2月の「幕末京都」 幕末日誌元治1 開国開城 HP内検索 HPトップ

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文久4/元治元年1月16日(1864.2.23)
【京】孝明天皇、将軍到着を賀して勅使を二条城に派遣
【京】幕府、春嶽に随時登城を命じる
【京】慶喜、総裁職松平直克への「厳督」の必要がなくなったことを春嶽に伝える

■将軍再上洛
【京】文久4年1月16日(1864年2月23日)、孝明天皇は勅使勅使坊城俊克・野宮定功を二条城に派遣して将軍入京を賀し、特に板輿を下賜しました

<ヒロ>
板輿の下賜は、将軍参内の際に御所車寄せまでこの恩賜の板輿で乗り通してよいことを意味します。天皇がすぐに勅使を派遣して入京を賀したことといい、優遇ぶりは前回の上洛時と比べるものになりませんでした。京都守護職・会津藩士の松平容保はこのことを伝え聞いて素志貫徹(公武一和の実現)を悦び、感泣したといいます。

参考:『徳川慶喜公伝』3・『七年史』p94(2001.2.22)
関連:■余話「お気の毒さん」だった将軍家茂の初上洛■テーマ別元治1「将軍再上洛へ

【京】文久4年1月16日(1864年2月23日)、幕府は将軍家茂の諮問に応えられるようにと、前越前藩主・前政事総裁職の松平春嶽に随時登営を命じました

「御用向御相談可有之候間時々登城候様可被致候」

<ヒロ>
前日、慶喜と老中が面会した際、慶喜の説明によって老中が春嶽の尽力を理解した結果だと思います(こちら)

参考:『続再夢紀事』ニp353(2008.1.17)
■テーマ別元治「朝議参豫の動き」 「参豫の幕政参加問題

■総裁職松平直克厳督問題
【京】文久4年1月16日(1864年2月23日)、慶喜は、過日中川宮に総裁職松平直克への「厳督」を依頼していた件につき、直克の態度が変化したのでその必要がなくなったことを春嶽に伝えました

この日、慶喜は、春嶽を二条城に呼び出すと、前日の将軍・直克・老中との会談の経緯(こちら)を説明しました。その際、<川越上京の上は中川宮より御厳督あるようにと過日願い出ておいたが、前述のごとく「すでに了解」したので、御厳督には及ばないだろう。明日は川越が宮の許に参候する筈なので、その前に、誰かを遣わし、御厳督には及ばない旨を申し上げてほしい>と頼みました。

<おさらい>
これより前、慶喜は、直克が将軍上洛時に幕権回復を企図しているとみて、春嶽に善後策を相談しており(こちら)、その結果を受けてさらに中川宮・春嶽・伊達宗城が協議した結果、直克が上京した際には中川宮邸に呼び出し、幕府の旧習への回復は許されないと諭す手はずになっていました(こちら)

参考:『続再夢紀事』ニp355(2008.12.30)
関連: ■テーマ別元治1「将軍の再上洛(元治1)」

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