12月の「今日」 幕末日誌文久2 テーマ別日誌 開国-開城 HP内検索 HPトップ
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■大久保一翁(忠寛)更迭 【江】文久2年11月3日、後見職一橋慶喜は総裁職松平春嶽に、側用取次大久保忠寛(一翁)の転出を相談しました。 『続再夢紀事』によれば慶喜の相談はこうでした。 <大久保越中(忠寛)が俗論家のために忌み嫌われていると聞いているが、最近は特にひどく、登城の途中を狙って暗殺しようとの密談をする者もいるそうである。ほとぼりが冷めるまで、一時、他職に転任させてはどうだろうか> これに対して、春嶽は <俗論家のために忌み嫌われるのが越中の越中たる所である。得難き人物であり、今、君側を遠ざけられることはならない。風説などは素より取るに足らない>と反論したそうです。 慶喜は納得せず、他職への転任を主張しましたが、春嶽の強い反対で、この日は決着がつきませんでした。 <ヒロ> 開国論の大久保忠寛は、京都の尊攘激派に憎まれており、勅使江戸に到着後に「天誅」が行われるとの風聞がありました。そうなっては幕府の威信を損なうと考えた老中水野忠精は講武所奉行に転出させてはどうかと、先日、春嶽に相談をしていました(こちら)。 この日の慶喜の言によれば、忠寛を暗殺しようとしているのは尊攘激派だけでなく、幕府内にもいたようです。「俗論家」は、この場合は、保守反動的で、何より(朝廷より日本全体より)幕権を重要と考える勢力でしょうか(幕府内の多数派です)。忠寛の大政奉還論(こちら)が忌避をかったのかも・・・? (あ・・・「保守」はともかく「反動的」って・・・われながら、「大開国論」びいきがとまりません〜^^;)。 参考:『続再夢紀事』一(2003.12.24) 関連:■テーマ別文久2「国是決定:破約攘夷奉勅VS開国上奏」「大久保一翁」 |
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