なのでと面会を断られた。止むを得ず板倉閣老の声がかりを要請したが、これも長藩より建議された主意は大久保も素より承知なので他人に面会するを得ざる職柄の者に強いて面会するには及ばず、と承諾されず、大変残念である。この上は貴藩のお声掛りで面会するしかない。なんとかお取り計らいを願いたい>と依頼したそうです。

中根は<大久保は俗論家に協力するような人物ではない。すでに昨夜も横井小楠が面談したが、小楠は甚だ感心したいうこちら)>と、そのときの応答の次第を語ったところ、周布は驚いて<意外だった。そういう意見なら面会する必要はない。「臆察の人言」は軽々しく信じてはいけないな>と言って帰ったそうです。

参考:『続再夢紀事』一・『昔夢会筆記』(2003.12.5)
関連:■テーマ別文久2「長州藩と越前藩の連携」「大久保一翁@文2 」

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