1月の「今日の幕末」 幕末日誌文久3 開国開城 HP内検索 HPトップ

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文久3年12月18日(1864.1.26)
【京】中川宮・松平春嶽・伊達宗城、政事総裁職松平直克が上京の際は
幕府の旧習への回復は非だと説得すること、島津久光叙任などを話し合う/
【京都】彦根藩主井伊直憲入京
【京】近衛忠房と薩摩藩国父島津久光養女貞の婚姻
【横浜】勘定奉行兼外国奉行竹内保徳ら、仏国公使に輸入品税率軽減を協議

■将軍再上洛
【京】文久3年12月18日、中川宮邸に前政事総裁職(前越前藩主)松平春嶽・前宇和島藩主伊達宗城が集まりました。後見職一橋慶喜も集まる予定でしたが、体調不良で欠席したそうです。

主な協議事項は以下の通り。

・幕権回復の動きの牽制(総裁職松平直克厳督問題)・老中板倉勝静の上京
新政事総裁職松平直克が上京の上は、中川宮邸に召し出して「幕府従来の陋習に復せんとする意見の非なる」を説得し、直克が了解すれば東帰させて、代わりに老中板倉勝静を上京させるようにしてはどうかと話し合われたようです。

実は、これに先立つ12月8日、慶喜は春嶽に対し、直克が将軍上洛時に幕権回復を企図しているとして善後策を相談しました。その結果、将軍入京前に直克を京都に呼び寄せて説得すること、また直克を呼び寄せるために朝廷から沙汰が下るよう周旋することを決めていました(こちら)。この日の直克に関する議論は、8日の結果を受けたものとなります。また、板倉については、江戸にいる軍艦奉行並勝海舟から春嶽宛に、板倉上京周旋の困難を報告し、朝廷の沙汰周旋を提案する書簡(こちら)が、この日、届いていました。

・久光叙任・慶喜優待など
その他、薩摩藩国父島津久光及び肥後藩主弟長岡澄之助・良之助への官位叙任の件、将軍後見職である一橋慶喜に御所車寄から昇降を許可する等の優遇を与える件について話し合われたそうです。

【京】文久3年12月18日、彦根藩主井伊直憲が将軍上洛に先発して上京しました。

関連■テーマ別文久3「老中板倉勝静上京問題」■「春嶽/越前藩」「事件簿文久3年」 ■薩摩藩日誌文久3 
参考:『続再夢紀事』二、『維新史料綱要』(2005/2/2)
■薩摩藩
【京】文久3年12月19日、権大納言近衛忠房(前関白近衛忠熙嫡男)が薩摩藩国父島津久光養女貞と結婚しました。

忠房の母親=近衛忠熙夫人は10代藩主島津斉興(斉彬・久光の父)の養女ですので、近衛家と島津家は二代続けての縁続きとなります。なお、貞は、島津兵庫の長女です。

関連:■豆知識「将軍・大名・公家の姻戚関係
参考:『維新史料綱要』(2005.2.2)

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