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文久2年10月13日(1862.12.4)
【江】勅使優待&攘夷奉勅:)春嶽、総裁職辞表を提出/
【江】大久保忠寛、幕府の「私論」打破の決意を横井小楠に語る

■勅使優待&攘夷奉直問題(春嶽の登城スト)
【江】文久2年10月13日、松平春嶽は、幕府に対し、朝廷尊崇の誠意を欠き、旧弊に因循して私権を張ろうとしていると批判する政事総裁職辞表を提出しました。

<ヒロ>
同年9月20日、朝廷は攘夷勅諚の伝達のため三条実美を別勅使・姉小路公知を副使に任命しました(こちら)。10月5日、三条在京の会津藩士野村左兵衛・外島機兵衛に勅使待遇改正周旋を依頼し(こちら)、これを受けた会津藩主松平容保は、同月11日、勅使待遇改善を建議したものの、老中板倉勝静に強く反論されました(こちら)。これをきっかけに、翌12日、幕府の朝廷軽視の姿勢に不満をもつ春嶽は、藩議の結果、総裁職辞表を内決していました(こちら)

勅使の江戸到着直前のことであり、幕府は大慌てすることになります。

参考>『続再夢紀事』一、『徳川慶喜公伝』(2003.12.1)
関連: ■開国開城「第2の勅使三条実美東下と攘夷奉勅&親兵問題」■テーマ別文久2「勅使優待問題」 ■越前藩日誌文久2 

■横井小楠&大久保忠寛
同日、横井小楠と会談した側用取次大久保忠寛(大久保一翁)は、幕府の「私論」の打破に尽力すると述べました。小楠は「案外の正論」に驚き、忠寛に対する認識を改めたようです。

小楠は兼てから、忠寛を「幕府習気の巨膂」だと思っており、11日の勅使待遇に関する廟議(こちら)を例に出して、「幕府の私論に渉れるを論難」しようとしたそうです。ところが、忠寛はそのような廟議のあったことを一切知らず、<攘夷にもあれ其他の事にもあれ 叡慮を以て遂せ出された事を遵奉せねば、開国も真の開国に至らないだろう>と述べた上で<防州(板倉)が元来俗論なのは勿論だが、橋公までを俗論に引き入れ、勅使待遇のような些細な事をさえ彼是申されるとは驚きだ。廟堂の議論がそのような次第では到底公武一和を望むことはできない。天下の衰運は既に決まってしまった>と憤激したそうです。そして、<明日はいっそう力を尽して廟堂の「私論」を打破するつもりだ>と述べたので、小楠は、「案外の正論」に驚き、論難することをやめて、ともに嘆息して分かれたとのことです。

<ヒロ>
小楠&一翁は、管理人の大好きな・・・というか一番気になる組み合わせです。

参考:『続再夢紀事』一、『徳川慶喜公伝』(2003.12.1)
関連:■テーマ別文久2「大久保忠寛「横井小楠」

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