1月の「今日の幕末」 幕末日誌文久3 開国開城 HP内検索 HPトップ

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文久3年12月8日(1864.1.16)
【京】慶喜、春嶽に、新総裁職松平直克が将軍上洛時に幕権回復を
企図していることを告げ、その善後策を相談
【京】朝廷、浪士取締を厳達

■総裁職松平直克厳督問題
【京】文久3年12月8日、将軍後見職一橋慶喜は前政事総裁職(前越前藩主)松平春嶽に、新総裁職松平直克が将軍上洛時に幕権回復を企図していることを告げ、その善後策を相談しました。

この日、後見職邸を訪ねた春嶽に、慶喜は次のように述べました。
慶喜 新総裁職(=松平直克)の意見は、今度大樹公が上洛して公武一和の上は関東の威権を旧に復し、何事についても朝廷の指綺ないようにとのことらしい。これは、この地の形勢に反し、かつ拙者の意見とは大いに相違している。もっとも大樹公の入京前に大坂に出張し、総裁らへこの地の形勢及び拙者の意見を述べて説得するつもりだが、一時に貫徹すべきかどうか覚束ない。ゆえに、御上洛に先立ち、総裁を呼び寄せて、予め協議に及んでおきたい。しかし、この事を拙者より申し遣わしてはかえって不都合を生じるだろうから、朝廷より召されるように願いたく思う。
春嶽 いかにも尤もである。
慶喜 それでは、その御周旋を願いたい.
春嶽 中根雪江に担当させよう。

中根が、その席からすぐに薩摩藩小松帯刀を訪ねてその旨を語り、<三郎殿のご意見はどうだろうか>と尋ねると、小松は<一議には及ばずごもっとも千万である。三郎は風邪をいいて寝込んでおり、対談はできないが、別に異存があるはずはなく、陽明殿(=近衛忠熙前関白)へは明朝、自分から委細申し述べよう>と答えたそうです。中根はその足で今度は中川宮へ参候し、拝謁の上、その次第を言上したところ、中川宮も速やかに同意し、<明日は一橋も参内のはずなので、二条家(右大臣二条斉敬)へ相談の上、ただちにその沙汰になるよう取り計らおう>と述べたそうです。

関連■開国開城「政変後の京都−参与会議の誕生と公武合体体制の成立」 ■テーマ別文久3年「将軍・後見職の再上洛」徳川慶喜日誌文久3■「春嶽/越前藩」「事件簿文久3年」
参考:『続再夢紀事』ニp276-277。(意訳は管理人。素人なので、著作物作成の場合は必ず原典にあたってね)(2005.1.28)
■政変後の浪士対策
【京】文久3年12月8日、朝廷は、京都に潜伏する長州藩士や浪士の取締りを官家・寺院、諸藩、町奉行に達しました。

参考:『七年史』ニp74-45(2005.1.28)

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